作品タイトル不明
0588 動き
「いやあ、本当に助かった」
皇宮近くにある司隷台の入口で、二メートル近い大柄な体格に完全に剃り上げた頭の男性が、ダーウェイ式の両手を胸の前で重ねる礼をとり、頭も深々と下げていた。
「いえ、救えてよかったです。それに、俺らも帝都に向かっていたので」
頭を下げられた者たちの一人が、慌てたように手を振る。
その後ろにいる仲間たちも、苦笑しているようだ。
「このリー・ウー、お主らの恩義、生涯忘れんぞ。今回は、しばらく帝都に滞在することになるだろうから、いつでもこの司隷台に来てくれ」
そう言うと、再び礼をとって、リー・ウー刺史は自らが所属する司隷台に、一年ぶりに入っていった。
「よし、俺らも役目を果たすか」
「はい」
リーダーである三級冒険者ジュン・ローの言葉に、笑顔で頷く参謀役の魔法使いバリリ。
無言のまま頷く斥候チュンク、治癒師シュン・リー、そしてもう一人の剣士ロソ。
かつて虎山で、幻人ガリベチ率いる魔物の集団からの、熾烈な撤退戦を率いたジュン・ローを班長とする五人の三級パーティーだ。
「まずは兵部にフー・テン副代官からの書類を届けた後、領主様の宿に報告書を届ける」
「確か兵部は、この司隷台の少し北でしたね」
ジュン・ローの手順確認に、バリリが答える。
彼らはボアゴーの冒険者互助会所属であるが、今回のような仕事を数多くこなしているため、帝都に来ることも多い。
低級な冒険者はさすがにないが、三級ともなれば領主直々の仕事すら指名される。
政府関連の書類の移送を請け負うことすらある。
明確な上級冒険者なればこそであった。
ジュン・ローらと別れ、リー・ウー刺史は一年ぶりに司隷台の門をくぐった。
とはいえ、特に感慨深い思いもない。
帝都にあるこの司隷台に戻ってくるのは、ほとんど報告のためであり、一年の半分以上はダーウェイ全土を巡っている。
リー・ウー刺史が所属する司隷台とは、一口で言って、ダーウェイの地方を監察するのが役目だ。
帝都のある『中黄』は、そのほとんどが皇帝直轄領となっているが、他の地域は公または伯が領主となって治めている。
正直、ダーウェイの国土は広すぎ、中央からの目が届いていない場所の方が多いだろう。
公ならびに伯は、本来は皇帝から領地の管理を任された者にすぎなかったのだが、代を経るごとに世襲化していった。
皇帝ならびに中央政府も、広すぎる国土の管理には苦労していた。
広すぎるがゆえの地方による産出品の違いなど、けっこう大変だったのだ。
そのため、税さえきちんと納めれば、ある程度の自由裁量を認める……そうならざるを得なかった。
だが、その結果、重税を課し私腹を肥やす領主も現れた。
そんな領主を監察する権限を持って、ダーウェイ全土を回るのが司隷台に属するリー・ウーら、刺史である。
その中でも、気骨のある刺史として知られ、賄賂を受け取らないと評判のリー・ウー刺史を煙たがる領主はけっこう多い……。
「大夫、リー・ウー刺史が報告したいとの事です」
「通せ」
リー・ウー刺史が通されたのは、司隷台を束ねる司隷大夫の執務室。
「刺史リー・ウー、ただいま戻りました」
門の前でジュン・ローらに施したのと同じほど深々と頭を下げるリー・ウー。
頭を下げた先に座るのは、上司たる司隷大夫ジューオン。
司隷大夫ジューオンは、御年七十五歳。
真っ白な髪を丁寧に結い上げ、赤い冠で留めている。
胸まで伸びた白い髭を撫でているが、それは彼が考え事をする時の癖でもある。
「リー・ウー、一年ぶりぞ? ボアゴーの街からの文では、二カ月前には帝都に戻ってきておるはずではなかったか?」
大夫ジューオンの声は優しい。
見た目通りの好々爺然とした声と言うべきだろうか。
