作品タイトル不明
131
大国視点
「レオンハルト殿下より、大至急の書簡が届いております」
その報告を受けた時、大国の王は、朝の政務の最中だった。執務机には、各地の報告書が積まれている。南方属州の収穫、国境の小競り合い、港湾税の推移。
その中へ、一通だけ異質な羊皮紙が差し出された。王は封蝋を見た。
小国の第三王子。医学大学を築き上げ、“阿片を薬として管理する男”。
「……通せ」
短く言う。
側近が封を切り、中身を読み上げ始めた。
内容は簡潔だった。
南方属国における芥子栽培量の増加要請、乾燥施設の増設、輸送路の優先確保。さらに、今後数年単位での安定供給契約。
読み終えた瞬間、重臣の一人が呻くように言った。
「……量が多すぎます」
別の貴族も顔をしかめる。
阿片は貴重な薬だ。鎮痛、咳止め、下痢止め、外科治療。だが、ここまでの量は普通ではない。
王は何も言わず、書簡を読み返した。
「……理由は?」
王が静かに問う。
宰相が慎重に答えた。
「医療体制の拡充、とあります」
「そんなものは読めば分かる」
王は淡々と言った。
「余は、“なぜ今か”を聞いている」
沈黙。誰も答えられない。
代わりに、軍務卿が低く口を開いた。
「もしや、大規模戦争の兆候を掴んだのでは」
「あるいは疫病か」
「教会の予言者と繋がっているという噂もあります」
好き勝手な憶測が飛び交う。
だが王は眉一つ動かさず、再び書簡へ視線を落とす。
「……妙だな」
王は椅子へ深く腰掛けた。
「この男は、阿片を武器として見ていない」
誰も口を挟まない。
「暴利目的なら、もっと市場へ流す。中毒者を増やせば利益も出る」
だが、そうしていない。徹底的に管理している。
「つまり、この男は秩序を守る側だ。ならば、必要もなく増産など求めん」
王は静かに言った。
戦争好きの貴族ではない、狂信的な預言者でもない。冷静で、慎重で、現実主義。そんな男が、“備えようとしている”。それ自体が、不穏だった。
王は窓の外を見る。
曇天だった。今年は寒く、冬も長かった。春も遅かった。
「……南方の収穫は」
不意に王が問う。
財務卿が答える。
「平年並みです。ですが、北方では長雨が」
王は指で机を叩いた。ゆっくりと、何かを組み立てるように。
「戦争でも疫病でもない」
誰にも聞かせるでもなく、呟く。
「もっと大きい。“国そのもの”の問題だ」
国王は静かに視線を横へ向けた。
「エリシア。どう思う」
名を呼ばれた王女は、ゆっくりと顔を上げた。聡明で知られる第一王女。 まだ若いが、既に幾度も外交の席へ同席している。
彼女は羊皮紙へ目を落としたまま、しばらく黙っていた。そして、国王を一瞬見た。
意を決したように、小さく口を開く。
「……隠していますね」
「何をだ」
「本当の理由を、です」
重臣たちが顔を見合わせる。
「もし戦争なら、“軍需”として要求する方が早いし確実です。疫病なら、教会へ先に働きかけるはずです。ですが、殿下は違う」
エリシア王女は続けた。
「理由を曖昧にしたまま、“量だけ”を求めてます」
国王は何も言わない。
エリシア王女は、指先で書簡をなぞった。
「しかも、“急いでいる”。これは、既に兆候を見ている人間の動きです」
重臣たちは息を呑む。
「兆候……?」
エリシアは、窓の外を見る。
「今年の冬は長く、低温が続いてました」
彼女は静かに言った。
「もし、これが数年規模の冷害の始まりだとしたら」
空気が変わった。
誰かが、喉を鳴らす。
冷害。その言葉の意味を、この時代の人間は知っている。
「……なるほど。だから、医療用か」
国王が、静かに呟いた。
重臣の一人が青ざめる。
「では……彼は冷害を予測していると?」
「予測、というより」
エリシア王女は小さく首を振った。
