軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第57話 おじさん、ちょろい

目の前で、 女帝(エンプレス) が妖艶な笑みを深めた。

肌を刺すような重圧がない。村人たちへの影響を憂慮してか、放出される魔力が極限まで絞られているのだ。その隠蔽があまりに自然で、俺の感知網すらもすり抜けていた。まさか、天災のごとき彼女が、羽虫のごとき一般人に気を遣うとは――。

万が一の事態は避けなければならない。念のため、村人たちには距離を取らせるべきだ。

「ちょっと話をするから、下がっておいてくれ」

俺が声を張り上げると、村人たちは静かにその場を離れていった。

波が引くようなその背中を見送り、視線を女帝へと戻す。

「いや、話すことなんてないですけど」

「あら、私は沢山あるもの」

「ていうか、良いんですかこんなところ来て。一応ヴィクトリア王国の領土っすよ」

「ヴィクターとの関係を知っているあなたがそれを言うの?」

確かに。アルブレヒト辺境伯はゼノビア帝国は敵だと言っていたが、エレオノーラと先輩の関係からは、剣呑な空気など微塵も感じられない。

「なんか、話したいことが出来たかもしれません」

「あら、そう? 嬉しいわね」

エレオノーラの瞳が、ぱっと輝きを帯びる。

つられて、少女のように口元がほころんだ。

先刻までの剣呑な圧力が霧散し、白磁の頬に朱が差す。

風が、白銀の髪をふわりと揺らす。その隙間から覗く鮮血のような赤い瞳は、期待に潤んでいた。

無機質な美貌に亀裂が入り、生身の感情がどろりと滲み出た瞬間だった。

「あなたから話したいなんて、今日はいい日だわ」

いや、こっちから話したいと言ったわけではないのだが。

「まず、ゼノビア帝国とヴィクトリア王国って、敵対関係にあるんじゃないですか?」

エレオノーラは小首を傾げ、楽しげに唇を歪める。

「うーん、昔はそうだったかもしれないわね。ヴィクトリア王国って、内戦とかで疲弊してたから。簡単に領土が増やせるならそりゃ取っておこうかって思うのが普通じゃない?」

平和な国で生まれ育った身には、いまいちピンとこない論理だ。だが、この世界ではそれが常識なのかもしれない。

「だけど、ヴィクターが王様になって一つにまとまったから今はもう狙ってないわ。それに、隣国って言ったってここが緩衝地帯になってるからね。頑張って得られるのが、なにも生み出さない土地って、旨味がないじゃない」

エレオノーラは小さく肩をすくめて、どこか女子高生みたいな無邪気さで笑った。

「大体、私は国を大きくしたいなんて思ってないわよ。そんな暇があるくらいなら、早く 天鋼級(アダマンタイト) になりたいわ」

彼女の手が、ひらりと振られる。

今日のランチの話でもするかのような、軽い仕草だった。

「どうしてそんなに強くなりたいんだよ?」

疑問は、思考を経ずに口をついて出た。

思わずタメ口になってしまったが、エレオノーラは気にした素振りもなく答える。

「え? どうしてって、おかしなことを聞くのね」

長い睫毛が、ぱちくりと瞬く。

ついで、不思議そうに首が傾げられた。

そこには悪意も計算もなく、ただ純粋な疑問だけが浮かんでいる。

「理由なんてないわ。そうあるべきだからよ」

強くなる理由は、強くなりたいから。

それは、見事なまでの 同語反復(トートロジー) だった。

だが、彼女は「空は青い」というレベルの絶対的な真理のように、その理屈を信じ切っている。

「息をするのに理由がいる? 食事をするのに大義名分が必要? ……いいえ、違うわ。私たちはただ、渇いているのよ。高みへ至る道が見えているのに、そこを歩まないなんて選択肢、私たちの辞書には存在しない」

