作品タイトル不明
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私は商人たちを呼び集めた。
場所は城ではない。領都の外れにある、小さな交易館だった。
石造りの倉庫を改装しただけの建物。貴族が使うには地味すぎる場所だが、だからこそ都合がいい。余計な耳が少ない。
雨の音が屋根を叩いていた。
呼ばれた商人たちは、互いの顔を窺っていた。塩商、羊毛商、葡萄酒商、情報提供した商人までいる。
誰もが、ただ事ではないと理解していた。
私は机の上へ、一枚の地図を広げた。
「穀物を集める」
単刀直入に言う。
「北部ではなく、南だ。出来れば東、西方も使え」
年長の商人が目を細める。
「……随分急ですな」
「急だから呼んだ」
私は淡々と答えた。
「小麦だけではない。ライ麦、乾燥豆、塩漬け肉、干し魚、保存の利くものを優先しろ」
「理由を伺っても?」
当然の質問だった。だが、私は首を振る。
「聞くな」
商人たちが顔を見合わせる。
「ただし、損はさせん」
机へ、小袋を置く。中には銀貨が詰まっていた。
「前金だ。必要なら追加融資もする」
空気が変わる。
商人は、利益の匂いに敏感だ。
「条件は三つ」
私は指を立てた。
「一つ、私の名前を出すな。二つ、買い付けは分散しろ。一箇所で大量に買うな」
買い占めが露見すれば、市場が跳ねる。他領が警戒し始めれば終わりだ。
「三つ。倉庫は領外にも置け。街道封鎖に備える」
一人の商人が口を開く。
「殿下は……何を見ておられるので?」
私は少しだけ考えた。
そして、教会記録にあった言葉を思い出す。
だが、それを口にはしない。
「市場の流れだ。最近、穀物価格の動きが速い」
それは事実だった。危機というものは、いつも最初は小さな形で現れる。
ある街で麦価が少し上がる。荷を積んだ隊商の到着が、数日遅れる。いつもなら溢れている市場から、干し魚が静かに消える。
誰もが、「今年は少し運が悪いだけだ」と笑う。しかし、その小さな綻びは、やがて街道全体へ広がる。気づいた頃には、もう荷馬車は奪い合いになっている。
私は地図を指で叩いた。
「南方を押さえろ。特に乾燥地帯から来る隊商だ」
「あそこは遠いですぞ」
「だから今動く」
冬になってからでは遅い。雪で街道が閉じれば終わる。
「商会ごとに担当を分ける。競り合うな。価格を無駄に上げるだけだ」
私はさらに羊皮紙を広げた。そこには、既に簡単な役割分担が書かれている。
陸路、保管、塩、加工食品、輸送用馬車。
商人の一人が、呆れたように笑った。
「まるで戦争準備ですな」
「飢饉は戦より人が死ぬ」
私は即答した。
室内が静まる。それを否定できる者はいなかった。
私は椅子にもたれた。
「利益は保証する」
「どうやって?」
「特権を与える」
商人たちの目が変わった。
「備蓄倉の使用権。街道税の一部免除。大国向け交易への優先参加」
ざわめきが起きる。
大国との交易、それは今、最も利益が出る市場の一つだった。
「成功すれば、お前たちは数年遊んで暮らせる」
「失敗した場合は?」
私は少し笑った。
「その時は、皆で飢えるだけだ」
商人たちは顔を見合わせた後。
やがて、一人が笑い出した。
「……結局、乗るしかありませんな」
「最初からそのつもりだろう」
「ええ。儲かる匂いがしますので」
私は息を吐いた。
これで終わりではない。むしろ始まりだ。
やることは山ほどあるが、一人では無理だ。
だから使う。
商人は、利益のためなら国境すら越える。
ならば、その欲を利用する。
前世で嫌というほど見た。理想だけでは組織は動かない。人を動かすのは、利益だ。
私は窓の外を見た。
冷たい雨が降っていた。
まだ誰も、飢饉など信じていない。
だからこそ、今動く。
動きを読まれれば、買い占めが始まる。他領も備蓄へ走る。市場は混乱し、最初に死ぬのは貧民だ。
それだけは避けねばならない。
交易館から戻った私は、何かを見落としてると感じた。
執務室には再び、紙をめくる音だけが響く。やがて、机の上へ広げた古い教会記録を見下ろした。
「……やはり、か」
小さく呟く。
横で控えていたマルクが視線を向けた。
「何か見つかりましたか」
私は、一冊の古い記録書を指で叩いた。
教会が残した年代記。飢饉、疫病、死者数、施療院の記録まで細かく記されている。
「冷害の年だ」
「はい」
「阿片の消費量が跳ね上がっている」
マルクが眉を寄せる。
私は読み上げた。
「“咳止め薬不足”、“下痢止めの配給制限”、“施療院での鎮痛薬欠乏”……」
どれも、冷夏の翌年に集中していた。
寒さで作物が育たないと、飢えが来る。栄養を失った人間は病に倒れる。咳が止まらず、腹を壊し、熱を出し、衰弱する。そして当時の医療で、それを抑えられる数少ない薬が阿片だった。
鎮痛、鎮咳、止瀉。万能薬と呼ばれる理由だ。
私は立ち上がった。
「マルク。急ぎ書簡を出す」
「どちらへ」
「大国だ。南方属州での阿片原料の増産を依頼する」
「……理由は、どう説明なさいます」
そこだった。
私は少し黙る。
冷害が来る、飢饉が来る、感染症が流行る、だから備えろ。そんな話を、そのまま書ける訳がない。
下手をすれば混乱を招く。
穀物商人が動き、市場が荒れる。教会まで騒ぎ始めれば、今度は“終末の兆し”だと民衆が怯える。何より、予測が外れた場合、こちらの信用が死ぬ。
私は静かに言った。
「“医療需要の増加に備えた供給安定化”として書け」
「なるほど」
「近年、施療院と外科治療が増えている。軍用備蓄の必要性もある。そういう形にする」
嘘ではない。実際、阿片需要は年々増えていた。医学大学が広まり、外科手術が増えれば当然だ。
「買い付け量は」
「通常の二倍」
マルクが、珍しく言葉を失った。
「……かなりの量になります」
「分かっている」
財政も圧迫する、保管倉も必要だ。
だが、足りなくなる方が問題だった。
飢饉の最中、薬が尽きた施療院ほど地獄になる。
私は、教会記録へ再び目を落とした。
そこには、古い文字でこう記されていた。
“冬を越えられぬ者、道に満ちる”
私は静かに息を吐いた。
必要な物が、必要な時に届かない恐怖。時代が違っても、本質は変わらない。
だからこそ、誰にも理解されなくても、先に動く。
「殿下。本当に、そこまでの事態になるのでしょうか?」
マルクが、低く問う。
私は、少しだけ考え、首を振る。
「分からん」
正直な答えだった。
未来など、誰にも読めない。けれど。
「最悪を想定して備えるのが、管理する側の仕事だ」
私はペンを取り、羊皮紙へ視線を落とした。
大国への書簡。
これは単なる薬ではない。冬を越えるための命綱だ。
私は静かにペン先を走らせた。