作品タイトル不明
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周知を出してからの反応は、早かった。
最初に声を上げたのは、古参の薬師だった。 白髭を震わせ、羊皮紙を睨みつけている。
「俺たちの技を……紙切れにする気なのですか!」
工房の空気が、一気に張り詰めた。
机の上には、分厚い羊皮紙の束。 図付きで描かれた工程書だった。
芥子の乳液を乾燥させる時間。 蒸留釜の火加減。 濾過布の交換時期。 保存壺を置く温度。
これまで親方の“勘”で伝えられてきたものが、すべて文字になっていた。
「こんなものが広まれば、見習いでも真似できます!」
「秘伝はどうなるのです」
「我らの価値を下げる気ですか!」
薬剤師ギルドの職人たちが次々に声を荒げる。
彼らにとって技術とは、家そのものだった。 十年、二十年とかけて盗み、覚え、ようやく身につくもの。 それを“標準化”するなど、誇りを奪う行為に等しい。
私は、黙って彼らを見ていた。
やがて、一人が言う。
「殿下は、職人をただの作業員にするおつもりか」
静かな怒気だった。
私は椅子に座ったまま答える。
「逆だ」
視線が集まる。
「単純作業を減らす」
工房のざわめきが止まらない。
私は、机上の工程書を一枚めくった。
「今のお前たちは、“全部”をやり過ぎている」
乾燥も、抽出も、蒸留も、調合も、保存も。 一人の熟練者に依存している。
だから、その人間が倒れれば止まる。弟子が育つまで十年かかる。納品量も増えない。
「非効率だ」
その言葉に、何人かが眉をひそめた。
私は続ける。
「工程を分ける。基礎作業は新人でもできるようにする」
単純工程は、手順書通りに進めればいい。
「その代わり」
私は、職人たちを見る。
「お前たちは、“上”へ行け」
「……上?」
「新しい鎮痛薬の調合。保存期間の延長。麻酔の改良。純度の研究」
工房が静まる。
「それは、誰でも出来る仕事じゃない」
大学の医師たちが理論を組み、薬剤師たちが実際に加工する。
巨大な蒸留釜の並ぶ製薬院。 甘く重い香りの中で、職人たちは生阿片を細かく刻み、高純度の蒸留酒へ浸し、不純物を沈殿させ、濾し取り、保存瓶へ移す。
もっとも、この領地では、阿片加工を夜通し行うことは禁じられている。
火の管理が難しくなる。温度の記録が乱れる。疲労した職人は、配合を誤る。
それは、そのまま患者の死に繋がった。
だから製薬院では、鐘が鳴けば火を落とす。
煮沸も、抽出も、濾過も、すべて日中のうちに終える。
夜間に許されるのは、記録官による帳簿整理と、冷暗所での沈殿確認のみだった。
最初は、「薬は昼夜を問わず作るものだ」と反発もあった。だが結果として、品質のばらつきは減り、蒸留事故は激減し、職人の離脱も減った。
医学大学は、それを数字で証明した。
そして、その中でも本当に価値があるのは“新しい処方”を作れる人間だった。
「技術を隠して終わる職人になるか。技術を積み上げて、次を作る側になるかだ」
誰も、すぐには反論しなかった。
そこへ、別の不満が飛ぶ。
「しかし、定時で工房を閉めるとは何事です」
増員したばかりの管理役だった。
「薬作りは、日を跨ぐこともあります」
「鐘が鳴ったから終わりなど、商売を甘く見ております」
周囲も同意するように頷く。
私は、少し疲れた顔で答えた。
「倒れた人間は働けない」
「……は?」
「過労で職人が倒れれば、生産は止まる。判断ミスも増える。蒸留釜の事故も起きる」
私は指で机を叩いた。
「管理とは、“続けられる状態”を作ることだ」
工房を無理に回し続ければ、いずれ破綻する。
だから朝礼を行う。今日の作業量を決める。 問題は早く報告させる。定時直前に問題を持ち込んだ者は評価を下げる。
「明日できる仕事は、明日に回せ」
それが、私の方針だった。
「……しかし」
管理役が食い下がる。
「領主たるもの、夜通し働く姿を見せるべきでは」
「私が倒れたら」
私は遮った。
「皇国との交渉は誰がやる?」
言葉が止まる。
「医学大学の管理は?供給契約は?巡礼路の整備は?」
誰も答えない。
私は静かに言った。
「気合で回る組織は、長持ちしない」
沈黙が落ちる。
やがて、後方にいた若い薬師が、おそるおそる口を開いた。
