軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第25話 おじさんと、黒い狼

轟音と共に、視界の隅で木片が爆ぜた。

夜間封鎖用のバリケードが、内側へと弾け飛ぶ。

舞い上がった土煙を裂いて、三つの黒い影が躍り込んできた。

『 敵性存在(エネミー) 確認。種族名「ブラック・ウルフ」。推定レベル43。村人たちの手に負える相手ではありません。通常、北の山裾に生息する警戒心の強い夜行性魔獣ですが――』

脳内に響くナビ子の警告に、舌打ちで答える。

「警戒心の強い夜行性魔獣、だったか?」

『前言撤回。現在は極度の飢餓状態にあり、判断能力が著しく低下しているようです』

ナビ子の言う通りだ。

目の前の 黒狼(ブラック・ウルフ) たちに、野生の知性は欠片も見当たらない。

眼球は白濁し、口角からは絶えず泡が零れ落ちている。ただ肉を求めるだけの、壊れた機械。

「う、うわぁぁぁぁっ!」

見張りの若者が、腰を抜かして槍を取り落とす。

その隙を、飢えた獣が見逃すはずもない。

先頭の一頭が、喉笛を目掛けてバネのように跳躍した。

「マズい……!」

足元の石を拾い上げ、投擲の構えを取る。

だが、それよりも速く、横合いから飛び出した影があった。

「させねぇよ!」

ガルだ。

飛び出しざま、空中のウルフへと錆びた鉄剣を叩き込む。

ガィン、と硬い音が響いた。

「ぐぅっ……!?」

だが、止めきれない。

レベルによる圧倒的なエネルギーの差。弾き飛ばされたのは、迎撃に向かったガルの方だった。

地面を無様に転がる。辛うじて剣だけは手放してはいないが、完全に無防備な状態。

着地したウルフが、標的をガルへと切り替える。

ガルはすぐさま体勢を立て直し、震える手で切っ先を突きつけるが、ウルフの目に警戒の色はない。

先の一撃で学習したのだ。「この獲物は脅威ではない」と。

ウルフは剣を避けようともせず、自ら刃に向かって体を押し付け、強引に距離を詰める。

「――え?」

ガルの目が驚愕に見開かれる。

懐に入り込んだウルフの牙が、無防備な腹へと迫る。

「クソッ!」

石を投げ捨て、地面を蹴った。

普段は極限まで絞っている気配を一気に解放し、威圧を黒狼に叩きつける。

「『伏せろ、駄犬ッ!』」

ドッ、と大気が軋むような錯覚。

まだ本調子ではないが、 自律進化(スタンドアロン) によりダンジョン外でも減衰しない俺の殺気は、高々レベル43ごときが耐えられる代物ではない。

真正面から“死”を浴びせられたウルフが、ビクリと硬直する。

――しかし、再起動は速かった。

恐怖よりも、飢餓という生存本能が勝ったのだ。

動きこそ鈍ったものの、大きく口を開けてガルへと喰らいつこうとする。

(……マジかよ、この状況で止まらねぇか!)

視界の中、世界がスローモーションに切り替わる。

ガルの強張った表情、ウルフの筋肉の収縮、飛び散る粘液。

思考を切り替える。威圧で止まらないなら、物理で止めるだけだ。

ガッ――!

鈍く重い衝撃音が、夜の村に響いた。

ガルの腹に牙が突き刺さる寸前、横から滑り込んだバールの先端が、ウルフの頭蓋を真横から粉砕していた。

慣性の法則に従い、巨大な狼の体が紙屑のように吹き飛ぶ。

「あ……」

ガルがへたり込む。

彼に目もくれず、残りの二頭へと向き直った。

『ターゲット捕捉。軌道予測ラインを表示します』

視界に赤い予測線が走る。

仲間を殺された怒りか、それともただの食欲か。残りの二頭が同時に躍りかかってくる。

(……チッ、重いな)

