軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第106話「はじめてのバルカス邸」

西の空が、じわじわと紫色に沈みかけていたころ。

長い石畳の道の先に、ようやくバルカス邸の屋根が見えてきた。

(ふう……やっと着いた……。お尻が四角になりそうだよ……)

そんなことを考えているうちに、馬車はゆっくりと減速し立派な門をくぐり抜けていった。

石造りの立派な玄関前で、馬車が静かに止まる。

「メル、早く降りなさいよ!トロいわねぇ」

「ちょっと押さないでよ。そんなに急いで降りてどうするのさ」

イリ姉が、はやる気持ちを抑えきれない様子で、僕を軽く押しのけるように先に馬車を降りていった。

少し離れた場所では、ソフィアたちが乗ってきた荷物馬車が止まり、さっそく荷解きの準備が始まっている。

正面玄関の前には、バルカス卿(バルトール様)と、奥様(エレオノーラ様)、そして、クラリス嬢が、お出迎えの姿勢で僕たちを待っていた。

「ようこそ、フェリスウェル卿。遠路はるばる歓迎いたしますぞ」

「お招きいただき光栄です。バルトール卿もお変わりなく」

「セリーナ様も、ようこそお越しくださいましたわ。長旅でお疲れでしょう」

「ご無沙汰しております、エレオノーラ様。本日はありがとうございます」

父様と母様が、貴族らしい定型挨拶を交わす。

(あー、始まった。面倒くさいやつだ……とはいえ僕も挨拶しないとな……)

イリ姉と僕が一歩前に出る。

「ごきげんよう、クラリス様。本日はお招きくださって、ありがとうございます」

「クラリス様、お招きありがとうございます」

イリ姉の後に続いて頭を下げた。

「ようこそ、イリス様、メルヴィン様。先日はお世話になりましたわ」

イリ姉もクラリス嬢も、ちょっと固い感じで挨拶をしている。

クラリス嬢は完璧なお辞儀をしているけど、その目はイリ姉と僕を見てキラキラと輝いていた。

挨拶も終わりバルトール卿たちに導かれてお屋敷の中へ入っていく傍ら、玄関先では慌ただしい動きが始まっていた。

ちらりと横目で見ると、ソフィアが御者の格好から、いつものメイド服に素早く着替えてテキパキと荷物の仕分けを指示している。

「こ、これは奥様の……!」

リディアが、大事そうなドレスの入った箱を、いつも以上に慎重な手つきで抱えている。

「リディア!その箱はこっちで運びます!あなたは奥様たちに付いていってください」

「はい。承知しました!」

バルカス家側の使用人さんも数名出てきて、ソフィアたちに「道中は大丈夫でしたか?」などと声をかけながら、荷物を運んでいく。

『ナビ。よそのお屋敷のメイドさんたちって、みんなあんなにしっかりしてるのかな?』

《はい。バルカス家使用人の平均動作効率は、当家の基準値を8.5%上回っていると推定されます。……しかし》

『しかし?』

《フェリスウェル家の平均値は、メアリーのイレギュラーな挙動によって、統計上、著しく低い値を示しています。よって、単純な比較は困難です》

(たしかに……。うちにはメアリーがいたんだった……今ごろどこかでドジを踏んでそう……)

そんなことをぼんやり考えている間に、僕たちは玄関をくぐりバルカス邸の中へ入った。

(うちよりちょっと寒い……石の家だからかな……)

そのまま先頭を歩く侍女さんの後ろをついていくと、少し歩いたところで足を止めた。

「イリス様のお部屋はこちらで、メルヴィン様のお部屋は向かいでございます。フェリスウェル卿と奥様のお部屋も、この並びでご用意しております」

「わあ、クラリスのお部屋はどこ?」

「わたくしのお部屋は、このすぐ上でしてよ」

「やったー!ねえ、クラリス!わたしの部屋、一緒に入って見て!」

イリ姉がクラリス嬢の手を引いて、さっそく割り当てられた自分の客室へと飛び込んでいく。

「まあ、イリスったら、そんなに慌てなくても……ふふっ」

母様は、イリ姉のはしゃぎっぷりに嬉しそうに笑っている。

「メルも、自分のお部屋に入って。荷解きはリディアがしてくれますからね」

「はーい」

「……はい。メルヴィン様のお荷物も、後ほど確認いたします」

リディアが母様の後ろで頷き一緒に隣の客室に入っていく。

(……イリ姉も母様も、なんだか楽しそうだなあ)

そんな二人の様子を思い浮かべながら、ようやく自分用の客室のドアノブを回した。

……広い。しかも、真ん中に天蓋付きのベッドがどん、と構えている。

(うわ、天蓋ベッドだ!前世で一度は寝てみたいって思ってたやつ!)

さっそくベッドに近寄りマットレスを手でぽすん、と押してみた。

(うーん……うちのより、ちょっと固めかな?でも、これはこれで寝やすいのかも?)