だがリー・ウーは知っている。
それはジューオンが猫を被っているだけだということを。
「申し訳ございません。最後のガバン伯の領地でいろいろとございまして……」
「その報告も入っておるわ。ガバン伯の甥御に襲撃されて、返り討ちにしたと。しかもその後、ガバン伯自身が率いる手勢と戦ったじゃと? そんな刺史、聞いたこともないぞ」
「あはは……」
呆れたような口調で言う大夫ジューオン、苦笑するしかないリー・ウー。
「いつも言っておろうが。相手に気取られずに不正の証拠を握るのが優秀な刺史じゃと」
「はい、不出来な弟子で申し訳ございません」
「しかもその恰好……ボロボロではないか。もしや、ガバン伯の後にも襲撃されたのか?」
「ええ、まあ……」
ボロボロな服のまま、すぐに報告にあがったリー・ウーは、やはり苦笑するしかない。
苦言を呈されているが、ジューオン大夫が自分を非難しているわけではないことは分かっているためだ。
本来の刺史の働きは、静かに証拠をつかむ……それが基本。
だが、リー・ウーはどうしても目立ってしまう。
しかも、証拠も掴んでしまう。
その結果、領主たちから命を狙われる……。
だが、仕事はできている。
ジューオン大夫も、そこは評価しているために心配して苦言を呈している。
「まあよい。じゃが、今回は帝都を空けすぎじゃ。さすがに一年も空ければ、やるべき報告が山のようにたまっておるぞ」
「はい……承知しております」
リー・ウー刺史も、それは理解している。
そのため、今回は長く帝都にいる羽目になるであろうことも……覚悟している。
だが同時に、できるだけ早く、司隷大夫たるジューオンに、直接報告すべき事もある。
「いつもの報告はこれからおいおい書きますが、取り急ぎ師匠にお伝えしておきたいことがございます」
「ふむ、聞こう」
リー・ウー刺史は、虎山の件を報告した。
ダーウェイ各地で魔物の襲撃が相次いでいるが、その背後に『幻人』と呼ばれるものの存在がある。
虎山で灰色ゴブリンを率いていた幻人は、ガリベチと名乗った。
一連の報告を語り終えたリー・ウー刺史。
だが、ジューオン大夫の反応が何やらいつもと違う。
ジューオン大夫は目を細めて問うた。
「リー・ウー、幻人という言葉、なぜ知った? そのガリベチという者が、種族名を名乗ったのか?」
「は? いえ……。元々、幻人は、演義の類には出てきていましたが」
「それは知らなんだ。お主はそういうのが好きであったな」
小説というか、物語と言うべき『演義』の中には、『幻人』という表現は出てきていた。
もちろんそれは、歴史家などからは一顧だにされないタイプの書物なので……。
「虎山の幻人に関しては、種族名などは名乗らなかったそうですが、冒険者が幻人だと指摘したそうです。その冒険者がガリベチに幻人だろうと問いかけて、そうだと答えたのでした。ですが、なぜそんな問いを?」
「ふむ。お主は長く帝都を離れておったから知らぬじゃろうが……いま、皇宮では『幻人』という言葉は軽々に使ってはならんことになっておる」
「はい?」
ジューオンの言葉は、リー・ウーには意味が分からない。
いや、理解できる部分としては、皇宮の者たちも『幻人』という言葉は知っているようだということだ。
「幻人が皇宮を襲撃してのぉ」
「はい?」
「その後、虎山のように魔物を率いる幻人と戦い、第六皇子リュン様が生け捕りにした」
「はい??」
「しかも、北方にできたチョオウチ帝国の特使なるものが、生け捕りにした幻人を引き取りにやってきて、現在外交交渉が行われておる」
「はい???」
ジューオンの言葉は、リー・ウーには全く意味が分からない。
見事に意味が分からない。
「まあよい。少しずつ、離れていた間の事情を知れ。ただ、今も言うた通り、『幻人』という言葉は軽々しく使うでないぞ」
