作品タイトル不明
0578 特使
その日も、皇宮内 暢音閣(ちょうおんかく) では、ヴァイオリンと小さなピアノの音が響いていた。
だが、室外にある舞台では、剣を振る剣士が一人。
「音楽の 牙城(がじょう) で剣を振るとは 無粋(ぶすい) の 極(きわ) み!」
「いや、暇だからな」
少し前までピアノの練習をしていた水属性の魔法使いが 糾弾(きゅうだん) し、剣士が軽く受け流す。
基本的に、工房統領ロンは、 一心不乱(いっしんふらん) に練習している。
分からなくなったり、疑問に思ったことがあるとアベルに聞きにくるが、それ以外は一人だ。
涼もピアノを弾いたり、持ち込んだ錬金術の本を読んだりと、一人だ。
結果的に、アベルは暇になる。
だから、剣を振っていたらしい。
暢音閣には、室内、室外、多くの演奏用の舞台がある。
広さも様々で、最も広い室外の舞台は野外コンサートもできるほどの広さであるため、アベル一人が剣を振るくらい何の問題もない。
「まあ、アベルの剣は映えますからね。 見栄(みば) えは悪くないんです」
先ほど、無粋と言ったくせに、すぐに手のひらを返す涼。
「そ、そうか?」
照れるアベル。
そう、アベルは照れ屋さんである。
「アベルも、楽器を練習すればいいじゃないですか。ヴァイオリン、いっぱいありますよ?」
涼が指摘する通り、工房には、ロンが作ったヴァイオリンがいくつもある。
少し小さめのヴィオラ、大きなチェロ、もっと大きなコントラバスまで……弦楽器は一通りそろっているのではないかと思う。
そもそも、弦楽器の異形種と、涼が勝手に思っているピアノすらあるのだ。
そう、ピアノは弦楽器である。
鍵盤(けんばん) を指で押すことによって音が出るが、内部でハンマーが、張られた弦を叩いている。
それによって音が出る。
だから、弦楽器。
だが、ハンマーで弦を『叩く』から打楽器という認識の人もいる。
事典的に正確な区分では『有鍵弦打楽器』……つまり両方!
ピアノはピアノということなのだろう。
「俺は……そこまで弾きたいとは思わないから」
そう言った時のアベルは、少し寂しそうな表情であった。
よく分からないために、涼は首をかしげる。
「俺がヴァイオリンを頑張ったのは、兄上のためだ」
「お兄さん? カイン王太子?」
「兄上は、ヴァイオリンも完璧だった。ああいうのを、天才と言うんだろうな」
今はもうない何かを見ながら、アベルは遠くのものを見る目になった。
「今のアベルの演奏も、かなり凄いと思うのですが……」
「俺なんて足下にも及ばんよ」
涼が、アベルの演奏を褒めるが、アベル自身は小さく首を振って否定する。
「そんな兄上に、少しでも近付きたくて練習した……」
「アベルの憧れだったんですね」
「憧れか……確かにそうだな。だけど……」
一度、苦笑してから、言葉を続ける。
「絶対に届かない事を理解して絶望した」
「えっ……」
アベルの言葉に、驚き言葉を失う涼。
頑張り屋さんのアベルが、届かない事を理解して絶望する姿は、なかなか想像できない。
「それで、アベルはどうしたんです?」
「兄上が言ってくださったんだ。アルバートには剣で支えてほしいと」
「ああ、なるほど」
「もちろん、その前から剣は好きだった。だがその時だな、俺の剣の全ては兄上に捧げようと決断したのは」
悲しさと懐かしさをたたえた視線で、遠くを見るアベル。
人は、誰かのために一生懸命になった時、信じられない力を発揮する。
では、その『誰か』が亡くなってしまったらどうなるだろう。
それでも一生懸命さを続けられるのだろうか。
「兄上は、国と民の事をずっと気にかけておられた。最後にお会いした時、もうベッドから立ち上がることはできなかったが、それでもだ」
アベルが続ける言葉を、涼は無言のまま聞く。
アベルは、ほんの少しだけ笑って、言葉を続けた。
「だから俺が捧げた兄上への剣は、今は、国と民に捧げている」
そう言い切ったアベルの表情は、悲しさも懐かしさもなくなり、決意に満ちた王の表情であった。
「僕の剣は、アベルに捧げていますから。全力で支えますよ」
「ああ、頼む」
涼とアベルはそう言うと、笑い合った。
五日間、涼とアベルは暢音閣に通った。
その間、帝都は平穏であり、皇宮も平和であった。
だが……。
「チョオウチ帝国の特使?」
「それが、明日来るのか?」
「はい、そう聞いています。ですので、明日は、絶対に室外では演奏するなと 太監(たいかん) 様に口酸っぱく言われました」
涼が首を傾げ、アベルが確認し、工房統領ロンがため息をつきながら答える。