バールを振り抜く腕に、見えないゴム膜がまとわりついているような抵抗感。

脳が「動け」と命令してから、実際に肉体が反応するまでの、コンマ数秒のズレ。

以前の俺なら無意識に修正できていたその微細なラグが、今の俺には致命的なノイズとして知覚される。

一頭目の脳天を砕く。

返り血を避けるステップが、半歩遅れる。

その隙を突き、二頭目が足元へ噛み付こうと頭を下げた。

「邪魔だ」

回避を放棄し、あえて足を止めてバールを垂直に突き下ろす。

切っ先が背骨を捉え、砕く感触。

グシャリ、と嫌な音がして、二頭目のウルフが沈黙した。

戦闘時間、わずか十秒。

村人たちが瞬きをする間の出来事だった。

「……ふぅ」

肺に溜まった熱い息を吐き出し、バールの血糊を振るい落とす。

心拍数は平常値。

だが、指先には微かな痺れが走っていた。

『神経伝達速度に0.1秒の 遅延(ラグ) を観測。戦闘行動には支障ありませんが、 推奨限界値(レッドゾーン) ギリギリです』

「……だろうな。油の切れた機械みてぇだ」

数日前のワーム戦で限界を超えて酷使した反動が、未だに尾を引いている。

やはり、リハビリが必要だ。

知識と経験で誤魔化しているが、肉体のスペック不足はいかんともし難い。

「み、湊さん……!」

リリとガルが駆け寄ってくる。

俺は片手で彼らを制し、足元の死体へしゃがみ込んだ。

「近寄るな。……なんだ、こいつ」

最初にガルが切りつけた個体だ。

その口元からは、大量の涎が垂れ流されている。

「……腹が減りすぎて、判断力が鈍ってたか」

あばら骨が浮き出るほど痩せこけている。

本来なら警戒心の強いウルフが、罠があるかもしれない人間の集落に、正面から突っ込んでくるなど異常だ。

よほど切羽詰まっていたのだろう。

『解析完了。胃の内容物はゼロ。……少なくとも数日間は何も食べていません』

ナビ子の声が、冷静な事実を告げる。

「知性の低い魔物とはいえ、普通の獣なら餌場を変えるなりするはずだ。わざわざリスクの高い人間の村を襲うなんてのは、よっぽどの理由がある」

ウルフの死体を見下ろす。

その痩躯が、何かを訴えているように見えた。

『推測。本個体群は、より強大なモンスターに生息域を追われたものと考えられます。逃走中に美味しそうな気配を感じたため、飢餓状態のまま襲撃にきた可能性が高いです』

ナビ子の無機質な声が、俺の思考を代弁する。

こいつらは、俺たちを狙って襲いに来たんじゃない。

何かに追われ、逃げ惑った果てに、たまたま肉の匂いに釣られただけだ。

その進路上に、運悪くこの村があった。

不自然な静寂が、村を包む。

虫の音も、鳥の声もしない。

風の音だけが、やけに大きく鼓膜を叩く。

「……ガル、リリ。動けそうな奴らを集めろ」

立ち上がり、荒野の彼方――底知れぬ闇が広がる北の山岳地帯を見据える。

「え?」

「バリケードを直すぞ。今ある廃材だけじゃ足りない。家屋の床板でもなんでも剥がして持ってこい」

胃の腑が、冷たい手で鷲掴みにされたように縮み上がった。

これは、勘ではない。

かつて「フルマニュアル」で数多の戦場を潜り抜けてきた経験が告げている。

この静けさは、嵐の前の凪だ。

(おい、ナビ子。例の便利な『アカシック・レコード』とやらで、何が起きてるか調べられないか?)

『……マスター。簡単に仰いますが、地球外での接続は非常に不安定なんです。それに、アカシック・レコードは全事象の記録庫。そこから特定の情報を抽出するのは、砂漠から特定の砂粒を見つけるようなものなんですからね?』

ナビ子がジト目をする気配が伝わってくる。

『アクセスするだけでも超困難。超優秀なサポーターである私だからこそ、膨大な情報の海から必要なモノを拾い上げ、紐づけられているんですからね? その辺り、もう少し感謝していただきたいものです』

(はいはい、超優秀なナビ子さんのおかげで助かってるよ。で、どうなんだ? リソース多少食ってもいいから、原因を探ってくれ)

『……むぅ。まぁいいでしょう。並列処理リソースを20%割いて、北方の広域スキャンと因果律検索を実行します』

一拍の間。

そして、ナビ子の声色が事務的なものへと切り替わった。

『警告。北方の山岳地帯にて、大規模な生体反応の滞留を確認しました』

「……滞留? こっちに来てるんじゃねぇのか?」

『はい。現在は山岳地帯の中で縄張り争いをしているようです。先ほどのウルフたちは、その余波で弾き出された「敗残者」に過ぎません』

「じゃあ、連中が勝手に潰し合って、こっちには来ない可能性もあるってことか?」

『肯定します。争いが山岳地帯内部で完結すれば、南下のリスクは消失します。現時点での侵攻確率は未確定です』

「そうか……」

(……今すぐ元を断つべきか?)

『不可能です。完全に回復できていない現在のマスターでは、山岳地帯の深部へ踏み込むリスクが高すぎます。それに、マスターが不在の間に村が襲われれば終わりです』

ナビ子の指摘はもっともだ。

今の俺にできることは、いつ決壊してもいいように、受け皿を用意することだけだ。

夜空を仰ぎ、肺の底から息を吐き出す。

本隊がまだ山にいるなら、猶予はわずかにある。

遠くで、地鳴りのような音が――いや、それはまだ、気のせいだったのかもしれない。

だが、破滅の足音は確実に近づいていた。