「既に、“備えている”のでしょう」
やがて、国王は深く椅子へ身を預けた。
「面白い男だ」
その声は、どこか感心したようでもあった。
「恐怖を煽らず、暴利にも走らず、ただ先に動く。しかも、こちらへ借りを作らせる形でな」
つまりこれは、単なる増産要求ではない。
“備えろ”という警告だ。しかも、要求という形に偽装した上での。
他国に先んじて動く機会を、この国へ与えているのだ。
国王は、再び書簡を見る。
「……善意だけではない。だが、秩序を守ろうとしている」
それが重要だった。
恐慌を起こさず、市場を壊さず、他国を麻薬で腐らせようともせず。ただ、“来るもの”に備えている。
国王は静かに立ち上がった。
「南部属州へ命令を出せ。阿片の増産を許可する」
重臣たちがざわめく。
「ただし、公表理由は別にする」
「陛下、本当に冷害が……?」
国王は即答しなかった。
窓の外の曇天を見つめる。
「……備えよ」
静かな声だった。
「当たらねば、それでよい。だが、外れを願って何もしない王は、国を滅ぼす」
その目は、既に次を見ていた。
王は、理解していた。
これは単なる薬の話ではない。
領地の存亡、国家の根幹、時代そのものが揺らぐ話なのだと。
エリシア視点
エリシア王女は、自室へ戻ると静かに扉を閉めた。
侍女たちは既に下がらせている。 室内には、暖炉の火が小さく揺れているだけだった。
彼女は机へ歩み寄り、引き出しの奥から一通の書簡を取り出す。レオンハルト殿下から届いた、“急ぎ”の私信。
既に読んでいたものだ。内容は簡潔だった。
――もし、国王陛下が阿片増産に反対された場合。冷害の可能性をお伝えください。
そこまで書かれた後、さらに続いていた。
――もし国王陛下が自力で気づかれたなら、この話は胸の内へ留めてください。不必要な混乱を避けるためにも。
そして最後には、短く。
――読後、焼却を。
エリシアは、ふっと息を吐いた。
「……冷害と聞いて、私が黙っているはずないでしょう。父は気づいていたし」
小さく呟く。
だが、それが嘘だとエリシアは知っていた。
父ですら完全には気づいていなかった。だからこそ、彼は私へこの手紙を託したのだろう。
その可能性を、彼女も全く考えていなかったわけではない。今年の冬は長かった。春先の冷え込みも妙だった。 各地から届く報告にも、どこか嫌な重さがある。
けれど、人は往々にして、 “来てほしくない未来”から目を逸らしたくなる。まして冷害は、戦争より厄介だ。敵がいない、交渉も出来ない、空そのものが相手になる。
「……私が知れば、先に動くと思ってるのよね」
エリシアは半ば呆れたように呟き、それから小さく肩を落とした。
「……本当に、心臓に悪い手紙だわ」
頼られているのは分かる。自分なら黙っていられないと、彼は分かった上で託してきたのだろう。
けれど、その内容が“冷害の可能性”では、素直に喜ぶには重すぎた。
半ば呆れたように言いながら、エリシア王女は書簡を暖炉へ近づけた。
火が、羊皮紙の端を舐める。じわりと黒く焦げ、やがて文字が歪みながら消えていく。
大国には、南方属国がある。今からでも、人員を送り込めばいい。街道を整備し、倉庫を増やし、耐寒性作物を植えさせる。まだ間に合う可能性はある。
レオンハルト殿下の領地は、ここより寒い。ゆえに、彼は誰より先に危機へ気づいたのだろう。
炎の中で、書簡はゆっくり形を崩していく。
綴られた警告、数字、備蓄量の試算、南方輸送路についての補足。全てエリシアは記憶した。
そして最後に添えられていた、一文。
――どうか、お身体を大切に。またお会い出来る日を、楽しみにしております。
「……最後の一文くらい、残しても良かったのでは?」
ぱちり、と火が鳴る。
その呟きは、誰にも聞かれないまま暖炉へ消えた。