「……定時で帰っても、給金は減らないのですか」
「減らさない」
「終われば帰っていい?」
「ああ」
工房の空気が、少し変わった。
「なら……悪くないかもしれません」
誰かが小さく呟いた。
別の職人が、工程書を手に取る。
「この図、分かりやすい……」
「砂時計三回分、か。確かに新人でも覚えられる」
反発は、消えていない。だが、興味は生まれていた。
翌日、私は積み上げられた報告書を見下ろしていた。
羊皮紙の束は、もはや小山のようになっている。阿片の保存記録、抽出温度、蒸留酒の配合比率。患者ごとの症状と投与量、術後の生存率、副作用の有無。
「……随分な量になりましたな」
背後で、マルクが静かに言う。
「ああ」
私は一枚を手に取った。古い報告書だ。医学大学を設立したばかりの頃のもの。
まだ手探りだった。
生阿片は、黒く粘ついた塊のまま木箱へ詰められていた。 葉で包まれ、湿気を避けるため蜜蝋まで塗られている。高価で、不安定で、品質にもばらつきがあった。
大学で使う前は、それをそのまま削って使っていた。しかし、効き目が強すぎるものもあれば、弱すぎるものもある。量を誤れば、人は眠るように死んだ。だから、大学なのだ。
理論を積み上げる者と、手を動かす者を分けるために。
大学の医師たちは、阿片の性質を研究した。 どの熱で変質するか。どの酒に溶けやすいか。どの香草が副作用を抑えるか。
古典語の論文を書き、議論し、処方を組み立てる。
一方で、職人達では別の戦いが続いていた。
そのすべてが、この国の“医療”を支えている。
「最初は、随分反発もありましたな」
マルクが言った。
「そうだな。“学者風情に仕事が分かるか”と」
職人たちは、自分たちの技術を秘伝として抱え込んでいた。当然だ。それが、自分たちの価値だったからだ。
大学側も大学側で、職人を粗野だと見下していた。
理論ばかり語る者、経験だけで動く者、互いに噛み合わなかった。
けれども、私は両方必要だと理解していた。
理論だけでは、薬は作れない。職人技だけでも、品質は安定しない。
だから、組織ごと繋いだ。
大学が処方を定め、職人が加工する。記録官が結果を残す。失敗例も、全て保存する。
誰か一人の勘に頼らない。
それが、今のこの国のやり方だった。
そして、私は机の上に広げられた羊皮紙を見渡した。
「……一人で全部やるのは、無理だな」
前世でもそうだった。 全部を抱え込む人間から、先に潰れる。だから私は、最初に決めた。
「組織で回す」
それだけだ。
「マルク」
呼ぶと、控えていたマルクが静かに一礼した。
「はい」
「対皇国用の体制を作る。今日からだ」
私は、羊皮紙を一枚引き寄せる。
そこには、既に大まかな役割を書き出してあった。
「まず、統括班。交渉窓口は私がやる」
「承知しました」
「皇国との話は、全部ここを通す。勝手な返答は禁止だ。口約束もするな」
中世貴族は、曖昧な言葉で縛る。笑顔で譲歩を引き出し、後から“そういう意味だった”と押し込んでくる。だから、記録を残す。
私は続けた。
「次に、防諜」
「……防諜、ですか」
「職人の周囲を洗え。最近、妙に羽振りの良い者はいないか。酒場で情報を聞き回る連中はいないか」
阿片技術は、金になる。ならば当然、盗みに来る。
「職人本人だけじゃない。家族も保護しろ。脅しは、弱いところから来る」
マルクが、わずかに目を細めた。
「既に候補はおります」
「早いな」
「殿下が“こうなる可能性”を話された時点で、多少は」
有能で助かる。
私はさらに紙をめくった。技術班、経済班、軍事・治安。次々と挙げる。
やがてマルクが口を開く。
「殿下」
「何だ」
「結局、かなり働いておられませんか」
私は、少しだけ顔をしかめた。
「最初に仕組みを作れば、後が楽になる」
「……また、その話ですか」
「重要だぞ」
前世の経験上、属人化した組織は死ぬ。
誰か一人が倒れた瞬間、全部止まる。
だから私は、人を動かし、役割を分け、流れを作る。そして。
「定時で帰る」
真顔で言うと、マルクが珍しく黙った。
「……皇国との外交戦となっても、ですか」
「だからこそだ」
疲れた頭でやる判断ほど危険なものはない。
私は立ち上がった。
「始めるぞ、マルク」
私は静かに言った。
「国家相手の交渉だ。ならこちらも、“組織”で戦う」