作品タイトル不明
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「巡礼者が増えています」
マルクの報告に、私は羊皮紙から顔を上げた。
「どの街道だ」
「全部です」
私は小さく息を吐いた。
やはり、来たのか。
この領地は、巡礼経由地だ。 大聖堂へ向かう者、聖遺物を求める者、病を癒やしたい者、そして今は飢えた者だ。
「神の怒りだ、と騒いでいるようです」
マルクが低く言う。
「長雨も、冷夏も、“罪への罰”だと」
私は窓の外を見た。
市場通りには、既に見慣れぬ人影が増えている。泥だらけの靴、痩せた馬、荷車を引く老人。本物の巡礼者もいる。だが、それだけではない。
「……食い詰めた農民も混ざっているな」
「おそらく」
この世界では、“巡礼”は信仰であると同時に、生存手段でもあった。
「人数は」
「昨日だけで二百を超えています」
早い。まだ秋にもなっていない。なのに、既に動き始めている。
私は机を指で叩いた。
冷害の本当の恐ろしさは、飢えだけではない。人が動く事だ。
人が集まれば物価が崩れ、治安が乱れ、病が広がる。
そして恐怖は、信仰を過熱させる。
「終末が来る、と叫ぶ者もいるようです」
マルクが苦い顔をした。
「……出ると思った」
不作、長雨、冷夏。この時代の人間にとって、それは“世界の終わりの兆候”だった。
だから人々は祈り、歩き、縋る。聖地へ、 聖遺物へ、奇跡へ。
本番は冬、そして来年だ。
今年の凶作で終わるならいい。だが冷害は、数年続く事がある。その時、人の流れは“巡礼”では済まなくなる。
暴動、略奪、疫病。飢えた群衆は、時に軍隊より厄介だった。
私は静かに立ち上がった。
「炊き出し場を増やせ」
施しは必要だ。だが、無秩序に集めれば病が出る。
「井戸も分けろ。飲用と洗浄用を混同させるな」
「承知しました」
私は続けた。
「あと、湯屋を開放する」
マルクが一瞬目を瞬かせた。
「温泉を?」
「巡礼者は不潔なまま歩き続ける。病を持ち込まれる前に洗わせる」
この時代の人間は、病がどこから来るのか知らない。 だが私は知っている。
人が集まる場所には、必ず病が来る。
「衣服も煮沸しろ。熱湯を使え」
「……また変わった事を」
「いいからやれ」
私は短く言った。
窓の外では、鐘が鳴っている。祈りの鐘だ。
救いを求める音、そして同時に、不安が広がっていく音でもあった。
冷たい夏は、人の心まで冷やしていく。
その流れは、もう始まっていた。
私は、増え続ける巡礼者の報告書を前に、静かに眉間を押さえた。
街道は既に人で溢れ始めている。しかし、幸いな事に病は広がっていなかった。
出来る限りの手は打った。だが、万全には程遠い。
人の流入は止まらない。冬が深まれば、更に増える。ここまでは防げても、飢えと寒さと恐怖までは消せない。
「……まだ、何か出来る事はないか」
私は小さく呟いた。
しかし、迷っている猶予もない。今はまず、選択だ。その時だった。控えていたマルクが、一礼する。
「教会から使者が来ております」
「教会?」
「巡礼者増加について、お話があると」
私は少し考え、それから頷いた。
「通せ」
ほどなくして、黒衣の司祭が二人、部屋へ入ってきた。一人は老齢の司教。もう一人は、武装した修道騎士だった。
司教は胸へ手を当て、穏やかに頭を下げる。
「第三王子殿下。巡礼者について、ご相談があります」
「……話、とは?」
司教は静かに言った。
「此方でも、施設を開放いたします」
私は視線を上げる。
「修道院、教会、巡礼宿を使い、病人を治療しましょう。歩けぬ者には寝床を与えます」
「……」
「そして、働ける者には聖堂建設へ従事してもらいます」
横に立つ修道騎士が低く続けた。
「街道警備も引き受けましょう。既に盗賊崩れが出始めています」
盗賊崩れは、此方の報告にも上がっていた。
「巡礼者を狙う者も増えるでしょう。騎士団を巡回させます」
私は目を細めた。
教会がここまで積極的に動くのは珍しい。
「……食糧は?」
最も重要な問いだった。
巡礼者を抱え込めば、食料は一気に減る。善意だけでは、人は養えない。
だが司教は落ち着いたままだった。
「我々には備蓄があります。修道院同士の融通も可能で、既に南方の修道会とも連絡を取り始めております」
つまり、教会ネットワークを使うつもりか。
「負担はかけません」
司教は静かに言った。
「むしろ、巡礼者を放置する方が危険です」
その通りだった。
私は、気がついた。
「……聖堂建設を急ぐ気か」
「はい」
司教は迷いなく答えた。
「人は、希望がなければ壊れます。ならば、“神の家を建てている”と思わせるのです」
私はゆっくりと息を吐いた。
「……分かった。協力しよう」
「感謝します、殿下」
司教は深く頭を下げた。
「……何故、そこまで協力する」
私は率直に尋ねた。
巡礼者を抱え込めば、教会側も負担は大きい。食糧、寝床、治安維持。どれも簡単ではない。
すると老司教は、少しだけ笑った。
「なに。殿下のためではございません」
穏やかな声だった。
「我らは我らの教義と、ほんのわずかな利のために動いております」
隣の修道騎士が、低く喉を鳴らす。
「巡礼者が増えれば寄進も増える。聖堂が完成すれば、更に人が集まる。教会としても見過ごせぬ話です」
実に聖職者らしからぬ、露骨な言い方だった。
「とはいえ」
老司教は窓の外を見た。
湯気の向こうでは、巡礼者たちが列を作り、炊き出しを受けている。痩せた子どもが笑い、石工たちが聖堂の資材を運び、鐘が鳴っていた。
「殿下が整備されたこの地が、既に我らにとっても、かけがえのない聖地になりつつある事も事実です」
静かな声だった。
「飢えた者へ粥を配り、病を防ぐため湯屋を開く。そして、阿片による人々の救済」
司教は私を見る。
「口で救済を説く者は多い。しかし、実際に人を生かせる統治者は少ない」
私は黙っていた。
「ゆえに、万難を排してお支えしたい」
そこで、老司教は僅かに笑った。
「……殿下に、そう思わされたのかもしれませんな」