軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第74話 それぞれの選択

ホルム村にある湊の家へ転移してきたエレオノーラは、居間の中央で足を止めた。このまま帝国の居城へ跳べば早い。だが、湊に「村の様子も見てきてくれ」と言われていたことを思い出し、踵を返して外へ出る。

広場に目を向けると、木箱を積んだ荷馬車。バルガス男爵領の紋章を掲げた商人たちが、村人と向き合っていた。

銀髪の女帝は露店の外縁に立ち、腕を組んだ。白い顎をわずかに上げ、値札の板、秤の針、交換される銅貨の枚数を順に追う。相場なんてものには明るくない。だが、商人の脈が跳ねる間隔や、視線が泳ぐ癖は――数字より遥かに正直だ。

突然現れた白銀の美女に、商人たちは一瞬だけ目を奪われた。だが次の瞬間、その身に纏う気配を読んだのだろう。ひとりは帳簿を持つ手を汗で滑らせ、もうひとりは愛想笑いを引っ込める。

値引き交渉の声は急に低くなり、余計な駆け引きが消えた。男爵様が出立前に繰り返していた「ホルム村では決して粗相するな」という忠告は、このことを想定していたのかもしれない。

村の若者は値段を確認してから頷き、商人側も余計な押し売りをしない。肩を丸めていたはずの老人まで、堂々と荷を運んでいた。

「交易、ちゃんと回っているのね」

エレオノーラが小さく呟くと、村長である老女、ユルダが帽子を胸に押し当てて一歩前に出た。

「はい。湊様が交易を再開してくださったおかげで、暮らしが見違えました」

「本人に直接言ってあげなさい。喜ぶわよ。精霊様に頼めば伝わるでしょうから」

村長と周囲の村人は、そろって困ったように笑った。

「いえ! そんな畏れ多いこと!」

代わりに彼らは、広場の隅に置かれた小さな祭壇へ視線を向ける。村人は朝夕、そこへ今日あったことの報告をし、感謝を捧げていた。

エレオノーラは「そう」とだけ呟いて、別の方向へ顔を向ける。乾いた風が、土埃と若い汗の匂いを運んできた。

広場の反対側では子どもたちが輪になっている。陽光を跳ね返して鈍く光る黒銀の毛並み――銀二が前脚を低くしてじゃれつき、転んだ子の服を軽く咥えて起こしていた。

さらに奥の空き地では、周囲の光を削り取るような藍黒の毛並みの蘭丸を相手に、青年たちが木剣を振るい、汗まみれで受け身と足運びを繰り返している。

その周囲には、以前は一体しか見なかったはずの自律駆動兵器『番犬くん』が、二号、三号と数を増やして巡回していた。金属の脚が土を刻むたび、村の防衛線が一段ずつ厚くなっているのが分かる。

「……まだまだね」

口元に薄い笑みを刻むエレオノーラ。帝国の正規軍と比べれば、まだ足りない。だが冷静に見れば、二頭の狼と量産された兵器群は辺境の自衛戦力というより小国の防衛隊に近い。廃棄地域の一村落が抱えていい規模を、とうに超えている。

村の様子を確認した彼女は、ふわりと空に浮かび始める。

進路は城のある西ではない。帝国ゼノビアへ戻る線を外し、南西へ折れる。山脈を越える手前で隠密魔法を展開し、気配を薄膜の奥へ沈めると、そのまま標高を落としていく。

辿り着いたのは、武闘連邦バルトロの山岳地帯。

眼下の峰々に砦がいくつも張り付いているが、岩肌に溶け込んで外部の者には見分けがつかないだろう。魔法の気配は薄く、代わりに鍛錬で打ち鳴らされる鉄と肉の音が風に乗って届く。拳と武器を尊ぶ連邦国家の空気だ。

さらに南へ回り込み、断崖の裂け目のように口を開けた「大空洞」の奥へ降下する。この大空洞こそ、限られた商人と高ランク探索者にだけ開かれる、鉄機郷ドヴェルグへの数少ない正規ルートだった。

地下深く、赤熱した炉の光が脈打つ空間。

排他的なドワーフ国家――鉄機郷ドヴェルグ。

「あの偏屈爺はいるかしら?」

鍛冶場の熱風へ言葉を投げ、女帝は警戒を切らさないまま、さらに奥へと姿を消した。

同日、上野。不忍池ダンジョンのゲート前。

人の体温と声が渦を巻くゲート前。その雑多な熱気の隅で、ひとりの女が足を止めていた。

視線は、黒鉄のバールを肩に預けて歩く中年の背中へ注がれている。猫背気味の姿勢なのに、軸だけがぶれていない。

その斜め後ろには、濃紺のジャケットを着た長身の男。磨いた革靴のつま先をゲートへ向け、周囲を警戒するように目を配っていた。

「多分、あの人です」

小声で告げると、男は短く返す。

「今、接触するか」

女は首を横に振った。男の袖を軽く掴み、群衆の流れの外へ半歩だけ下がる。

「これから潜るみたいです。ここで止めるのは悪手でしょう。……私はこのあと協会で待ちます」

男は一瞬だけ眉を動かし、すぐに頷いた。

「分かった。同行しよう」

二人の会話は短い。だが、言葉が途切れるたびに周囲の喧騒が薄紙一枚分だけ遠退く。

呼吸を止めているわけではない。ただ、二人の間を流れる空気が、わずかに圧を増していた。

掴んだ袖をそっと離した指先が、まだ力を抜いていない。遠ざかる背中を、最後まで追っていた。

エレンを送り出した、その日の昼。

暇を持て余した俺の足は、気がつけば不忍池ダンジョンのゲート前まで来ていた。

ゲート前は、今日も妙に賑やかだった。

新品の鎧をきらつかせた若手パーティが入口脇で肩を組み、配信端末へ笑顔を向ける。駅側の飲食店から流れてくる揚げ物の匂いに混ざって、甘いコロンの香り。ゲートから漏れる青白い光の縁では、順番待ちの探索者が装備を叩き、最終確認をしている。

