作品タイトル不明
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私は再び、商人達を呼び出した。
前回と同じ交易館だが今回は、空気が違う。
机の上には穀物価格ではなく、別の資料が並んでいた。
温泉地の利用記録、巡礼者数、施療院の患者推移、石鹸工房の生産量。
教会が残した、古い疫病流行時の報告書まである。
商人は、羊皮紙へ視線を落とした。
「……今度は、薬ですか」
「半分は正解だ」
私は椅子にもたれた。
「食料だけでは足りない」
冷害が来る。飢える。そこまでは、多くの人間が想像できる。
だが、本当に人が死ぬのはその後だ。
飢えで弱った人間は病に倒れる。
咳、熱、下痢、冬を越えられず、そのまま消える。
私は教会記録を指で叩いた。
「ここに書かれている」
疫病流行年、阿片の使用量増加、その横には巡礼者増加の記録。
「冷害の年、人は神に縋る」
施療院、聖堂、温泉、“癒やし”がある場所へ、人は集まる。
「つまり。この領地は、人が押し寄せる側になる」
商人の表情が変わった。
彼も理解したのだ。
巡礼地は、平時なら利益になる。だが飢饉の時代は違う。難民が流れ込み、病気も一緒に来る。
施しを求める群衆が街道を埋める。対応を誤れば、領地そのものが疫病で崩壊する。
私は羊皮紙を一枚引き寄せた。
そこには、既に必要物資を書き出してある。
塩、石鹸、酢、蒸留酒、乾燥薬草。
「全部、確保しろ」
「……かなりの量になりますぞ」
「市場から消えるくらいでいい」
空気が止まる。
私は続けた。
「温泉街全域で洗浄を徹底する。施療院の器具もだ」
今の時代、病の原因など誰も分からない。瘴気だの神罰だの言われている。
だが私は知っている。不潔は、人を殺す。
「蒸留酒は飲むためじゃない。洗うために使う」
「酒を……?」
「手も、器具も、床もだ」
商人たちは怪訝そうな顔をしたが、反論はしない。
既に私は、“当たる領主”として認識され始めていた。読みにくい流れを、妙に先回りしてくる。ならば今回も、何かあるのだろうと考える。
私は地図を広げた。
「温泉街を拡張する」
「この時期に?」
「今だからだ」
避難してくるのは貧民だけではない。
貴族、高位聖職者、裕福な商人。金を持った連中ほど、“安全”に金を払う。
私は淡々と言った。
「隔離型の療養館を作る」
「隔離……」
「部屋ごとに浴場を分ける。従者も制限する」
病気を持ち込まれれば終わる。ならば最初から分離する。前世でいう、感染区域管理だ。
「完成すれば、数年先まで予約で埋まる」
「殿下」
年嵩の商人が低く言う。
「まるで、“来る”と確信しているようですな」
私は少しだけ黙った。
そして首を振る。
「来ないなら、それでいい」
備えが無駄になるなら、それが最善だ。しかし、来た時に備えなかった領地から死ぬ。
それだけは分かる。
私はさらに続けた。
「あと、噂を流せ」
商人たちが目を細める。
「“この温泉巡礼地では病が広がりにくい”」
「それは……」
「完全な嘘ではない」
温泉、洗浄、施療院、阿片。少なくとも他所より、生存率は上がる。ならば、人は来る。
「ただし、誰でも入れるな」
私は指で机を叩いた。
「石工、鍛冶屋、薬師、若い労働者を優先しろ」
飢饉の時代に必要なのは、“人数”ではない。
維持できる人材だ。働ける者、作れる者、守れる者。
「選別なさるのですか」
商人の問いに、私は静かに答えた。
「全員は救えない」
重い言葉だった。
だが、この時代の領主とはそういうものだ。
限られた備蓄、限られた土地、限られた薬。
その中で、生き残る形を選ばねばならない。
私は最後の羊皮紙を机へ置いた。
そこには、新しい商品案が並んでいる。
薬用石鹸、温泉軟膏、祈祷済み蒸留水。
「……売るのですか、これを」
「富裕層は、“安心”に金を払う」
病を恐れる時代なら尚更だ。
巡礼地の聖水、温泉由来の薬、教会認可。
それだけで価値になる。
「利益は出る。そして、その利益で領民を食わせる」
沈黙の後、商人たちは、ゆっくりと笑った。
「本当に、殿下は変わっておられる」
「褒め言葉として受け取っておく」
外では、冷たい雨が降り続いていた。
商人視点
レオンハルト殿下が退席した後の部屋は、しばらく静かだった。
雨音だけが、石壁へ鈍く響いている。
誰もすぐには口を開かなかった。
机の上には、まだ地図と羊皮紙が残されている。 南方交易路、街道、中継倉庫。 そこへ並べられていたのは、穀物だけではない。
塩。 薬草。 蒸留酒。 干し肉。 保存豆。
――まるで、戦時備蓄だ。
やがて、一人の年嵩の商人が大きく息を吐いた。
「……さて、どうするか」
葡萄酒商が苦く笑う。
「どうするも何も、断れる空気ではなかったでしょう」
「違う」
塩商が低く言った。
「あれは、“断るな”ではない」
彼は机へ残された地図を見る。
「“今すぐ動け”だ」
空気が重くなる。
若い商人が、不安げに口を開いた。
「しかし……穀物価格が少し上がった程度ですぞ?それだけで、ここまで」
「だから怖いんだ」
誰かが遮った。
「あの方は、“少し上がった程度”で終わるなら、あんな顔はせん」
皆、思い出していた。
ただ、過去の動きを語っただけだ。
それなのに、既に倉庫、街道、乾燥小屋、輸送用馬車にまで話が及んでいた。
まるで、数年先の崩壊を、既に見ているかのように。
羊毛商が、ぽつりと言う。
「塩まで集めろと言ったのが気になる」
「保存用でしょうな」
「いや、それだけではない」
薬草商が低く呟いた。
「薬草と蒸留酒まで指定した」
室内の空気が変わる。
蒸留酒は消毒に使う。 薬草は、疫病対策。
誰かが、喉を鳴らした。
「……本当に来るのか」
「来るのでしょうな」
「何が?」
塩商は、しばらく黙った後、小さく答えた。
「“取り返しのつかない何か”が」
その言葉に、誰も反論しなかった。
若い商人が、おそるおそる言う。
「値を吊り上げますか?」
「馬鹿を言うな」
年嵩の商人が即座に切り捨てる。
「今、数割上乗せしたところで何になる。あの方は、この先の値動きを見ている」
「……」
「今欲しいのは金じゃない。“信用”だ」
空気が静まる。
商人にとって、信用は時に金より重い。
特に、生き残る領主への信用は。
「最優先で納品する」
塩商が言った。
「私財も使う。うちの倉庫にも備蓄を始める」
「うちもだ」
「南方へ隊商を出す」
「東の干し魚商とも繋ぐ」
次々に声が上がる。
誰も、もう値切りの話をしなかった。利益の匂いは確かにあるが、それ以上に。
“今乗り遅れれば死ぬ”
という感覚が、商人たちの背筋を冷やしていた。
最後に、情報屋の商人が静かに呟く。
「……あの方は、市場を見ているんじゃない」
「では?」
男は窓の外の雨を見た。
「世界の流れを見てる」