軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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商人視点

商人は、町から町へ、村から村へと馬車を走らせていた。

運ぶべき物がある。穀物、干し肉、塩、薬草。

そして最近では、第三王子の領から大量に発注された物まで増えていた。

しかし、その年の夏は、おかしかった。

雨が止まない。朝も、昼も、夜も、灰色の空から冷たい水が落ち続ける。街道は泥濘になり、車輪はすぐ埋まった。川は濁流となり、橋が流されたという話も増えている。商人は、濡れた外套を引き寄せながら空を見上げた。

「……今、本当に夏か?」

吐く息すら白い日があった。

最初は、皆ただの天候不順だと思っていた。

「そのうち晴れる」

「去年も雨は多かった」

そう言っていた。

だが、次第に景色が変わっていく。

畑の麦は倒れたまま起きない。刈り取った麦束は乾かず、黒ずみ始めていた。

村では、農民たちが立ち尽くしている。

「腐った……」

「全部だ」

「乾かねぇ」

そんな声を、商人は何度も聞いた。

牧場では、痩せた牛が泥の中に伏せていた。

草が育たない。干し草が足りない。

雨と寒さで、家畜まで弱り始めていた。

町へ入ると、今度は別の光景が目についた。

教会の前に、人が増えている。

膝をついて祈る者、罪を叫びながら泣く女、裸足で石畳を歩く巡礼者。

「神よ、お赦しください」

そんな声が、雨音に混じる。

巡礼者の列は、日に日に長くなっていた。

嫌な流れだった。町では、妙な噂まで流れ始めている。

「魔女の呪いだ」

「異教徒が井戸を汚した」

人は、恐怖すると理由を欲しがる。たとえ、それが間違っていてもだ。

商人は、馬車の荷台へ視線を向けた。

そこには、第三王子の領へ運ぶ穀物が積まれている。

商人は、かつて第三王子の領地へ入った時を思い出した。

夏だというのに、景色が暗い。いや、正確には“緑が弱い”。街道の両脇へ広がる畑は、どれも色が薄かった。

普通の小麦畑ではない。風に揺れているのは、白っぽく濁った灰緑色の穂。

「……ライ麦?」

御者が首を傾げる。

背丈が低く、畑の隙間から土の色が見えていた。街道沿いの畑は、地面へ這うように広がる葉、蕪が多かった。それは、貧相に見えた。

「随分みすぼらしい畑だな」

若い従者が笑う。

「小麦を諦めたんでしょうよ。こんな根菜ばかり植えて、金になるんですかね」

商人も、最初は同じ感想だった。

そして妙な動き。

備蓄倉を増やし、街道を直し、乾燥小屋まで作っていた。温泉の熱で冬用の苗床作りまで始めたという噂も聞いた。

そして秋。

移動をしていた商人は、言葉を失った。

あらゆる場所の畑が、死んでいた。

長雨で腐った小麦、倒れた穂、泥に沈んだ畝。農民たちは空を睨み、教会では終末の祈りが始まっている。

そして、第三王子の領地を訪れる。

商人は、見た。

確かに豊作ではないが、収穫は出ていた。

ライ麦は寒さに耐え、蕪は泥の中でも根を太らせていた。収穫されたライ麦は、黴る前に強制乾燥させていると聞いた。

「あの灰色の畑……」

商人は、ようやく理解した。

あれは、“貧しい畑”ではなかった。

冷える世界で、生き残るための畑だったのだ。

農民視点

一人の農民は、雨を見ていた。

今日も、雨だった。灰色の雲が空を覆い、冷たい雫が絶え間なく畑を叩いている。

もう何日、太陽を見ていないのか分からなかった。

畑は泥沼になっていた。芽吹いたばかりの小麦は腐り、踏み込めば足が沈む。

川は増水し、低地の畑は既に半分水を被っていた。

農民は深く息を吐いた。

夏だというのに、妻は家の中で火を焚いていた。子供達は毛布にくるまり、震えている。

冬用に残していた薪が、もう減り始めていた。

「……また雨か」

誰へ言うでもなく呟く。

村の老人は、これは神の怒りだ、と言っていた。

若者達は黙っていた。祈って晴れるなら、とうに晴れている。

農民は納屋へ入った。

積まれている穀物袋は、指で数えられる程度しかない。元々、余裕など無いのだ。しかも、その半分は食べてはいけない物だった。

来年の春に撒くための種籾だ。しかし、子供は腹を空かせる。妻も、日に日に痩せていく。

村では既に、牛を潰した家が出ていた。

畑を耕すための牛だ。それを食べるという事は、来年を諦めるという事だった。

昨日、隣家の男が犬を捕まえていた。誰も何も言わなかった。言える空気ではない。

雨は止まず、寒さも消えない。畑へ出ても、小麦は育たなかった。

そしてある日、農民は、納屋の最後の袋を開けた。種籾だった。

妻が何か言おうとして、やめた。子供達は無言でそれを見ていた。

農民は理解した。

――もう、この村では生きられない。

春が来ても、植える種はない。牛もいない。

畑も腐った。残るのは、飢えだけだ。

数日後、村から人が消え始めた。

皆、粗末な杖を持ち、首から木の十字架を下げていた。

巡礼者の格好だった。

「聖地へ向かう」

そう言えば、兵にも追い返されにくい。教会で施しを受けられる。運が良ければ、パンと寝床を得られる。

だから人々は、“巡礼”になった。

老人も、母親も、痩せた子供も。泥の道を、列になって歩いていく。

農民は最後に、一度だけ振り返った。

そこには、長く暮らした家があった。祖父の代から耕してきた畑があった。

だが、もう煙は上がっていない。

冷たい雨だけが、静かに降り続いていた。

農民は、何もなくなった。

だから、全てを捨てて逃げた。

――巡礼、という名のもとで。