未だ、ロンの演奏は太監から認められていないらしい。
「少しずつ上手くなっている。焦る必要はない」
「はい、ありがとうございます!」
アベルが慰め、ロンは褒められたのが嬉しいのか笑顔を浮かべて答えた。
「チョオウチ帝国って、氷漬けにされているユン将軍の国ですよね? あれだけの騒動を起こしておいて、どの面下げてやってくるのか!」
涼が怒ったように言う。
「捕虜の回収だろ。普通の兵であっても、捕虜になっていることが分かれば、国は交渉して解放してもらおうとする。仮にも『将軍』なら当然なんじゃないか?」
「差別ですね!」
「リョウの主張は、地位に関係なく平等に扱うべきだということか」
「当然です」
アベルが確認し、涼が大きく頷く。
「王国は、たとえ筆頭公爵が捕虜になっても、一般的な解放交渉だけするべきと」
「そ、それとこれとは話が違います」
自分の話題になると手のひらを返すのは誰しもなのか。
焦ったように言う涼。
「リョウがいなくとも、王国は問題なく回るからな」
「なんてことを言うのですか! 僕だって、王国の役に立っています」
「ほぉ~。例えば?」
「た、例えば……そう! いっぱい御飯とケーキを食べて、王国の食品ロスを減らしていますよ!」
「何だ、しょくひんろすって……」
涼の 渾身(こんしん) の返しは、アベルには響かなかったらしい。
「戦争自体をしないで、捕虜を作らないのが一番です」
「まあ、そうなんだが……。普通の旅行客や商売で訪れている王国民を捕らえて、交渉の道具にする場合もある。国どうしだとそういう事もあるからな」
「ああ……」
アベルが指摘し、涼も地球の歴史から確かにそのケースもある事を思い出す。
国どうしの考え方、イデオロギーが違うと、そういう事がよく起きる……。
民にとっては迷惑な話だが仕方のないことでもある。
それが、主権国家が持つ側面の一つなのだから。
世界は単純ではないのだ。
「屋敷の庭に置いてあるユン将軍の氷漬け、あれってリョウしか動かせないんだろ?」
「そうですね。他の人では動かせません」
「なら、捕虜解放ってなったら、あの氷漬けを皇宮まで移動させることになるんじゃないか?」
「ああ、僕がいないといけませんね。いちおう、暢音閣にいますよ~って、皇帝陛下に伝えておいてもらいましょうか」
こうして、ロンド公爵が暢音閣に 入(い) り 浸(びた) っていることが皇帝ツーインに伝わることになった。
翌日。
皇宮内は、それなりに慌ただしい感じとなっている。
とはいえ、皇宮は信じられないほど広いため、全体が慌ただしいわけではない。
あくまで一部だ。
その日も、涼とアベルは暢音閣を訪れていた。
太監に言われた通り、ロン統領の練習は室内で行われている。
涼も、工房のピアノを弾いたり持ち込んだ本を読んだり……。
暢音閣周辺は、今日も変わらずゆったりとした時間の流れであった
「芸術は、時の流れを緩やかにします」
などと、水属性の魔法使いがしたり顔で呟きながら、お茶を啜る。
「例のチョオウチ帝国の特使とかいうのが来るのは、正午だったよな」
「らしいですね。芸術の 麗(うるわ) しい時間を破って訪れるなど、無粋の極みです」
「うん、意味が分からん」
なぜか憤っている涼、芸術は麗しい時間なのかと、言葉を理解できないアベル。
難くせをつけられて可哀そうに……アベルからすれば、そんな感じだ。
そして、正午。
予定通り、特使が皇宮に到着する。
お目通りは、太極殿で行われた。
「チョオウチ帝国特使、エルデネト家のベルケ・ホラン殿」
宣武官が告げると、一人の男性を先頭に、五人の男女が入ってきた。
先頭の男性は、180センチを超える堂々たる体躯。
だが、 居並(いなら) ぶ 廷臣(ていしん) の目を引き付けるのは、そこではない。
金糸で縁取られた黒い東服に、背中まで垂れた白髪が映える。
その顔貌は三十歳ほどであろうか。
一目で、帝国において高い立場にある人物であることを感じさせる立ち居振る舞い、その存在感。
文官たちの中には、息苦しさを感じ、思わず目を背ける者たちもいるほどだ。
「特使殿、 大儀(たいぎ) 」
皇帝ツーインが短く言葉を発する。
それに合わせて、ベルケ特使が両手を体の前で重ねて礼をとった。
現在、東方諸国において、『特使』は国主より全権を委任されたものとして派遣される文字通り特別な使いだ。
それは、国そのものの代表と言ってもいい。
そのため、受け入れ国側から礼を失した扱いを受けることはないし、特使側も国を代表して訪れているため、それを意識した行動をとるのが当然となっている。