「承知……いたしました」
「じゃが、すでに外にはその言葉を知るものがおるということよの。その冒険者は、なぜ『幻人』という言葉を知っていたのじゃ?」
「以前、幻人に会ったことがあるとか言っておりましたが……」
「ふむ、それは気になる情報じゃな」
ジューオンはそう言うと、白髭を撫でる。
一瞬で、深い思考に入ったのだ。
そういう時、リー・ウーは何も言わずに待つ。
「冒険者か……」
ジューオンは呟き、思考が終わった。
「大夫?」
リー・ウーが訝しげに問う。
「今、帝都の冒険者たちが騒がしい」
「あの者たちが喧嘩をするのはいつものことでは……」
「四級以下の低級の話をしておるのではないわ。三級以上……特級すらじゃ」
「特級冒険者が? その頂にいるのは、確か六聖の……」
「うむ、風のツォーシュ・リンじゃ」
リー・ウーの言葉に、ジューオンも頷いて答える。
六聖といえば、ダーウェイの魔法、呪法の頂に座する六人。
シタイフ層もいれば冒険者もいる。
出自や職に囚われず、純粋に強さで選ばれると言われる。
とはいえ、リー・ウーは首をひねる。
ここは司隷台。
「なぜそんなことを話題にされるのですか? そもそも、我ら司隷台は地方の……」
「分かっておる。御史台のシャウ司空が、茶飲み話として呟いただけよ」
ジューオンが小さく首を振った。
「わしの意識の中に、冒険者たちの動きというのを入れておきたかったのじゃろう。まったく……年を取ると腹芸ばかり上手くなりおる」
「それは大夫も……いえ、失言でした」
ジューオンにギロリと睨まれ、すぐに前言撤回するリー・ウー。
ジューオンは上司である。
この仕事に関しての師匠である。
だから知っている、怒らせると怖い……。
気をつけねば。
「まあ、よい。幻人の件は、陛下と丞相に報告しておく。その、報告をした冒険者は……虎山というとボアゴーの街じゃな。ではボアゴー所属の冒険者か。だが今回、お主はボアゴーはもちろん、そこを領するバシュー伯も監察はしておらんだろう? そもそもあの堅物が不正に手を染めるとは思えんが」
「はい、監察はしておりません。ただ、ノモンの街に逗留した際に、バシュー伯ロシュ・テン殿が、その冒険者を連れてこられて伝えられたのです。聞いたところでは、その冒険者たちの所属は港町ランダでした」
「ランダ? そんな南方の冒険者か……」
驚くジューオン。
港町ランダと言えば、広大なダーウェイの中でも、最南端の街の一つだと認識されている。
もちろん、ここは司隷台。
ダーウェイの地方を監察する組織であるため、他の帝都人よりは、かなり地方情勢に詳しい。
「ランダから、例の公主様輿入れ船団の冒険者として雇われて、ボアゴーまで来たと言っていました」
「例の八十人離脱じゃな」
リー・ウーの説明に、ジューオンは苦笑しながら答える。
礼部管轄の下で起きた問題ではあるが、司隷大夫ともなれば詳しい情報が入ってくる。
そして、責任者がどうやって問題を乗り越えたかも。
さすがに、八十人の冒険者を公船に雇ったという『奇策』には驚かされたものだ。
「ああ、そう言えば! その二人の冒険者は、最後に言っておりました。この後、帝都に行くと」
「何? お主はガバン伯の領地で手こずっておったから……もう、その冒険者は帝都に来ておるのではないか?」
「確かに。誰か……そうですね、御史台にでも探してもらいましょうか? 大夫から司空のシャウ様にお話を通していただければ……」
「分かった。人探しを手伝ってくれと伝えておこう。明日の昼にでも、御史台に行ってこい」
「承知いたしました」
だが、ジューオンの言葉はそれだけでは終わらなかった。
「あと、お主の三色じゃ」
