軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

36

明日が、出国の時となった。

随行人数は、マルクを含めて十二名。

王族が他国を訪れる際の標準的な随員――護衛騎士六名、文官二名、侍従二名、医官一名、そして側近としてのマルク。多すぎれば威圧となり、少なすぎれば軽視と取られる。

机の端には、一本の葡萄酒。

城下を巡視した折、簡素な護衛だけを伴って立ち寄った店で買ったものだ。王旗も掲げず、儀仗も連れず。ただ王子として町を歩いた日。

店主は私が王子と知っていたが、態度は変えなかった。

「お若いのに、難しい顔をなさる」

そう言われたのを、覚えている。

残りは、わずか。

……飲みきるか。

扉が叩かれる。

「入れ」

入ってきたのは、第一王子だった。

「二人だけで話すのは、久しぶりだな」

その瞬間、頭の奥に鈍い痛みが走る。

理由は分からない。そして、それは直ぐに消えた。

兄に呼ばれると、時折こうなる。

「……そうですね」

兄は椅子に腰を下ろす。しばらく沈黙。やがて言う。

「いいか」

その声は、どこか硬い。

「お前を無能と囁く声があった。私はそれを聞いていた」

兄の拳が、わずかに握られる。

「否定してやるべきだった。だが私は――お前の前でこう言ったな。『そのまま終わるつもりか』と」

私は瞬きをした。あまり覚えていない。だが周囲がそう見ていたことは知っている。

「だがあれは、突き放したかったわけではない」

兄の視線が、私を射抜く。

「奮い立たせるつもりだった」

私は静かに聞く。兄は続ける。

「お前は優しい。だが甘い。王族は甘さで国を守れん。だから――」

言葉が止まる。

「だが、あの時のお前には、違う意味に聞こえたのだろうな」

私は首を傾げる。

「違う意味、とは?」

兄は一瞬だけ視線を逸らした。

「……いや。忘れろ」

兄の声音が妙に慎重な理由が、全く分からない。兄は深く息を吐いた。

「最近のお前は、よくやっている。条約も、学院も」

まっすぐに見る。

「見直した。誇らしいとさえ思う」

胸の奥が、静かに温かくなる。

「必ず帰ってこい」

低く、強い声。

「命令ではない。兄として言う」

私は背筋を伸ばす。

「王族である以上、国の為に、国民の為に尽くす所存です」

一拍。

「そして、必ず帰ります」

兄の拳が、ゆるむ。

私は葡萄酒を持ち上げる。

「城下で買いました」

「そうか」

杯を二つ。注ぐ。

「……足りんな」

「無理を言わないで下さい」

「帰ってきたら、続きを飲もう」

「その時は兄上の奢りで」

小さな笑い。

そこには、王太子と第三王子ではなく。

ただの兄と弟がいた。

――兄だけが、あの日の夜を、覚えている。

出立の朝は、冷え込んでいた。

石造りの城壁に朝日が当たり、白く光っている。

城門前の石畳には、すでに随行の者たちが整列していた。総勢十二名。

王家の大旗は掲げない。

槍の先に掲げられた旗は、王家の双獅子を戴きながらも、その上に細い三垂れの銀標を添えている。王の紋章とは異なる、第三王子を示す印である。威圧ではなく、礼節。

私は鞍に手をかけた。

深紺の外套は朝光を受けて静かに艶を帯びている。金ではなく銀の縁取り。王の威を誇る色ではなく、理を示す色だ。腰には細身の剣を佩いているが、柄頭に宝石はない。あくまで儀礼のための一本。

城門の上では、鐘がひとつ鳴った。

王と第一王子、宰相が歩み寄る。

近衛は距離を保って控えている。簡素だが、軽視ではない。

王が短く言う。

「国を背負うことを忘れるな」

「は」

第一王子は、私をまっすぐ見た。

昨日と同じ目だ。

「必ず帰れ」

「必ず」

それ以上は言わない。

宰相が静かに付け加える。

「隣国は強大です。言葉一つ、仕草一つが意味を持ちます」

「心得ております」

神官が短い祝祷を唱え、聖水を軽く振りかける。私は胸の前で十字を切った。

祈りは、盾にはならない。だが人の心を支える。

城門の外には、まだ多くの民はいない。だが数人の商人と職人が、遠巻きにこちらを見ていた。

かつて顔を合わせた者もいる。目が合うと、ひとりが帽子を取った。私は小さく頷く。

胸の奥に、不安はある。条約が結ばれたとはいえ、紙は刃を止めない。

もし彼らが本気になれば、私は交渉の駒にも、人質にもなり得る。

私は馬に跨った。マルクも続く。

「殿下、準備は整っております」

「ああ」

城門が軋みながら開く。冷たい外気が流れ込む。振り返らない。だが背後に、兄の視線を感じる。蹄が石を打つ。一歩。また一歩。

城を出る。

……恐れは胸にある。だが、無知に留まることの方が、私には耐え難い。

朝日が、進む道を照らしていた。