軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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姉の見送りを終え、領地へ戻った頃には、空気はすっかり変わっていた。

雨の中馬を降りた私は、城門を見上げながら小さく息を吐いた。

皇国との婚姻話、対策班の編成、医学大学と製薬院の防諜。頭痛の種はいくらでもある。

それでも、城へ入った瞬間、私は少しだけ肩の力を抜いた。

「殿下」

マルクが、一礼する。

「例の件ですが、工程分離は順調です。職人ごとの立入区域も制限しました。防諜班からの報告はこちらに」

「わかった」

私は頷いた。

皇国対策は、着実に動いていた。

誰か一人に依存しない。技術を組織に落とし込む。それは時間こそかかるが、一度形になれば強い。

だからこそ、私は半ば安堵していた。

この時までは。

「殿下」

マルクが、少し声を落とす。

「あの商人が、至急お会いしたいと」

「今?」

「かなり急いでいる様子です」

嫌な予感しかしない。

私はそのまま執務室へ向かった。中では、一人の商人が待っていた。

以前、私に情報の提供を持ち込んできた男だ。旅埃まみれのまま立ち上がり、深く頭を下げる。

「お戻りのところ失礼を」

「構わない。何があった」

商人は、一瞬ためらった後、低く言った。

「……北方諸侯で、小麦価格が上がり始めています」

私は眉を寄せた。

「どの程度だ」

「まだ二割ほど。しかし、上がり方が早いです」

二割、普通なら誤差とも言える。しかし、“上がり始め”としては速すぎた。

私は椅子へ座り、机を指で叩く。

「理由は」

「長雨です」

商人が答える。

「西側の街道沿いで、雨が続いております。麦が倒れ、乾燥が間に合わないと」

「……他は」

「巡礼者の話では、妙な冷え込みがあったとか、聞いてます」

すると商人が、さらに声を落とした。

「それと……皇国側でも、動きがあります」

「動き?」

「酒場で聞いた話です。皇国の言葉で、密かに話していた者たちがおりました」

私は視線だけで先を促した。

「“技術が盗めない”と」

空気が、わずかに張る。

商人は慎重に続けた。

「病人に成り済まして薬を得ようとしても、診察記録が厳重過ぎる、とも」

商人は苦い顔をした。

私は小さく息を吐く。

「……それで?」

「連中、最後にはこう言っていました」

商人は低く言った。

「“ここまで厳重なら、皇国も正式交渉へ切り替えるしかない”と」

皇国も、気づいている。

これは単なる地方領地の特産ではない。国家の均衡に関わる技術だと。

私は商人に報酬を支払い、送り出した。

部屋に沈黙が落ちた。

問題はそれだけではない。

去年の冬は長く、春先も気温が低い日が続いた。そして今、各地での長雨。遠い記憶を探る。

私は視線を上げた。

「教会の記録庫から、過去三十年分の収穫記録を持ってこい」

マルクが一瞬だけ目を瞬かせる。

「今からですか」

「今だ」

嫌な流れだった。

物流が乱れ始めた時、一部だけ値段が跳ね始めた時。

“まだ大丈夫”と言われていた時ほど危ない。

数時間後、机の上には大量の羊皮紙が積まれていた。

収穫量、冬季の積雪量、葡萄酒の出来。教会が律儀に残していた記録だ。

私はそれを順にめくっていく。

「……やはり周期があるな」

「分かるのですか?」

マルクが半信半疑の顔をする。

「完全には読めない。だが、冷える年は続く」

一度冷害が起きると、数年単位で不作が連鎖していた。そして今年は、その入り方に似ている。

私は顔を上げた。

「マルク。すぐに命令を出す」