『ナビ。どう思う、この部屋』

《はい。当家のあなたの自室をAプラスと仮定した場合、この客室はBマイナスです》

『Bマイナス!?結構低くない!?』

《いいえ。メルの最適睡眠環境と比較し、減点項目が合計で21件観測されました》

『にじゅういっけん!?』

《はい。そのうち、睡眠の質に影響する主要なマイナス要因が、以下の3点です。①ベッドのスプリング圧の不一致、②室内湿度の過度な低下、③窓の隙間からの冷気です》

『え、じゃあ……その3つがBマイナスの理由ってこと?』

《いえ。残りの18件の微細なマイナス要因――例えば、床の0.8度の傾斜、窓ガラスの透過率のムラ、壁紙の視覚的ノイズなどの累積により、Bマイナスとなります。快適な睡眠の実現のためには、早急な環境改善が望まれます》

『よそのお屋敷じゃ何もできないよ!それくらいナビも分かってるでしょ!』

《メルの発言は不正確です。何もできないわけではありません》

『え?』

《例えば、ベッドのスプリング圧の不一致に対しては、メルがご自身の外套を畳み、シーツの下に挿入することで、局所的な反発係数を7.2%改善可能です。また、ドアの隙間風は、予備のタオルを丸めて床に置くことで、室温低下を……》

『そんな面倒なこと、寝る前にやるわけないでしょ!』

(はぁ……とりあえず荷解きはリディアがやってくれるし……とりあえず、このベッドの寝心地でも確かめておくか……)

僕はマットレスにそのままごろんと転がり込んだ。

客室で少しだけごろごろしたあと、僕たちはバルカス邸の談話室に通された。

テーブルをぐるりと囲む形で、みんな席に着く。

(よそのお屋敷の談話室って、なんだか落ち着かないな……)

テーブルを挟んで向こう側にバルトール卿とエレオノーラ様、その隣にクラリス嬢。

こっち側には父様と母様とイリ姉、そして僕が並んで座っている。

少しして、母様が持ってきたお土産をそっとテーブルの中央に差し出した。

「ささやかですが、私どもの領地で採れたものを。ヒューゴの焼き菓子と、リディアが作ったポプリでございます」

エレオノーラ様が、そっとポプリの袋を手に取り、鼻先に近づけた。

「まあ、なんて素敵な香りなのかしら」

クラリス嬢が、ぱっと顔を明るくしてイリ姉のほうを見る。

「わたくし、以前いただいたポプリの香り、大好きなんですの。だから、とても嬉しいですわ」

「えへへ、でしょ!」

「それから……うちのメルが、お話の続きを書いてきたようですわ」

「まあ!絵本ですのね!」

クラリス嬢が身を乗り出して、僕の差し出した絵本を大事そうに受け取る。

「……先日の、とても面白かったですわ。続き、楽しみにしておりましたの」

(う……真正面から言われると、なんかこそばゆい……でも、ちょっと嬉しいかも)

僕は照れ隠しにテーブルのお菓子を一つつまんで、もぐもぐと口に運んだ。

(……うん。サクサクしてて、おいしい。ヒューゴのふわふわした焼き菓子とはまた違うな)

そんなふうに、よそのお屋敷の味をかみしめているうちに、いつの間にか大人たちの話題は変わっていた。

今はもう、領地の運営だの鉱山の調子だの、ちょっと難しい話になっている。

「ねえクラリス、明日って、どこで遊ぶ?」

「中庭が広くて気持ちいいんですの。そこでトランプをしたり、それから湖が見える場所もご案内いたしますわ」

テーブルの端っこでは、イリ姉とクラリス嬢が小声でこそこそ相談中だ。

その様子に気づいたエレオノーラ様が優しく提案してくれる。

「クラリス。難しいお話ばかりでは退屈ですわね。お二人に少し中庭を案内して差し上げたらいかが?」

「はい、お母様!」

クラリス嬢が立ち上がり「こちらへ」と小さく手招きする。

僕とイリ姉も席を立って、そのあとに続いた。

「こちらが、わたくしのお気に入りの中庭ですの」

「すごい……!きれいね、クラリス」

「まあ、ありがとうございますわ。昼間だと、もう少し明るくて、もっときれいに見えるんですのよ」

『へえ、ナビ。よそのお屋敷の庭って、こんなにきっちり作ってあるんだね』

《これはシンメトリー(左右対称)を重視した幾何学式庭園です。フェリスウェル家の自然の景観を利用する様式とは設計思想が異なります》

『設計思想ね。まあ、要するに、うちの庭とは全然違うってことだよね』

《はい。その通りです》

「明日は、ここでお茶をしながら、トランプをいたしましょう!あ、それとも、フェリスウェル領の新しい遊びがよろしいかしら?」

「両方よ!楽しみね!」

イリ姉とクラリス嬢が、楽しそうに盛り上がっている。

(まあ、トランプなら楽でいいか……)

イリ姉たちが明日の相談で盛り上がっていると、一人の侍女さんが静かに声をかけてきた。

「クラリスお嬢様、皆様。そろそろお着替えの時間でございます。今夜はささやかながら、夕食会をご用意しておりますので」

(げっ。夕食会……)

僕は、また始まる面倒くさい社交の時間を思い浮かべて、誰にも聞こえないように、小さくため息をついた。