作品タイトル不明
第69話 スタンピード終結
『マスター! あなたのとるべき行動を送ります!』
ナビ子の切羽詰まった声と共に、脳内に戦術プランが展開される。
視界が開けた。
樹海だった場所は、無惨になぎ倒され、大地には巨大なクレーターが穿たれている。
その中心で、エレンが展開した巨大な杭に縫い留められながらも、なお暴れ狂う肉の塊―― 豚の王(ロード) 。
「ブモォォォォォッ!!」
再生と破壊のループ。
エレンが時間を稼いでくれていたおかげで、被害は最小限に抑えられている。
だが、それも限界が近い。
抱えている舟木さんの呼吸は浅く、一刻を争う状態だ。
「……まずは、場所を作る」
俺は舟木さんを抱え直すと、エレンの背中に声をかけた。
「エレン、ちょっと借りるぞ」
「えっ、ミナト?」
振り返る彼女の許可を待たず、ナビ子に『 全権限委譲(フルアクセス) 』を発動させた。
パスがつながる感覚。
意識がエレオノーラの『 収納機能(インベントリ) 』へと潜る。
膨大なコレクションの中から、目的の輝きを見つけ出す。
引き抜く。
掌に現れたのは、虹色の光を内包した拳大の美しい石だ。
『 聖域の結界石(サンクチュアリ・バリアストーン) 』。
国宝級の防衛アイテム。
「『 万象掌握(マニュアル・オーバーライド) 』」
対象は、戦場に取り残された探索者たち。
恐怖で腰を抜かしている者、傷ついて動けない者、呆然と立ち尽くす者。
彼らの周囲の空間座標を、強制的に書き換える。
「う、うわぁ!?」
「体が勝手に……!?」
驚愕の声と共に、散らばっていた探索者たちが、俺の背後の安全地帯へと転移させられる。
舟木さんも、その中へ。
最後に結界石を地面に突き刺す。
キィィィン……。
澄んだ音色と共に、虹色のドームが展開された。
物理、魔法、あらゆる干渉を遮断する絶対領域。
「ここにいれば安全だ。少しの間、待っていてくれ」
探索者たちに短く告げ、俺は踵を返す。
視線の先には、拘束を引きちぎろうとしている豚王。
その醜悪な腹の口が、ギチギチと飢餓の音を鳴らしている。
「エレン、バフを掛けてくれ」
「……えぇ、分かったわ」
息を呑む気配がした。
今の俺の顔は、よほど酷いことになっているのかもしれない。
だが、すぐに杖が掲げられる。
「『 女神の祝福(テア・エウロギア) 』」
黄金の粒子が、俺の体を包み込んだ。
筋繊維の一本一本まで力が満ち溢れる。
感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていく。
全ステータス大幅上昇。
だが、それでも相手は 赫金級(オリハルコン) 。
まともにやり合えば、決着まで数分はかかる。
そんな時間は、舟木さんには残されていない。
『マスター、対象の再生能力を無効化するため、生命維持の中枢――「核」を直接破壊しましょう』
「あぁ、それで行く」
ナビ子の冷徹な解に同意する。
物理的な破壊ではない。概念的な破壊だ。
俺は右手を突き出し、豚王へと狙いを定める。
再び、『 万象掌握(マニュアル・オーバーライド) 』。
今度は、世界の理ではなく、生物としての根源への干渉。
「グ、オオ……ッ!?」
豚王の動きが止まる。
見えない巨人の手で掴まれたように、その巨体が空中で硬直した。
俺の脳裏に、豚王の体内構造が青写真のように展開される。
分厚い脂肪、鋼のような筋肉、幾重にも張り巡らされた魔力回路。
その最奥。
心臓のさらに奥底に、禍々しく脈打つ赤黒い光があった。
――見つけた。
あれが、コイツの命の源。
存在を規定する核だ。
俺は右手の指を、ゆっくりと折り曲げていく。
遠隔からの、直接干渉。
握りつぶすイメージ。
バチッ、バチチッ!
脳内で火花が散った。
視界が赤く明滅する。
鼻から温かいものが滴り落ちた。
(ぐっ、ぅ……!)