空気が変わる。

「まず、穀物の国外流出を制限」

「承知しました」

「次に、備蓄倉を開けるな。市場価格が上がっても今は放出しない」

マルクが目を見開いた。

「何故ですか」

「確保する」

私は立ち上がった。

「飢饉は、“足りなくなってから”では遅い」

最初の数週間で勝負が決まる。皆が慌ててからでは、もう穀物は買えない。

「寒さに強い作物へ切り替えろ。ライ麦と蕪を増やす。水路の点検も急げ。クロウフォード領にも伝えろ」

私は矢継ぎ早に指示を出していく。

「まず、水路だ」

マルクが即座に羊皮紙へ書き込む。

「灌漑路は全部点検しろ。上流から順番だ。泥が溜まっている場所は掘り返せ。木の根が入り込んでいる箇所は切れ」

長雨の年は、水が“足りない”のではなく、“多すぎる”。

排水が遅れれば、畑は腐る。麦は倒れ、根が傷み、収穫前に黒ずむ。

「特に低地の畑だ。排水溝を広げる。増水時に逃がせるよう、川へ落とす副水路も掘れ」

「人手はどうします」

「公共工事扱いにしろ。日当は備蓄麦で払う」

飢える前に仕事を与える。治安維持も兼ねていた。

私はさらに続ける。

「倉庫もだ」

領内には既に幾つかの備蓄倉がある。

しかし平時用だ。本格的な冷害には足りない。

「石造りの大型倉庫を増設する。湿気を避けるため床は高くしろ。地面へ直接置くな」

湿気た穀物は腐る。腐敗は、そのまま疫病へ繋がる。

「換気窓を増やせ。だが鼠が入れないよう鉄網を張る」

「……かなり費用がかかります」

マルクが慎重に言う。

「穀物を失うより安い」

私は即答した。

「あと、保管場所を分散しろ。一箇所に集めるな」

火事、盗難、暴動。倉庫一つが落ちれば終わる状況は避ける。

「教会、騎士団、商会倉庫。全部使え。帳簿は統一管理する」

私は別の紙を引き寄せた。

「輸送も問題だ」

冷害時、一番先に死ぬのは“届かない村”だ。

「荷馬車を増やす。車輪職人を集めろ。予備車輪も作らせる」

冬道では、車輪はすぐ壊れる。泥濘に嵌まり、凍結で軋み、山道で割れる。

「馬の飼料も備蓄対象に入れろ。運ぶ馬が飢えたら意味がない」

「街道整備は?」

「最優先だ。橋も補強しろ。特に北側街道」

雪解けで橋が落ちれば、物流そのものが止まる。

「それと、乾燥小屋。長雨で一番困るのは、収穫しても乾かせないことだ」

刈った麦は、水気を含んだままでは腐る。

保存も出来ない。カビが生え、食べれば腹を壊す。

「だから、強制乾燥設備を作る」

「……強制?」

「石造りの小屋を建て、中で火を焚く」

煙を逃がすための高い通気口、熱を回すための棚、濡れた麦束を吊るし、数日かけて乾燥させる。

「薪の確保も必要になりますか」

「森の伐採量を管理しろ。乱伐はするな」

冬を越える薪まで減れば本末転倒だ。

私は大きく息を吐いた。

やることが多すぎる。

前世で言えば、物流網とインフラと備蓄管理を同時に立て直しているようなものだ。

しかも相手は天候、交渉も出来ない。

私は窓の外を見た。

雨はまだ降っていた。

静かに。

だが確実に、世界を冷やしていくように。

マルクが、ぽつりと呟いた。

「……まだ、不作と決まった訳ではありませんが」

「だから今やるんだ」

私は即答した。

「決まってから動くのは、危機管理じゃない。ただの後始末だ」

「また忙しくなります」

「……そうだな」

……本音は、嫌になる、だ。

ようやく皇国対策が軌道に乗り始めたところなのに、今度は天候だ。

世界は、本当に休ませてくれない。

それでも、守るべきものは、目の前にあった。

「……備蓄量を再計算する」

私は机へ向き直る。

「最悪、二年耐えられる形にする」

時間との戦いが、始まった。