「この度は、大いなる誤解によって、不幸な衝突が生じました。その結果、我が国の将軍が捕虜となったとか。私が訪れましたのはその件に関する検証と、その先の外交交渉のためです」
ベルケ特使が述べる。
口調は丁寧であり、言葉も選んであるが、その中身は全く 殊勝(しゅしょう) ではない。
大いなる誤解、不幸な衝突、検証……自国の責任は全く認めていないのだから。
事故であり、故意ではないと言っているのだ。
「ふざけるな!」
居並ぶ廷臣の一人が声をあげる。
まだ若い人物……二十歳ほどだろうか。
大臣ではなく……。
「ビン親王、そう仰られましても」
うっすら笑顔すら浮かべて答えるベルケ特使。
その瞬間、表情が動いた者は数人。
彼らは驚いたのだ。
遠い北方から来たばかりの特使が、声をあげた人物が誰なのかを正確に理解できたことを。
だが、中には、表情一つ動かさなかったが、驚きを感じた人物もいる。
それは、皇帝ツーイン。
「特使殿、先ほどの言葉の中に、その先の外交交渉とあったと思うが」
「はい、陛下。我が国は、ダーウェイと正式な国交を開きたいと考えております。そのための通商条約の締結、その後の大使館の設置を見据えた権限を、私は与えられております」
ざわめきが広がる。
廷臣たちの多くが、チョオウチ帝国そのものを知らないのだ。
わざわざ調べさせた皇帝ツーインやビャン 丞相(じょうしょう) は知っている……だがそれでも、だいたいの場所を知っているだけ。
人口、特産品といった国力はもちろん、都がどこにありその名前が何なのかすらも知らない。
「条約の締結となれば、いろいろと準備する必要がある」
多くの情報が足りていないことを理解している皇帝ツーインが言う。
「承知いたしております、陛下。ある程度の時間がかかるであろうことも理解しております」
ベルケ特使が、恭しく頭を下げながら答える。
「では特使一行には、しばらく帝都にとどまっていただこう」
「はい、ありがとうございます」
「丞相」
皇帝ツーインがビャン丞相に呼び掛ける。
「はい、陛下。借り上げる宿は、『龍泉邸』が適当かと」
「分かった、そのように」
「ははっ」
ビャン丞相が一瞬の遅滞もなく答え、宿が決まる。
皇宮にあまり近くなく、それでいてもてなしも完璧にこなす宿となれば、最も適当であることを皇帝ツーインも理解したのだ。
細かな話は明日以降ということで、特使一行は下がる空気となったのだが……ベルケ特使が口を開いた。
「恐れながら陛下にお願いしたき義がございます」
「申してみよ」
「捕らわれております、我が国のユン将軍の治療をさせていただきたく」
ベルケ特使は表情を変えず、うっすら笑みを浮かべたままだ。
願いの中身とその表情がカンに障ったのであろう。
再び声があがった。
「認められるか、そんな事が!」
声をあげたのは、先ほど同様に若い声……第四皇子ビン親王。
ただの皇子であれば、この場に並ぶことはできない。
だがダーウェイにおいては、親王となれば各 尚書(しょうしょ) と同格とみなされる。
そのため、これら外国特使を迎える場はもちろん、日々の朝政でも出席が認められる。
皇帝の後継候補ということもあり、政治の何たるかを現場で体験するのは大切なことだからだ。
だが……。
「お控えなされ、ビン親王」
決して大きくもなく、 烈(はげ) しくもない声……だが、長きにわたりダーウェイを支えてきた丞相としての声が、若いビン親王を打つ。
ビャン丞相の言葉に打たれ、ぷいっとそっぽを向くビン親王。
「刑部尚書、どうか」
皇帝ツーインが、司法を担当する役割を持つ刑部を統括する尚書に尋ねる。
「帝都を出ないのであれば、問題ございません」
刑部尚書が答える。
そして、皇帝ツーインは、ちらりと廷臣の端に立つ老齢の男性を見た。
警察のような権限を持ち、現場での取り締まり、事情聴取などを行う 御史台(ぎょしだい) のナンバー2シャウ 司空(しくう) である。
シャウ司空は、皇帝ツーインの視線を受けると、小さく頷いた。
情報は全て収集済み、現在分析中。その点では、被疑者を返しても問題ないという意味である。
厳密な法律だけの話ではなく、外交が絡む極めて政治的な問題であることは、シャウ司空も理解している。
後の外交交渉のためにも、国としての 懐(ふところ) の大きさを見せておく必要があると。
「よかろう、後ほど『龍泉邸』に届けさせる」
「陛下のご 寛恕(かんじょ) 、痛み入ります」
こうして、チョオウチ帝国特使の挨拶は終了した。