赤い瞳が、昏く輝く。

それは、純粋すぎるがゆえの狂気。

力の頂点に立つ者たちが共通して持つ、飽くなき渇望。

そうか。

この領域にいる連中は、そもそも「何かのために」強くなったわけじゃない。

強くなること自体が目的と化しているのだ。

「あなたも似たようなものでしょ?」

急な切っ先を向けられ、返答に詰まる。

「いや、俺は別に……平和に暮らせればそれで──」

本心のつもりだった。だが、エレオノーラの赤い瞳が小さく揺れ、俺の奥底を見透かすように射抜く。

「本当に?」

問いかけに、呼吸が止まる。

胃の腑に、冷たい鉛を流し込まれたような重圧。

「あなたの言う『平和』って、誰からも奪われない状態のことでしょう?」

エレオノーラは歌うように言葉を紡ぐ。

それは、否定ではない。俺の言葉を解剖し、その中身を暴くような響きだった。

「でもね、この世界で何も奪われないなんてありえないのよ。持っているモノが増えれば増えるほど、それを狙う敵も増える。資産も、名誉も、大切な人も。……全部、守り続けなきゃいけない」

彼女の指先が、空中の見えない何かをなぞる。

「奪われないためには、奪いに来る誰よりも強く在り続けるしかない。際限なく、永遠に。あなたが望む『平和』の維持コストはね、あなたが想像しているよりもずっと高いのよ」

エレオノーラは静かに首を振る。

「それに、強さを求めていない人間が、あなたほどの能力を身につけられるほどダンジョンは甘い場所ではないわ」

言われてみれば、その通りだ。

必死になって、死線を潜り抜け、泥を啜ってダンジョンに挑み続けてきた。

「なんとなく」探索者になった。同年代の奴らに負けないように、小銭を稼ぐために剣を振るった。

だが、今の俺はそんな次元をとっくに超えている。

一生遊んで暮らせる資産も築いた。

復讐という名の燃料も、とうに燃え尽きた。

いま、俺は何のためにダンジョンに潜っている?

自問自答の末、喉の奥から苦いものがこみ上げてくる。

力を求めていた自分がいることを、認めざるを得ない。

『マスター、私も肯定します。猪狩 勝利が行方不明になってからの期間がおかしかっただっただけで、頂上クラスの戦闘を見て、そこに自分が混ざるイメージを何度も思い描いている。それが、マスターです』

ナビ子の静かな声が、胸に突き刺さる。

「……確かにな」

――よりによって、こいつに指摘されて気付かされるのは、正直癪に障るが。

反論の言葉は喉元まで出かかったものの、結局、音になることはなかった。

エレオノーラの表情が、ふっと変わる。

「じゃあ、次は私から質問してもいい?」

興味深げに、白い体が身を乗り出してきた。

矢継ぎ早に質問を重ねた手前、ここで無下に断るのも筋が通らない。俺は素直に頷く。

「あなた、魔力操作が異常なくらいキレイよね? どうして? ……まあ、探索者の手の内をさらすことになるから、答えたくなければ別にいいわ」

理由は明白だ。

俺にはスキルシステムによる「補正」がなかったからだ。

だから、自分の肉体で覚えるしかなかった。

魔力の奔流を、筋肉の収縮を、空間の歪みを。

何万回と繰り返し、血反吐を吐きながら神経に焼き付けてきた結果が、今のこの動きだ。

だが、それをこの世界の人間に説明するのは骨が折れる。

彼らにとって「魔法はスキルが勝手にやってくれるもの」だからだ。

わざわざ手動で制御するなどという発想自体が、この世界には存在しない。

――いや、待てよ?

「……別に、隠すようなことじゃない」

脳裏に、一つの閃きが走る。

俺はこれまで、「 完全手動(フルマニュアル) 」であることを積極的に広めようとはしてこなかった。

いや、正確には「広めようとして失敗した」過去がある。

地球にいた頃、この技術の有用性を説いて回ったことがあったが、誰一人として真似してくれなかったのだ。

「効率が悪い」「スキルのほうが早い」「変人の趣味」

散々な言われようだった。

異世界に来てからは、村人たちにはマニュアル操作の基礎を教えてはいる。

彼らは素直に実践してくれているが、それでも俺のやっていることの「本質的な異常さ」までは理解していないだろう。

だから、半ば諦めていた。フルマニュアルのすばらしさを真に理解できる奴などいないと。

けれど、今はどうだ?

