作品タイトル不明
エピローグ:僕の大事な
あきら、と誰かに優しく名を呼ばれた。
温い風呂の中を漂うような眠りの中にいた明良の意識が、少しだけ浮上する。
あきら、とまた優しい声で呼ばれ、今度は頭を撫でられたような気がした。
明良はその声を知っていた。明良の記憶にあるものと少し響きが違う気がしたけれど、そんな風に優しく大切そうに、まるで宝物を手の中で転がすように名を呼んでくれるのは一人だけだ。
あきら、ともう一度呼ばれて、今度こそ明良は眠りからゆっくりと抜け出した。
ずっとずっと会いたかった人が、この先にいる。そう思うと明良の心が動く。
自分の名を呼ぶ人の名を明良は呟き、そして目を覚ました。
「……メ、ちゃ」
「明良……明良?」
明良が目を覚ますと、目の前に知らない人がいて自分の顔を覗き込んでいた。
鶯色の長い髪がゆらりと揺れ、同じ色の瞳が涙で潤む。
その瞳を見て明良はすぐに、それが知らない人ではないことに気がついた。
「……ウメちゃん?」
「ああ、明良! 良かった、明良、目を覚ました!」
「ウメちゃん……ウメちゃんも、おきた?」
「そうだよ! ウメだよ! ウメも起きたよ!」
自分に向かって伸ばされた手に、明良は安心したように身を委ねた。
抱き起こされてぎゅっと抱きしめられ、幼い頃からずっとそうしてきたように背中をぽんぽんと叩かれる。
「ウメちゃん……ちぢんだ?」
その腕の細さや、寄りかかった肩の薄さに明良はぽつりと呟いた。
覗き込んでいた顔も、明良の子守をしてくれていた頃のウメよりずっと若く、幼いと言って良いほどだった。ヤナちゃんと同じくらい? と明良は考え、不思議に思う。
「若返ったと言ってよ! ウメはぴちぴちになったのよ!」
「ぴちぴち……そっか。ぴちぴちでもぴかぴかでもいいよ……ウメちゃん、あいたかった」
「ウメもだよぅ……」
ぐすぐすとウメが鼻を啜って泣き声を零した。
声が違うと何となく感じたのも若返ったせいのようだが、その泣き声は明良の記憶にあるものとそっくりだった。
幼い明良が転んで怪我をして泣いたりすると、ウメは明良をあやしながら自分も半泣きになって寄り添ってくれた。そんな時、いつもこんな泣き声を零していたのだ。
何だか全てが久しぶりで、懐かしくて、明良の目からもほろりと涙が零れる。
重い体を動かし、明良はウメに支えられながらぐるりと周りを見回した。明良が寝ていた布団の周りには、家族が皆揃い、泣きそうな顔や涙でビショビショの顔で明良を見ていた。
祖父母がいて、両親がいて、ウメがいる。
明良の大事な居場所がここにあった。
「そらー! おれ、げんきになったよ! ありがとな!」
三日ほど後。
目を覚ました後も念のため安静にしていた明良が、ようやく外出許可をもらって空に会いに来てくれた。
明良は自分がナリソコネに呼ばれて村を出てしまった前後の事を、よく憶えていなかった。
けれど、自分がどうなっていたのか、そして何故助かったのかを家族から教えてもらった。
「アキちゃん……よかった……!」
空は明良の元気な姿を見てすでに半泣きだった。
目を閉じて動かない明良を思い出すと、今でも空の胸は痛む。
大事な友達を失わずに済んで本当に良かったと、空は何度も思った。けれど同時に、空は少しだけ表情を曇らせた。
「おれがかえってこれたの、そらのおかげだってきいたんだ! ありがとうな!」
「ううん。アキちゃん……ごめんね。ぼく、アキちゃんがほしがってたけーやく、よこどりしたの」
空がそう言って肩を落とすと、明良は首を横に振った。
「ううん、いいよ。だって、おれきえちゃうとこだったんだろ? そらがひっぱってくれなかったら、おれ、いなくなってた」
「うん……でも、ごめん」
「いいって!」
明良はパタパタと手を横に振って明るい笑顔を見せ、雪見障子越しに見える縁側に視線を向けた。
今日は天気が良く、窓越しの縁側に日が当たっている。その縁側にちょこんと並んで日光浴をしている、木の妖精と白い小鳥の姿が見えた。
