作品タイトル不明
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暫くして、静かな食卓に国王の声が落ちた。
「レオンハルト、王家主催の狩猟祭には参加するのか?」
不意の問いだった。
私はわずかに考え、静かに首を下げる。
「……ありがたいお誘いですが、領内の整備がまだ道半ばにございます。今しばらくは、持ち場を離れるわけには参りません」
やんわりとした拒絶だが、その意味は十分に伝わる。
しかし、国王は不快そうな顔をすることなく、むしろわずかに口元を緩めた。
「商業は数字を上げ、学院は優秀な者を多数輩出している。そして、この国随一と噂される医療の地まで築き上げた」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「見事だ」
それは、手放しの称賛だった。
「……皆の支えがあったおかげです」
「この場で謙遜は不要だ」
温かな視線が、向けられる。
「本当にな」
第二王子が言う。
その声には、称賛だけではない、別の色がわずかに混じっていた。
国王は、小さく頷いた。
「クロウフォードの領地の報告を見たが、順調そうだな。しかし、余裕があるとは言えぬか」
「は」
短く応じる。
そのやり取りを聞いていた第二王子が、静かに口を開いた。
「私も、今回は参加を控えます。婚姻を控えたこの時期、動きを読まれる可能性があります。祝いの場を狙った襲撃がないとは言い切れません」
淡々としているが、内容は重い。
「不用意に戦力を外へ出すべきではないかと」
国王は、その言葉を受けてゆっくりと頷いた。
「……よかろう」
一度、全員を見渡す。
「各々の務めを果たせ。それが、この国を支える」
短い言葉だったが、その場にいる誰もが自分の役割を理解していた。
ふと、王妃が柔らかく息をつく。
「今回の狩猟祭は、少し寂しくなりそうね」
視線を巡らせ、微笑む。
「でも、その分しっかり務めを果たしてみせるわ」
軽やかな言い方だったが、その瞳は揺るがなかった。
翌朝。
父王、母妃、重臣たち、そして姉。
「来たか」
父王の声は、いつもと変わらない。
だがその場は、家族の集まりというより、儀式に近かった。
姉は一歩前に出る。
豪奢な衣装に身を包み、すでに“どこか遠い人間”のように見えた。
「此度の婚姻は、両国の安定に寄与するものと心得ております」
静かに、淀みなく告げる。それは報告であり、誓約だった。
王妃が続く。
「向こうの宮廷では言葉遣いに気をつけなさい。あの国は礼を重んじます」
「はい」
「侍女たちは既に選んであります。あなたの振る舞い一つで、我が国の価値が測られると思いなさい」
「心得ております」
会話は淡々と進む。
そこに、個人的な感情の入り込む余地はほとんどない。ただ一度だけ、姉の視線がこちらへ向いた。
それだけで、言葉はいらなかった。
「……身体には、気をつけて下さい」
私が口にしたのは、それだけだった。
あまりに軽い言葉だったかもしれない。
だが、この場で許される“私的な言葉”は、それが限界だった。
姉は、わずかに微笑んだ。
「ええ」
それは王女としてではなく、姉としての最後の応答だった。
私たちは、姉を城の門まで見送った。
すでに外は、人で埋め尽くされていた。
城門から続く大通りには、色とりどりの旗が掲げられ、楽師たちの奏でる音が空気を震わせている。
馬車は、ひと目で分かるほどに豪奢だった。
金糸で縁取られた幕、磨き上げられた車輪、その周囲を固める騎士たち。
そのすべてが、これは「一人の娘の旅立ち」ではなく、「国家の行事」なのだと告げていた。
歓声が上がる。
民衆は手を振り、名を呼び、祝福の言葉を投げかける。その声に応えるように、姉はゆっくりと手を上げた。
その姿は、いつもと変わらない。けれど、もう、同じ場所には戻らない。
父は何も言わずに、ただ一度だけ、深く頷く。
母は、最後まで微笑みを崩さなかった。その指先が、わずかに震えていたことに気づいたのは、私だけだったかもしれない。
やがて、馬車の扉が閉じられる。
重く、確かな音。それが合図だった。
隊列が動き出す。
先導する騎馬、続く馬車、護衛の兵、そして贈り物を載せた荷車の列。
長い行列が、ゆっくりと城門を抜けていく。
私は、その背を見送った。
見送りの列がゆっくりと遠ざかっていく中、不意に、過去のある夜の言葉が脳裏をよぎった。
――温泉は、人を癒す場所です。
あの時、王妃は静かに微笑みながら、少しだけ間を置いて続けた。
――けれど時に、国も癒すのよ。
その意味を、当時の私は十分に理解していなかった。
今では、各地から人が訪れるようになった。 湯治場の周囲には街が広がり、商人が集まり、医師たちは知識を求めて行き交う。 医学を専門に学ぶ場まで築かれた。
病を癒やすために始まったものが、人を呼び、富を呼び、技術を呼び込んでいる。それはもう、一領地だけの話ではなかった。
あの夜。 王妃は、ここまで見えていたのだろうか。
温泉地の未来を。それとも、私になら成し遂げられるという可能性を。
ふと隣を見ると、王妃が遠ざかる馬車の列を静かに眺めていた。
「あなたの領地、ずいぶん賑やかになったそうね」
柔らかな声だった。
「温泉療養地だけではなく、医学を学ぶ者たちまで集まっているとか」
「まだ発展の途中です」
そう答えると、王妃は小さく笑う。
「途中であれだけ形になっているなら、十分すごいことよ」
風が静かに吹き抜ける。
王妃は目を細め、どこか楽しげに続けた。
「いつか私も行ってみたいわ。ゆっくり湯に浸かって、あなたが作った町を見て回ってみたいの」
その声音は穏やかで、けれど本心だった。
そして、ふと寂しそうに微笑む。
「……本当は、あの子も一緒なら良かったのだけれど」
遠ざかる豪奢な馬車。その背を見つめながら、王妃は静かに首を振った。
「さすがに、それは難しいわね」
第一王女として嫁いだ以上、簡単に帰国などできない。 それを、誰より理解している声音だった。
私は何も言えなかった。
ただ、空へ消えていく隊列を見つめながら、胸の奥に小さな痛みだけが残っていた。