「三色?」
「ガジ、グザ、ゴボ」
「あ……」
三人はそれぞれ、赤、青、黄の服を好んで着ている。
「一年も帝都を空けた間、置いていったが……」
「申し訳ございません。まさかこれほど長くかかるとは思いませんで……」
ジューオンの小言に、頭を下げるリー・ウー。
そう思っていたのは事実だ。
長くとも半年、おそらく四カ月で戻ってくると思っていたのだが……一年も。
「お主が責任を持つからと、司隷台で引き取ったが、仕事をせんぞ?」
「はっ……」
「親に頼まれたのであったよな? 性根を叩きなおしてくれと」
「はっ…………」
「しばらくは、監察には出られんと覚悟せよ」
「はい……」
リー・ウーが想定した以上に、今回の帝都は長くなりそうであった……。
「人から求められるのは悪いことではありません」
「……は?」
涼の突然の言葉に、意味が分からず訝しげに見るアベル。
涼が意味不明な言葉を吐くのはいつものこととはいえ、それでもやはり訝しくは思うのだ。
「ここがどこか覚えていますか」
「そりゃあ、聖帝広場だろ」
二人は、冒険者互助会を出た後、聖帝広場に来ていた。
夕方にもなってきたので、ここで晩御飯でも食べていこうとなったのだ。
聖帝広場には、多くの露店が並ぶ。
だが、広場の周囲には、宿屋と共に、お食事処もたくさんある。
今回の狙いは、そんなお食事処。
だが、涼の言葉から出てきたのは、それではなく……。
「かつてここで、アベルは三人に要求されました」
「ああ……三色な」
それは、二人が帝都に到着した日の出来事だった。
「だが、あれは、俺のせいじゃないぞ。向こうから喧嘩を吹っかけてきて……」
「そんな、三色な三下の事などどうでもいいのです」
「はい?」
「つまり、アベルのような者でも、人から求められることがあるということです」
「はい??」
「であるならば、小麦麵の汁ありトントン麺が求められるのは当然なのです!」
「はい???」
涼が口上を述べるが、アベルには意味が分からない。
だが、そんなアベルを、涼は優しく導く。
自らの人差し指で。
「あれです」
涼が指さす先は、ある食事処。
そこには、外に、お品書きが掛かっている。
その一つが……。
「小麦麵の汁ありトントン麺、って書いてあるな」
「ですよね。アベル、覚えていますか?」
「そうだな、あれは、自由都市クベバサだったな」
「そう、今は自治都市となってしまったクベバサで、最初に食べたあの『嬉食庵』にあった……」
「そう、あったな! 二人で注文したな」
涼の顔は元々嬉しそうだが、アベルの表情も嬉しそうになる。
美味しい料理の記憶は、人を嬉しくさせる。
「帝都の小麦麵の汁ありトントン麺がいかほどか、僕らが試してやりましょう!」
「なんで上から目線なんだよ」
涼の言葉に、笑いながら首を振るアベル。
美味しいものの前には、お小言も笑いながらになるのだ。
「それにしても、リョウはライスも好きだが、麺も好きだよな」
「はい?」
「以前、トワイライトランドでも……ラーメンだったか? あれも麺だろう?」
「それもまた懐かしいですね! アグネスさんのところでいただいたラーメン。そう、ラーメンも麺です」
涼は嬉しそうに思い出す。
そして、言葉を続けた。
「かつて麺に生き麺に死すと叫んだ剣士が、いたとかいなかったとか」
「いたのかよ、いなかったのかよ」
「麺こそ我が人生と叫んで厨房で息絶えた麺職人が、いたとかいなかったとか」
「いたのかよ、いなかったのかよ……」
「麺は、多くの人の人生を狂わせる魔性の食べ物なのです!」
「そうか、ならリョウが取り込まれるのも仕方ないな」
「はい、仕方ありません」
そんな魔性の食べ物に惹かれて、二人はお食事処に入っていくのであった。