作品タイトル不明
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随分前に、隣国との文化交流条約が締結された。
その一環として、共同学院の設立が決まった。簡単に言えば、両国から若者を選抜し、同じ屋根の下で学ばせる。言語を学び、歴史を双方の教師が教え、技術を共有する。
寮は混住とし、食堂では両国の料理を出す。
やがて彼らは帰国し、官僚となり、技術者となり、学者となるだろう。その胸のどこかに、もう一つの祖国を抱えたまま。
恩師のいる国。友人のいる国。青春を過ごした国。戦は命令で始められる。
だが、心まで従わせることはできない。
学院設立の準備は、順調に進んでいるように見えた。教官の選定、予算の調整、建物。
両国の文官たちは頻繁に書簡を交わし、細部を詰めていく。そんな折、隣国から王宮宛に正式な書簡が届いた。
王宮の評議室。隣国からの書簡が読み上げられる。
「学院設立の準備にあたり、構想を主導された第三王子殿下の御臨席を願う」
空気が凍る。
第一王子は、しばし沈黙した。
条約は国を前に進める。だが、弟を危険に晒すことも事実だ。第一王子の指先が、机を叩いた。それは怒りというより、思考を断ち切るための動作だった。
すぐに彼は手を引き、淡々と告げる。
「……国益に適うなら、行かせよう」
宰相は静かに言う。
「強国が我らの王子を招く。安全は保証されぬ」
王は第三王子を見る。
「そなたはどう思う」
第三王子は一歩進み出る。
「行かせてください」
第一王子が睨む。
「敵地だぞ」
「敵地のままでは、学院は成立しません」
沈黙。
「強国が立案者を求めるのは、軽視ではありません。本気かどうかを測っているのです」
王が問う。
「戻れぬかもしれぬぞ」
「戻れぬなら、それがこの条約の価値です」
静寂。
「私があちらにいる限り、彼らは剣を抜きづらい」
宰相が目を細める。
「人質になるおつもりか」
「違います。信頼の証です」
王はゆっくり頷く。
「……許す」
第一王子の拳が、卓上で静かに握られる。
「必ず帰れ」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が張り詰めた。窓辺の旗がかすかに揺れただけで、誰も息を継がない。
第一王子の瞳は揺れていない。
だが、その奥には王太子ではなく、兄の光があった。
私は命を受けたその日から、動いた。
担当していた案件を洗い出し、急ぎでないものは宰相へ。財務に関わるものは評議会へ。
最終決裁を要するものは、書簡にて私へ回すよう手配する。
机の上から書類の山が減っていく。
その日、私はマルクを呼んだ。
「隣国へ赴くことになった」
マルクは黙って聞く。
「強国だ。礼は尽くすだろうが、安全が約されたわけではない」
わずかな沈黙。
「お前を伴うつもりでいる。……異論はあるか」
マルクは間を置かず、膝を折った。
「仰せのままに」
私は小さく息を吐いた。
「命を預けることになる」
「既に、お預けしております」
視線が合う。
「必ず帰る」
「殿下が帰られるならば、私は帰ります」
その声音に迷いはなかった。
マルク視点
執務室の扉が、重く閉まった。
内側では、まだ書記官の羽根ペンが走っているだろう。条約文の写し、学院設立の通達、隣国への返書――殿下は既に次の一手を考えておられる。
廊下は、僅かに冷たい。窓から差す光が、長い影を落としていた。
軍事協力の条約は結ばれた。互いに兵を向けぬと誓い、技術と知を分かち合うと署名した。
だが――紙の上の盟約が、刃を止める保証にはならない。
……いざという時は、その刃が殿下に届く前に、私が立つ。