作品タイトル不明
第70話 おじさんの、それから
転移の光が収束する。
視界が正常に戻ると、そこは見慣れた先輩の家のリビングだった。
鼻孔をくすぐるのは、微かなコーヒーの香り。
戦場とは対極にある、日常の匂いだ。
「おかえりなさい。舟木さんを休める場所を用意しておきました」
安堵した表情で出迎えてくれたのは沙織さんだ。
俺は腕の中の舟木さんを、用意されていた布団にそっと寝かせる。
顔色は随分と良くなった。これなら、すぐに目を覚ますだろう。
「見てたぜ。いやぁ……強くなったな、湊」
ソファに深く沈み込んでいた先輩が、ニヤリと笑った。
手にはリモコン。
視線の先にあるテレビ画面には、ニュース特番が映し出されている。
『速報です! 先ほど、富士山の樹海に出現した今回のスタンピードの核と思わしきモンスターが討伐されました! 現場の映像が入ってきています!』
上空からのヘリ映像だ。
画質は粗いが、衝撃的な映像が次々と流れる。
上空から降り注ぐ無数の光弾が、群がる魔物を紙屑のように薙ぎ払っていく様子。
そして、全長五メートルを超える巨大な豚の化け物が、巨木で地面に縫い付けられ、唐突にその命を散らす瞬間。
その傍らに、悠然と佇む二つの人影。
俺とエレンだ。
『ご覧ください! この圧倒的な火力! 専門家の分析によれば、これは 天鋼級(アダマンタイト) 探索者による攻撃魔法の可能性が高いとのことです!』
キャスターが興奮気味に捲し立てている。
テロップには『噂の 天鋼級(アダマンタイト) 探索者の正体判明!? 救国の英雄か!?』という文字が踊っていた。
「……あちゃー、やっぱり撮られてたか」
俺は頭を抱える。
幸い、距離が遠いのと、魔力による光の干渉で顔までははっきりと映っていない。
だが、親しい人間が見ても「もしかして?」と思うレベルでしかない。
しかし、エレンに関しては――。
『この美しい女性はいったい何者なのでしょうか! その立ち振る舞い、圧倒的な美貌! ネット上では既に「女神降臨」「正体不明の美女」としてトレンド入りしています! 一部では、他国の秘蔵戦力ではないかとの噂も飛び交っております!』
シルエットや髪の色、そして纏う雰囲気。
画面越しでも伝わるその美しさに、世間は既に釘付けのようだ。
「おじさん、超強かったね! お姉さんも凄かった! ビシャーン! ガラガラ! って!」
目を輝かせた翔太君が、弾丸のように飛びついてきた。
俺は慌ててその小さな体を受け止める。
無邪気なその笑顔に、救われた気がした。
「ありがとう、翔太君。でも、お父さんはもっと強いよ?」
「えー? あれよりも? 信じられないなぁ」
「ははは、本当だって」
俺が笑うと、沙織さんも困ったように微笑んだ。
「……未だに信じられません。主人が 天鋼級(アダマンタイト) だなんて」
それもそのはずだ。
ダンジョンが現れて三十二年。
これまで世界でたった十人しか到達していない頂。
そのすべてが神のように崇められ、国賓級の待遇を受けている存在。
三年ぶりに帰ってきた旦那がその一人です、と言われても、すぐに受け入れられるはずがない。
「ん……ここは……私……?」
不意に、小さな声が鼓膜を打つ。
布団に横たわる舟木さんの瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
焦点の定まらない瞳が、天井を彷徨う。
「あぁ、やっぱり死んだのね。湊さん、私――」
「いや! 生きてますから! ほら、周り見てください。沙織さんもいるでしょ?」
俺は慌てて否定した。
舟木さんはぼんやりとした視線で周囲を見渡した。
心配そうに覗き込む沙織さん、興味津々な翔太君。
そして、数年前まで俺とパーティーを組んでいた猪狩先輩。
最後に、見覚えのない銀髪の爆美女。
「……やっぱり、おかしいのかしら? 天国って、こんなにカオスなの?」
「葵ちゃん、現実よ。湊さんも、私の主人も生きてたのよ」
沙織さんが優しく手を握る。
体温が伝わったのだろう。
舟木さんの瞳に、ようやく理性の光が灯る。
彼女は自分の手を見つめ、そして俺を見た。
「じゃあ……本当に、湊さん?」
「えぇ。すみません、心配をおかけしたようで」
俺が頭を下げた、その直後だった。
舟木さんの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「湊さぁぁぁんっ!!」
感情が決壊する。
彼女が、弾かれたように身を乗り出し、俺に抱きつこうとした。
だが。
ガツッ。
「……痛っ!?」
何もない空間に阻まれ、舟木さんが鼻を押さえる。
見えない壁があるようだ。
「あら、どちらさまでしょうか?」
冷ややかな声が、熱狂しかけた空気を凍らせる。
見れば、エレンが指先を光らせていた。
結界の輝きだ。
その表情は優雅な笑みを浮かべているが、瞳の奥は氷点下まで冷え切っている。
「エレオノーラよ。ミナトには公私共に世話になっているの。以後お見知りおきを」
「誤解されるような言い方をするな。ただの友人です」
