軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

130:帰りたい場所

空はふと気がつくと部屋の中で横になっていた。

よく知っている、懐かしい天井が見える。空が去年までずっと見ていた天井だ。

首を捻って窓の外に目をやれば、窓とベランダに切り取られたような狭い青空と隣のマンションが見えた。

「ここ……とうきょう?」

空は寝ていた体をうんしょと起こした。頭を乗せていた氷枕がたぽんと揺れる。

空はとりあえず布団から出て立ち上がり、隣の部屋へと向かった。

ダイニングはしんと静まりかえり、誰もいなかった。

「まま……? りく?」

名を呼んでみるが、答える者はいない。

誰もいない静かな部屋は、空が寝込んでいた日々を思い出させる。

「なんか……なつかしいな」

空は東京のマンションをくるりと見回し、懐かしい景色にくすりと笑った。

今までの事は夢だったのだろうか、などと空は思わなかった。周りの全てが少しずつ薄く、どこか現実味がないからだ。

これは幻とか、その類いのものだと空には何故かちゃんとわかる。

「ここは、もうちがうんだよ」

空が呟くと、景色がさらに薄れた。

「ぼくがいたいのは、もうここじゃないんだ」

家族にはいつだって会いたいけれど、空がずっと暮らしたいと思うのはもうあの村だ。景色だけは長閑なのに、危険と刺激に満ちた、魔砕村。

空がそう思うと景色はゆらりと村に移り変わった。

空の好きな……一番好きになった、初夏の頃の青い田んぼの景色だ。

「うん、ここ。ここが、ぼく、すきだな」

空が好きだと思えば、村の景色は色濃くなる。

空はその景色の中をゆっくりと歩き始めた。自分が伸ばした魔力が繋がっている先が、今の空には何となくわかる。

その指し示す方向へ、独り言を呟きながら歩く。

「きみは、ここにいたいんだよね。ここってどこ? このむら? おやま?」

すると途中から村の景色がゆらりと歪み、今度は木々が生い茂る森が現れた。

「もり? きみのもり? きみがうまれたとこかな」

そこは山の裾野かそれに近い場所のような、木々の合間から緩やかに日が差す、明るい雰囲気の森だった。一際背の高い木が目の前にどっしりと立ち、風がさわさわとその枝葉を揺らしている。

空がその木を見上げていると、どこかから小さな鳥がやって来た。

小鳥は空の頭の上を通り過ぎて、真っ直ぐ大木に向かって飛んでゆく。

やがて一本の枝に小鳥が止まり、チュルチュルと可愛い声で囀る。その歌を喜ぶように風が吹き、枝が揺れて木漏れ日がチラチラと瞬いた。

「……ここに、いたかったんだね」

森の空気は爽やかで、光も、風も、そこにある全てが優しく心地良い。

こんな場所で芽吹いて育ち、精霊に近づくほどの巨木になるまで、この木はどれだけの時間を過ごしたのか。

その全てを突然失い、形を失って放り出されれば。

「それは……あきらめるの、むりだよね」

空が呟くと強い風が吹き、木々がザザザ、と強く揺れた。

そして、また景色が揺らぐ。

山の風景が消え失せ、次に現れたのは――

「……だれ?」

――都会のオフィスのような場所で、ぼんやりと窓の外を眺める、一人の青年だった。

「ホピ……」

フクちゃんは小さく鳴いて、体をふわりと膨らませた。

大きくした体の下に明良を抱き込み、目の前をじっと見つめている。

目の前にいるナリソコネも、それに抱きつくようにして立っている空も、さっきからずっとピクリとも動かない。

ナリソコネは大きな目を閉じて身を屈め、空を抱きしめるようにしてうずくまっていた。

空はその大きな体に片腕を埋めるようにして寄りかかり、同じく目を閉じている。

ナリソコネの目が閉じていると、大きな闇に空が呑み込まれていくようで、フクちゃんは不安で仕方がない。

フクちゃんと空は繋がっていて、それは切れても揺らいでもいない。だからまだ大丈夫だとわかっている。それでも、フクちゃんは不安げにじっと二人を見つめていた。

不意に何かが近くに来た気配がして、フクちゃんは顔を上げた。

すっかり日が暮れた山は完全な闇に包まれ、まだ光っているフクちゃんと、空の周囲だけが僅かに照らされているだけだ。その闇の中から何かが近づき、こちらを伺っている気配がする。