俺の技術は、帝国の女帝に「異常に美しい」と言わしめている。

なら、隠す必要なんてないんじゃないか?

むしろ、これこそが「探索者の目指すべき正統な道」だと堂々と示せばいい。

そして、その広告塔として、目の前の女帝以上に相応しい人材がいるだろうか?

(……悪くない。いい加減、変人だ変態だの言われることに飽きていたところだ)

コイツをこちらの側に引き込めば、俺の技術は「変人の奇行」から「最強のメソッド」に昇華されるかもしれない。

「いいだろう。教えてやるよ。俺がどうやってこの領域に至ったか」

最初は、鼻で笑っていた。

「そんなことができる人間がいてたまるものですか。私を煙に巻くつもりね」と。

だが、俺が具体的な手順――心拍数と魔力循環の同期、血管内圧の調整、神経伝達速度の強制上書き――を淡々と説明し、実際に指先でその現象を見せた瞬間、女帝の表情が凍りついた。

「……え、ナニソレ、気持ち悪い」

目の前の女帝は、心底理解できないモノを見るような目つきでこちらを凝視している。

白磁のように整った顔が歪み、鮮血色の瞳が小刻みに震えている。

未知への困惑が入り混じった、拒絶に近い反応。

女帝――エレオノーラは、しばらく黙ったまま俺を見つめていたが、やがてふっと肩の力を抜いた。

「でも、まぁ……確かに、壁を超えるためには、そういうことも必要なのかもしれないわね。私も、何度も“仕組み任せ”で誤魔化してきたのかも……。秘密を教えてくれて、ありがとう、ミナト」

――こいつは一体なんなのだろうか?

俺の中で、彼女の評価は目まぐるしく変わってきた。

最初は、『 聖域の結界石(サンクチュアリ・バリアストーン) 』を強奪した、憎き高ランク探索者。

二度目は、先輩を助けてくれたらしい恩人としての再会。それでも、その傲慢な態度は鼻についた。

そして今、目の前にいるのは、これまでの女帝らしさが嘘のように、普通の人間としてただ純粋に未知に興味を示す姿だった。一体どうしたというのか。

俺の困惑を察したのか、エレオノーラはほんのり口角を上げ、少し恥ずかしそうに視線を逸らす。

「そういえば……あなたからもらったあの“プレゼント”なのだけど、返したほうが良いわよね?」

「プレゼントじゃ――いや、別にいいさ。あれは先輩の“貸し”を返すために使ったわけだしな。返してもらうのは筋が通らない」

エレオノーラは、わずかにうれしそうに微笑んだ。

「そう……」

その声は小さく、けれど確実に安堵の色を帯びていた。

「……それはそうとして、また戦ってくれないかしら?」

唐突な切り出しだった。

先ほどの雰囲気から一変し、その瞳には再び好戦的な光が宿っている。

「いや、遠慮しておきます。……たぶん、あんたじゃもう俺には勝てないし」

「へぇ?」

空気が、軋む音を立てて凍りつく。

エレオノーラは、かつての嗜虐的な笑みを浮かべる。

それは、獲物を嬲る肉食獣の表情そのものだった。

「言うようになったじゃない。あれからまだ数日しか経っていないのよ?」

「『男子三日会わざれば刮目して見よ』って言葉を知ってます?」

「……?」

俺の言葉が上手く翻訳されなかったのか、彼女は一瞬きょとんとした後、すぐに余裕の笑みを取り戻した。

「ふふ、戦いたくないならそう言ってちょうだい」

「……は?」

こめかみの血管が、熱を持って拍動した。

そういえば、なんかいい奴っぽくなってたけど、結局コイツ、俺のレジェンダリーアイテムを奪った張本人だし、アポなしで村に来て住民を怖がらせるし、全然いい奴じゃねぇわ。

よし、分からせよう。

徹底的に。