俺は即座に訂正を入れた。
なんだその「公私共に」って。誤解しか生まないだろ。
「ちなみに、舟木さんを治療したのもコイツです」
「え……? あ、えーと、エレオノーラさん? 命を助けていただいたようですね。ありがとうございます。この御恩は必ず」
舟木さんは混乱しながらも、姿勢を正して深々と頭を下げる。
律儀な人だ。
「いえ、ミナトの……主人の指示に従ったまでですから」
「主人じゃねぇだろ」
「似たようなもんじゃない? 私、貴方に逆らえないのだもの」
「だから――。はぁ、もういいよ。否定するのも疲れた」
俺はため息をついて諦めた。
このやり取りも、もう何度目だろうか。
エレンは悪戯っぽく微笑んでいる。
俺は改めて、舟木さんに向き直った。
自分を責めて、命を浪費しようとしていた女の顔は、もうそこになかった。
「とりあえず、舟木さん。ただいま帰りました」
「……はい。おかえりなさい、湊さん」
彼女は涙を拭い、花が咲くような笑顔で応えてくれた。
◇
都内某所、高級ホテルの最上階。
「こいつらが、今回のランキング事変のやつらだな」
《 海神(ワダツミ) 》の二つ名を持つ男―― 氷室 透(ひむろ とおる) は、テレビに映るニュース映像を見て確信していた。
神経質そうな銀縁メガネを中指で押し上げ、青いスーツの襟を正す。
「どっちがどっちでしょうか?」
傍らのソファに深く沈み込んでいた女性が、首を傾げる。
紅白の巫女装束を現代風に着崩した美女。
《 神籬(ヒモロギ) 》こと、 天宮 巫(あまみや みこと) だ。
「十中八九、銀髪が『六印魔姫』、男が『剛神』だろうな」
「味方ですかね?」
「分からんが、お人好しなのは間違いないだろう」
氷室は即答し、窓の外に広がる東京の夜景に視線を移した。
「重要なのは、この特級戦力たちが協力関係にあるという事実だ。外の連中からすると、我が国がまた神の座を増やしたと捉えられているだろうな」
「でも、私たち、彼らのことをなにも知りませんよ?」
「スタンピード発生後、数分で駆けつけて周りの探索者を死なせることなく戦った探索者が、日本所属じゃないなんて誰も信じてくれんだろうよ」
「それは、そうですね」
巫がくすりと笑う。
確かに、状況証拠だけ見れば、彼らは日本の新戦力以外の何物でもない。
「まぁ、今回の映像を解析すれば容貌も割れるはずだ。そうすりゃ身元も分かる。女の方は目立つから、解析が終わる前に話題になるかもしれんしな」
「身元が分かったらどうするんですか?」
「特に何も。大体、剛神は一位だぞ? レベル差が大して当てにならんとはいえ、ヘタに手を出して機嫌を損ねてもことだろう」
氷室は肩をすくめる。
自分たちも規格外の存在だが、相手はさらにその上を行く未知の領域だ。
不用意な干渉は、国益を損なうリスクがある。
「じゃあ、なんで身元を調べるんですか?」
「そら、知らんわけにもいかんだろ。世界を滅ぼす戦力があなたの家の近くにあります。だけどどこにあるかは分かりません、じゃな」
「確かに」
「まぁ、協力してくれそうなら文句なしだがな」
「そうですね、良い人だと嬉しいです」
氷室は口元を緩め、再び画面の中の二人を見つめた。
その瞳には、かつてない興味の色が宿っていた。
◇
ロンドン。バッキンガム宮殿に近い一角。
古城を思わせる重厚な書斎で、一人の男が優雅に紅茶を楽しんでいた。
英国最強の騎士にして、《 騎士王(ロード・オブ・ナイツ) 》の称号を持つ男、ジョージ・ウィンザー。
ここ数年、睡眠すらも嗜好品として楽しむようになった彼の手慰みは、各国のニュースチェックだ。
「……日本は魔境だな。信じられないぜ」
極東の島国で発生したスタンピード。
その映像を見ながら、ジョージは感嘆の声を漏らす。
「おい待て、G3だと? 計器が狂ってるんじゃないか?」
だが、次の瞬間、彼の目は驚愕に見開かれた。
映像に映っている核のモンスター。
それは、彼にとって見覚えのある因縁の相手だったからだ。
「……間違いない。あいつは」
かつて、自身が率いる『円卓』をもってしても倒しきれず、逃がしてしまった 赫金級(オリハルコン) モンスター。
ステータスだけで言えば 赫金級(オリハルコン) の中でも上位クラス。
異常な再生能力を持ち、物理攻撃も魔法攻撃も捕食して糧にする悪夢のような怪物。
それが、一方的に蹂躙されている。
そこに映っているのは、二人の探索者。
「素晴らしい! スタンピード発生後数分で駆けつけて解決!? そうだ、力あるモノとはこうあるべきだ!」
ジョージは興奮のあまり、椅子から立ち上がり、拳を握りしめる。
圧倒的な力で民を守る。
それこそが、彼の信じる騎士道そのものだった。
「にしても、この二人が昨日今日のランキング騒動の奴らだな」
確信と共に、彼は呟く。
世界一位と、突如現れた謎の美女。
その力が本物であることを、この映像は如実に物語っている。
「日本か……面白い」
ジョージは窓の外、遥か東の空を見上げる。
新たな英雄の誕生を祝うように、夜明けの光が差し込み始めていた。