「おれじゃぜったいむりだったって……ちゃんとわかってるから、いいんだ。それにな、うち、ひっこさなくてよくなったんだ!」
「ほんと!?」
「うん! ウメちゃんがおきたし、いえをまもってくれるから、ずっとここにいていいって!」
明良の両親は、明良がナリソコネと共鳴してしまうほどここにいたいと思いつめていた事を知って、引っ越しを考え直してくれたらしい。
ウメも目を覚ましたし、やはりこの村で生きていける強い子供を育てたいと思ったようだ。
「とうちゃんも、じぶんをきたえなおすってはりきってるんだ! かあちゃんも、あかちゃんうんだら、おれといっしょにしゅぎょーするって!」
さすがは田舎の村人だ。弱いと言ってもその気になれば魔砕魂に火がつくようだ。
「じゃあ、アキちゃんどこにもいかないんだね! よかったぁ……」
「えへへ、ありがとな! おれもそらみたいにつよくなれるように、がんばるんだ!」
明良はそう言ってくれたが、空は自分が強いなどと欠片も思っていないので、ちょっと面映ゆい。
今回は確かに空も頑張ったが、前世の記憶がある事が珍しく役に立っただけで、運が良かっただけのような気もする。
「ぼく、ぜんぜんつよくないよ? たぶん、えっと……せいれいとなかよくするのとかが、あってるとかなのかも?」
空は自信なさそうにそう呟いた。
人ならざるものと仲良くなりやすい才能というのも、もしかしたら少しはあるのかもしれないが。
「そっかー、そうかもな。おれ、そういうのむいてないのかも……」
「アキちゃん……」
空が心配そうに名を呼ぶと、しかし明良はあっけらかんとした表情でいいんだ、と胸を張った。
「おれ、そういうのむいてなくてもいいんだ! みずまほうとか、とくいだし! おれはおれのやりかたでつよくなる!」
「アキちゃん……うん、それがいいとおもう! アキちゃん、ぜったいつよくなるもん!」
空が強く頷くと、明良は照れたようにニコッと笑った。
「うん……おれ、つよくなって、おおきくなったら、ウメちゃんとけっこんするんだ!」
「ウメちゃんと?」
「ウメちゃん、わかがえって、ちっちゃくなっただろ? だから、おれがおとなになったらまもってやるんだ!」
そう言って拳を握る明良の頬はほんのり赤く染まり、瞳は輝いていた。
どうやら明良の抱いていた親愛は、今回の騒動の中で初恋へと変わったらしい。
以前のウメの姿は妙齢の女性だったと空は聞いている。本体を若木に移したことで若返り、今はヤナと同じ、十歳くらいの可愛らしい見た目だ。木が育つと共にその見た目も徐々に変化するという。
自分よりちょっとだけお姉さんという感じになった彼女に、明良はすっかり惚れ込んでいる様子だ。
人と精霊は結婚できるんだろうかとちょっと心配になったが、空はすぐにその心配を頭から追いやった。
何せここは、神様が人を口説くような村だし、空だって雪女の血を引いているらしいのだ。
多少の障害があっても、信じて努力すればそれなりに何でも叶うのだろう。
「じゃあ、ぼく、アキちゃんのけっこんしきで、おいわいするね!」
「うん! よろしくな!」
二人は約束だ、といって指切りをした。
小さな指を絡め合わせ、こうして未来を約束する相手がいることを、失われなかったことを、そしてそれを成したのが自分である事を、空は何より誇りに思う。
(僕……前世の記憶があって、良かった!)
空は今は心からそう思う。
春が来れば、空がこの村に来てから一年になる。一年近く経って、ようやく空はそう思えた。
春になったら、きっと空の家族もやってくる。
東京の家族が来たら、この村で新しくできた沢山の友達や大事な家族を、何て言って紹介しようか。
空はそんな事を楽しみにしながら、明良と心ゆくまで今や未来のことを語り合った。
空の田舎生活はもうすぐやっと一年で、まだ始まったばかりだ。
何かと不思議の多いこの田舎には、空が馴染めないような出来事がまだまだ沢山待っている。
「僕……やっぱり今すぐ前世の記憶を捨てたい!」
などとどうせまたすぐに心の中で叫ぶことになるのだが……それは今の空は知らない、まだ先の、いつかの話なのだ。