軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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その酒場は、雨の匂いが染みついていた。

旅人、傭兵、商人。 雑多な人間が酒を飲み、怒鳴り、笑っている。

その片隅で数人の男たちが、低い声で会話を交わしていた。使っているのは、皇国の言葉だった。

「……駄目だ」

外套姿の男が、苦々しく酒を飲み干す。

「想像以上に締め付けが厳しい」

向かいの男が眉を寄せた。

「そこまでか?」

「ああ。阿片の流れが、全部記録されている」

酒場の喧騒の中でも、男たちは声量を落としていた。

「搬入量、加工量、投薬量、廃棄量。全部だ」

「単なる温泉療養地だぞ?」

「だからおかしいと言っている」

男は吐き捨てるように言った。

本来、地方の工房など穴だらけだ。職人は勘で働き、 帳簿は適当、 横流しは日常茶飯事。

賄賂を積めば、原液の壺くらい簡単に消える。そのはずだった。

「職人の買収は?」

「失敗だ。一人が全工程を知らん」

即答だった。

濾過担当、蒸留担当、調合担当。

作業が細かく分けられている。しかも、立入区域まで制限されていた。

「工程書もあるらしいな」

別の男が顔をしかめる。

「図付きだと」

「ああ。秘伝を文字にしている」

職人の世界では、あり得ない話だった。

技術とは、盗んで覚えるもの。親方から弟子へ伝わるもの。それを、誰でも読める形にしている。

「そのせいで新人でも動ける」

「熟練職人が倒れても止まらない」

「気味が悪い領地だ」

男たちは、不快そうに酒を飲んだ。さらに厄介なのは。

「阿片の管理だ」

最年長の男が低く言う。

「病人に成り済まして、処方を受けようとした」

「ほう」

「だが無理だった」

診察は複数の医官で確認、投薬量も記録。再来院時には症状の経過まで照合される。

咳の頻度、歩き方、顔色。少しでも不自然なら、別室へ回される。

「……そこまでするか?」

「する」

男は苦々しく続けた。

「何でも、不正を見逃した医官がいたらしい」

「それで?」

「免許剥奪。領地追放だ」

数人が沈黙した。

この時代、医官資格を失うというのは、ほぼ人生の終わりを意味する。しかも追放。

二度と大学へ戻れず、 教会の保護も失う。

「……生き恥を晒せと」

誰かが小さく呟く。

「そりゃ、医官も慎重になるか」

阿片は利益になる。だから普通は、どこかで腐る。だが、この領地は違った。不正が割に合わない。

「賄賂も通じん」

「監査役がいる」

「しかも、医官同士で相互監視しているらしい」

「何なんだ、あの領主は」

苛立ちが滲む。

もっと簡単だと思っていた。婚姻外交の裏で、職人を買収し、技術か処方箋を持ち帰る。いつもの流れで済むはずだった。

「姉が皇国へ嫁ぐと決まった時点で、全部動いていたらしい」

男が低く言う。

「情報漏洩対策、防諜、帳簿管理、工程分離」

「まるで戦時体制だな」

「実際、戦争のつもりなのだろう」

技術戦争。

誰かが、深く息を吐いた。

「……だから、正式交渉へ切り替えたのか」

「王も、これ以上は無駄と判断された」

盗めないなら、表から引き出す。

共同研究、医師団交流、正式提携。

それが、今の皇国の方針だった。

酒場の喧騒だけが遠く聞こえた。

やがて、一人の若い男が、小さく呟く。

「……俺たち、どうなるんだろうな」

空気が止まった。

誰もすぐには答えない。

失敗した、成果もない。それどころか、こちらの動きは恐らく相手に把握されている。

諜報の世界で、それが何を意味するか。

若い男以外は、全員知っていた。

そして、最年長の男が静かに酒を置いた。

「……知りたいか?」

若い男の喉が、小さく鳴る。

「失敗した密偵は、口封じされるか、“名誉挽回”を命じられる」

誰も笑わなかった。

「生きて帰れない任務だ」

国境の潜入、盗賊地帯への潜伏、敵国要人の暗殺。あるいは―― 責任を押し付けられたまま消える。

「……はは」

若い男が乾いた笑いを漏らす。

「笑えねぇな」

「実際、笑えん」

男は淡々と言った。

「俺たちは、知り過ぎた」

酒場に重い沈黙が落ちる。

誰も、次の酒に手を伸ばさなかった。

やがて、一人がぼそりと呟いた。

「第三王子、か」

嘲笑はなかった。

そして、男たちは気づいていなかった。

酒場の隅で、 一人の男が静かに酒を飲んでいたことを。

旅商人のような、地味な格好。

目立たない男だった。

しかし、彼は会話の最後まで一言も聞き漏らさなかった。

やがて酒を飲み干すと、 静かに席を立つ。

勘定を済ませ、 雨の降る夜道へ出る。

向かう先は、一つだった。

領主、レオンハルトへの面会である。