その雑音の中に、妙な視線の針が一本だけ混ざった気がした。

反射で振り返る。

だが、見えるのは探索者だけだった。誰も俺に興味なんてない顔で、通り過ぎていく。

「気のせいか」

肩の力を抜いて、ゲートをくぐる。

転送の膜を抜けた瞬間、地上の匂いが切れた。肺に入ってくるのは、湿った土とカビ、鉄錆を混ぜた浅層特有の空気だ。壁際の発光苔が青白い光をこぼし、通路の輪郭だけを辛うじて浮かせている。

足が向かった先は、癖みたいに覚えているスライムの住処。

『え、マスター。この期に及んで、まだスライムハンターを続ける気なんですか?』

右肩の高さで現れたナビ子が、露骨に引いた顔をする。

「……あ」

俺は短く声を漏らした。今の俺にとって、ここは経験値効率も素材効率も悪い。なのに何も考えないまま、身体だけが昔と同じ巡回ルートを選んでいた。

「いや、違う。何も考えてなかったから癖で来ちまった」

せっかく潜ったんだし、何体かだけ狩っておくか。

ぬめりの残る曲がり角を抜けると、湧き溜まりに三体。

黒鉄のバールを手首で返し、核へ順番に角度を合わせる。ひとつ、ふたつ、みっつ。半透明の体が弾け、薄い体液が石床を叩いて、遅れて鈍い音が返ってきた。

ドロップ選択をしようとすると、奇妙なことが起きた。

同じスライムを三体狩ったはずなのに、選択欄が分かれているのだ。

【ドロップ選択】

対象: 雑草(ウィード) スライム(幼) ×2

1. スライムの核:ノーマル×2 - 経験値0.1%消費

2. 全吸収 - 経験値100%吸収

【ドロップ選択】

対象: 雑草(ウィード) スライム(成体) ×1

1. スライムの核:ノーマル×1 - 経験値0.1%消費

2. 溶解液(スライムウォーター) :レア×1 - 経験値2.0%消費

3. 高純度粘液(スライムジェル) :レア×1 - 経験値5.0%消費

4. 全吸収 - 経験値100%吸収

「へぇ……スライムにも違いがあったのか」

言葉に出した瞬間、過去の狩りの記憶が繋がる。

「そういや、スライムウォーターとかジェルを落とすやつは、他より若干色が濃かった気がするな」

『はい、その通りです。通常の鑑定では「 雑草(ウィード) スライム」としか出ませんが、内部的には段階が分かれています』

ナビ子が得意げに胸を張る。

前からスライムの色の濃さが何種類かあるのは気になっていたが、まさかこんなところで答え合わせが来るとは。

ダンジョンの成り立ちを知って、少しは分かった気でいたのかもしれない。けれど実際は、目の前の浅層ひとつ取っても未知のことだらけだな。

「核は取る。成体は……今日はウォーターだけでいいか」

軽くタップして確定すると、核と小瓶が 収納機能(インベントリ) へ流れ込んだ。

掌に残る重みで、肩の力が少し抜ける。

久しぶりの戦闘とはいえ、相手がスライムだったせいで手応えがない。

それでも、黒鉄のバールが手元に戻ってきた感触だけは別だった。握った瞬間に、指の角度も踏み込みの癖も、動きが自然に噛み合う。エレンとの戦いで武器を折られたせいで、スタンピードでは鉄パイプで誤魔化してきたが、それも今日までだ。

バールの柄に馴染んだ掌の温もりに、口角がわずかに持ち上がる。

『マスター、現時点の能力からすると、そのバールは相当見劣りしています』

ナビ子がわざとらしく深いため息をつき、呆れ顔で両手を広げた。上向きかけた気分に、重力が戻る。

『バールのように頑丈さへ寄せた武器種だから辛うじて保っていますが、細身の剣なら即時破断ですよ』

「分かってるよ。でもな、良い素材を集めてバールを作ってもらうのも簡単じゃないんだぞ? ダンジョン鋼製がエレオノーラとの戦いで持ちこたえたってことを考えれば、ダンジョン産の黒鉄なら、魔力をまとわせれば深層くらいなら十分通じる。壊れるまで使い倒してから考えるさ」

『いや、マスターの場合はドロップ品選択機能がありますので、素材の確保難度は一般探索者とは比較にならないほど低いのですが』

「そりゃ、いまは! な? 今はそうだけど、昔は違ったんだよ」

バールのグリップを握り直し、俺は浅く息を吐いた。

まったく、これだから「楽な時代」しか知らないサポートユニット様は困る。

その後は中層と下層の安全域を、いつもより丁寧に踏んだ。

敵の湧き方、足場の癖、視線の運び。ひとつずつ確認しながら、鈍った感覚を起こしていく。

ぬるま湯に浸かっていた身体と心を、戦闘の温度へ戻すための慣らし運転。

地上へ戻る頃には、数日の休みでわずかに鈍っていた呼吸のリズムと踏み込みの間合いが、ほぼ元の感覚まで戻っていた。期間だけ見れば短いが、先輩の生還で肩の荷が落ち、これまでにないほど気が抜けていた数日だった。

ゲート前の光は、夕方の色に少しだけ傾いている。

探索者協会で、換金しても問題にならなそうなドロップ品を選んで換金をした。

生活には困ってないが、金があって困るモノでもない。

さ、帰ってビールでも飲もう、なんて思いながら出口へ向かっていると、背後から若い女の声が飛んでくる。

「すみません」