フクちゃんは羽根を逆立て、体の向きを変えてジリジリと少し下がった。

ナリソコネの少し手前まで下がり、空の体を隠すように立ちはだかる。腹の下の明良の体もそっと動かし、外から見えないように慎重に隠す。

暗闇の中から何が来るとしても、絶対に己が主とその大切な友達を守ってみせる。

そんな気概を持ってフクちゃんは闇を見据えた。

その視線の先の闇がぞろりと動き、キチキチと何かが軋むような音が微かに聞こえてくる。

フクちゃんの明かりに薄らと浮かび上がるように現れたものは、大きな蜘蛛の姿をしていた。

「ビッ、ビビッ!」

フクちゃんは低く警戒の声を発した。

しかし蜘蛛は構わず近づいてくる。フクちゃんは立ち上がり、いつでも飛びかかれるよう身を低くして構えた。

そして双方が今にも飛びかかろうかという、その瞬間――

「かしこみ、もうす!」

――声が響き、白いものが暗闇の中から飛来した。

パン、と音高く蜘蛛の頭に白い符が当たりぺたりと貼り付く。途端に蜘蛛は動きを止め、ギチギチと顎だけを軋ませる。そして今度は突風が吹き、銀色の光が蜘蛛の頭ごと夜闇を断ち割った。

「あっぶね! 間一髪!」

「良夫、まだ動くぞ!」

頭を割られた蜘蛛はそれでもまだしぶとく動く。

しかし蜘蛛が足を前に出そうとした途端、今度はフクちゃんと蜘蛛の真ん前にドカン、と巨大な氷の柱が突き立った。宙から落ちてくる柱は次々に数を増やし、空たちを中心に、守るように周囲をぐるりと囲んで行く。