激痛が走る。
ダンジョン外の俺は全能に近い。だが、相手の格が高すぎる。
赫金級(オリハルコン) の生命力は、伊達ではない。
俺の干渉を拒絶しようと、凄まじい質量が抵抗してくる。
血管が悲鳴を上げ、脳の血管が何本か弾け飛ぶ音がした。
『警告。生体バイタルが低下しています』
「……うるさい、やれる」
ナビ子の警告を遮る。
ここで引けば、舟木さんは助からない。
それに。
「ナビ子、お前が『できる』って言ったんだろ……?」
なら、できるはずだ。
俺の相棒は、いつだって最適解を出す。
問題なのは、いつもそれを聞かずに突っ走る俺のほう。
彼女がGOサインを出したなら、それは実行可能なミッションだ。
俺は、俺の相棒を信じる。
「……潰れろッ!!」
奥歯を噛み締め、渾身の力で拳を握り込む。
拒絶の圧力をねじ伏せ、理不尽を押し通す。
ドクン、と。
手の中で何かが破裂する感触があった。
「ブ、ギ……?」
豚王の瞳から、光が消える。
断末魔すら上げられなかった。
命の灯火を唐突に吹き消された肉塊は、糸の切れた人形のように崩れ落ち――。
ズウゥゥゥン……。
地響きと共に沈黙した。
再生の兆しはない。完全に、死んでいる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
激しい目眩に膝が笑う。
顔を拭うと、袖が赤く染まった。
だが、休んでいる暇はない。
「エレン、直ぐ来い!」
「はい!」
俺の呼び声に、エレンが即座に駆け寄ってくる。
結界の中へ戻り、横たわる舟木さんの元へ。
その顔色は土気色で、呼吸はもう聞こえないほど微かだった。
「治せるか?」
「……見てなさい」
エレンが舟木さんの胸に手を当てる。
その表情から、先ほどの冷徹な女帝の面影は消えていた。
真剣で、慈愛に満ちた聖女の顔。
「ヴィクターの馬鹿に比べたら、これくらいの傷、余裕よ」
強がりではない、確信に満ちた声。
彼女の掌から、暖かな光が溢れ出した。
その輝きに、俺の視線が吸い寄せられる。
黄金の粒子に照らされた横顔は、神々しいまでに美しかった。
普段の好戦的な気配は消え失せ、そこにあるのは慈愛のみ。
破壊を撒き散らす『女帝』ではなく、傷ついた者を癒やす『聖女』の姿がそこにあった。
再生の光が、舟木さんの顔色に血の気を呼び戻していく。
苦痛に歪んでいた表情が、嘘のように穏やかなものへとほどけていった。
『バイタル安定。危機的状況を脱しました。数分で意識を取り戻すでしょう』
ナビ子の報告を聞き、俺はようやく全身の力を抜いた。
その場に座り込む。
「よかった……」
心底、安堵した。
助かったのだ。
「……ねぇ、ミナト」
ふと、視界の端から声がかかった。
見上げれば、エレンが小首を傾げてこちらを覗き込んでいる。
その仕草は、獲物を狩り終えて飼い主の元へ戻ってきた猫を連想させた。
「私、役に立ったかしら?」
赤い瞳が、期待の色を帯びて揺れている。
彼女にしては珍しい、素直な賞賛の要求。
だが、今の彼女がいなければ、俺は間違いなく何も守れなかった。
「あぁ。今ほど、お前がいてくれて良かったと思うことはない」
心の底からの言葉だった。
彼女がいなければ、舟木さんは助からなかったし、この場の探索者たちも全滅していただろう。
「……ふふ、そうでしょうね」
俺の言葉を聞き、彼女は満足げに目を細めた。
誇らしげで、どこか嬉しそうな響きだった。
ふと気配を感じて顔を上げると、周囲の探索者たちが一斉にこちらを見ていた。
探索者の不文律として、「探索者をむやみに詮索してはならない」というものがある。
高ランクであればなおのことだ。
彼らの視線には、無数の疑問が浮かんでいる。
何者なのか。あの魔法は。最後の攻撃は。
けれど、誰もそれを口には出さない。出せないのだ。
「あ、あの!」
沈黙を破ったのは、中年の男性探索者だった。
彼は震える声で、それでも真っ直ぐに俺を見て言った。
「ありがとうございました! 地元が……すぐ近くなんです。逃げようと思ったけど、家族がいるから、守るしかなくて……」
その言葉を皮切りに、堰を切ったように声が上がる。
「もう一度、娘に会うことができます!」
「絶対に死ぬと思ってました……!」
「あちらの方は、他国の御柱様でしょうか。この度は本当に、ありがとうございました」
涙ながらに頭を下げる彼ら。
その姿に、俺は首を振った。
「いや、死地とわかっていてなお、地元を守ろうとしたアナタたちこそ偉大です」
お世辞ではない。
逃げることもできたはずだ。
それでも踏みとどまった彼らの勇気がなければ、俺たちが到着する前に防衛線は決壊していただろう。
「我々は、できることをやったにすぎないので」
「そ、そんな……」
俺の言葉に、探索者たちは感極まったようにさらに頭を深く下げる。
その熱量は収まる気配がない。
むしろ、高まる一方だ。
『マスター。マスメディアのヘリおよび中継車が、急速に接近中』
ナビ子の事務的な声が、現実を引き戻す。
スタンピードの鎮圧を察知したハイエナたちが、特ダネの匂いを嗅ぎつけてやってくる。
「……マスコミか」
『どうしますか? インタビューを受ければ、名声値の獲得が見込めますが』
「いや、面倒なことはお断りだ」
これ以上、目立つわけにはいかない。
俺はエレンに目配せをする。
彼女も心得たもので、小さく頷いた。
「行こう、エレン」
「えぇ」
俺は舟木さんを抱きかかえて立ち上がり、探索者たちに軽く会釈をする。
そして、マスコミのカメラが到着する前に転移を発動。
俺たちの姿は、その場から掻き消えた。