良夫はその隙に低く跳び、すれ違いざまに蜘蛛の片側の足をまとめて一列切り払った。蜘蛛の体は大きく傾き、前には進めなくなる。

もぞもぞと足踏みする間に良夫が再び飛びかかり、その頭を鎌でスパンと切り落とす。蜘蛛は今度こそとどめを刺され、その場に崩れ落ちた。

「どぉりゃぁあ!」

今度は暗がりから雄叫びが聞こえてフクちゃんはそちらを振り向いた。

近くまで忍び寄っていた巨大な蛇の尾を幸生が掴み、振り回して傍の大木に叩きつけている。

「ホピピッ!」

フクちゃんは頼もしいその姿に嬉しそうな声をあげ、立ち上がりかけていた体をまたそっと下ろした。もう安心だ、とばかりに再び明良の体を羽毛で包み込む。

そんなフクちゃんの周囲に、次々と村人たちが駆けつけた。

「そっちの奥にまだ何か隠れてるぞ!」

「おう!」

「結界張ります!」

「こっち、数が多いっぽい! 誰か援護頼む!」

「アタシに任せな!」

幾つもの声が暗闇に響き、村人たちが手分けをして周囲に寄ってきたものらと戦い始める。声の中には和義や善三のものも混じって聞こえた。

フクちゃんがそれを追ってキョロキョロしていると、そこに雪乃が全速力で駆け込んできた。山を駆け下りながら空たちを守るように氷柱を投げたのはもちろん雪乃だった。

「フクちゃん! フクちゃん、空は!? 明良くんは!?」

「ホピピピッ!」

フクちゃんは雪乃の姿に大喜びで、そして後ろを振り向いた。

「空……!? ああ、何てこと……!」

ナリソコネと重なった空を見て雪乃が青ざめる。ふらふらと近づき伸ばそうとした手を、走ってきた大和が慌てて掴んだ。

「雪乃さん、待ってください! 急に干渉してはかえって危ないかもしれない!」

「でも、大和くん! 急がないと、空が、空が!」

しかし大和は冷静にナリソコネと空を観察して、首を横に振った。

「見てください、ナリソコネがこんなにも静かだ。空くんも、腕は呑まれているけれど浸食が進んでいる様子はありません」

「じゃあ、空は……」

「ええ。多分、ナリソコネと契約するため、対話している可能性が高い。今無理に引き剥がすのは止めた方が良いです」

人ならざるものと人の契約というのは、その魂を繋げることだ。そのために繋いだ力の流れを外部から無理矢理断ち切れば、双方の魂が大きく欠ける可能性があるのだ。

そうなればどんな障害が出るかわからない。

「空……」

雪乃は呟き、両手で顔を覆った。

何かを堪えるようにしばし俯き、そして再び顔を上げた。

「空が戦っているなら、こうしていられないわね。フクちゃん、明良くんは?」

「ホピッ!」

その問いにフクちゃんが体をモソリと動かす。

フクちゃんの体で温められていた明良は、少しだけ体温を取り戻して顔色も良くなっていた。

「明良くん!」

雪乃は慌てて明良をそっと抱き起こしその体に触れた。そしてその低い体温に驚き、すぐに魔法で周囲の空気を温めて明良を包む。

「呼吸はある。外傷なし、脈拍と体温低下……これは何とかなるわ。魔力もひどく少ないけれど……何か摂取したのかしら、ゆっくりだけど回復している。けれど、これは……」

空が明良の口に押し込んだ鏡餅の欠片のお陰で、枯渇寸前だった明良の魔力は回復しつつあった。体に傷があるわけでもない。しかし明良は目を覚まさない。

「これはまずいですね」

横から明良に触れて状態を把握した大和が、そう呟いて表情を曇らせた。

「大分深く呑まれかけたんだわ。魂が欠けて、ヒビが入ったみたいになってる」

「ええ。これには治癒魔法も効きません……」

雪乃はしばらく明良の様子を診て、この状態から助け出す方法を必死で考えた。

「……大和くん、転移符はある?」

「あります」

「それで私とこの子を、矢田家に送って。欠けた魂を癒やして繋ぎ止めるには、生まれた時から明良くんのことを知っている家族の力がいるわ」

「わかりました。すぐ繋ぎますので少し待ってください」

周りではバチバチとあちこちで光が走り、戦う村人たちの雄叫びや指示が響いている。

雪乃はそれらに視線を巡らせ、それからもう一度空を見た。

可愛い孫をここに置いて戻るのは、雪乃にとって苦渋の決断だ。けれど明良を助けるには、雪乃が運び向こうで治療する以外の選択肢はない。

「フクちゃん、空を頼むわ。じぃじも、他の人もいるけれど……どうか、空をお願い」

「ホピッ! ホピピピッ!」

フクちゃんは任せろとばかりに頷き、羽根を膨らませた。

「繋がりました!」

符を構えていた大和の目の前に魔法陣が現れる。雪乃は明良をしっかりと抱きかかえると、大和に頭を下げた。

「大和くん、空をお願いします」

「任せてください」

「もし……もし浸食が進むようなら、その時はどうか、切り離してちょうだい」

「……わかりました」

覚悟を決めた眼差しで頷き、雪乃は魔法陣へと足を進めた。その姿がたちまちかき消え、陣も消え失せる。

周囲ではまだ戦いの音が続き、止む気配はない。

大和は空とナリソコネの周りに張った結界を強化し、油断なく周囲を見回しながら、眠る神に祈った。

(どうか……どうか、無事に。空くんも明良くんも、無事に目覚めますよう。アオギリ様のご加護を)