軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

私情最大の喧嘩(終)

拍手の主はセレスティーヌの随員の男、ラ・カタンだ。しかしその表情は祝福しているようにはとても見えない。

コンラートの目には、諦めと無念さが混じったものに映った。

「これは予想外の結果になりましたなぁ、殿下」

口を開けば飛び出したのは慇懃無礼な言葉だ。とても、自国の王族に向ける者とも思われない。

「ラ・カタン。それはどういう意味です?」

「言葉の通りですよ、殿下。……いえ、セレスティーヌ様」

「無礼ですよ、ラ・カタン殿!」

殿下の敬称を外してセレスティーヌを呼ぶラ・カタンをシャルロッテが強い口調で嗜める。

だがラ・カタンは意にも介した様子がない。形のよい眉を片方だけ上げて不敵に言い放った。

「控えよ、シャルロッテ。侍女の分際で」

「ラ・カタン!」

これにはセレスティーヌが激昂する。

何が起こっているのだろうか。コンラートも理解が追い付いていない。

自国の王女摂政宮を、どうして腹心が急に莫迦にしだしたのか。

先帝だけが、事態を把握しているようで、腕を組んだまま成り行きを注視していた。

セレスが歳に似合わぬ怜悧さを帯びた言葉でラ・カタンを詰問する。

「どういうつもりなのだ、ラ・カタン。この婚約を寿ぐつもりがあるのか、ないのか」

「祝着至極に存じます。セレスティーヌ様個人にとっては大変喜ばしいことです」

「なんだと? どういう意味だ?」

「簡単なことです、元王女摂政宮殿下。貴女は王族の身にありながら、東王国とは不倶戴天の敵である帝国と通じるおつもりだ」

「違う。これは東王国のためである!」

セレスの獅子吼が耳を打つ。

コンラートにも段々と事態が飲み込めてきた。

このラ・カタンというこの貴族は見合いに反対だったのだ。幼王ユーグが政治の実権を握ることを望んでいるのであれば、セレスティーヌの影響力は削いでおきたいということだろう。

本来であれば、結婚したセレスティーヌは帝国へ輿入れし、東王国の宮廷への影響力は喪われることになる。だが、王女摂政宮は王女摂政宮だ。

今この場で見せた胆力とだけ見ても、政治的傑物であることは間違いない。

皇帝コンラートと夫婦になりながら、東王国の政治にも介入し続けることをこのラ・カタンは恐れている。そう考えれば全ての辻褄が合う。

「……見合いは失敗すると思っておりました。残念です」

王女摂政宮から見れば非主流派になる貴族たちが目付としてラ・カタンを帯同させたのだろう。

万が一にも婚姻が成立しそうになれば、見合いそのものを台無しにする。そういう底の浅い策が通じると本当に思っているのだろうか。

いや、通じたかもしれない。

コンラートでさえ、先にセレスと出会っていない状態で渋々見合いに出ていれば、何かもめごとがあれば嬉々として破棄に応じただろう。

元より自ら望んだ見合いでもない。つまり今のこの状態こそが偶然の産物なのだ。

「残念とは大した言い草ですね。王族の婚姻についてラ・カタン上級伯家はいつから異見を挟めるようになったのですか?」

「挟めませんとも。しかしこれは、命令なのです」

「命令、とは?」

懐から取り出した羊皮紙の封蝋を割り、ラ・カタンはそれを広げてみせる。

「東王国国王、ユーグ陛下の命です」

朗々とした声で読み上げる内容は、予想とは少し違っていた。

「もしセレスティーヌ・ド・オイリアが敵国の皇帝との婚約に応じるようであれば、その瞬間に摂政宮の職を解き、王室の一員としての権利を無期限に停止する。御名御璽」

貴族が仕組んだことではなかったのか。

幼王ユーグが自ら姉の職を解くというのは、コンラートには予想しえない事だった。

だがそれは、セレスティーヌにとっても同じことだったらしい。

引っ手繰るようにして羊皮紙を奪い取ると、セレスティーヌは今読上げられた文言に目を走らせ、そして膝から崩れ落ちる。

「残念です。セレスティーヌ様。とても残念です」

肩を竦めて見せるラ・カタンはしかし、言葉を継ぐことはできなかった。

すまし顔を横合いから激しく殴りつけたのは、帝国皇帝コンラート自身だ。

人を殴ったことなど、これまでの生涯で一度もない。

尻から床に倒れ込むラ・カタンよりも、コンラート自身が自らのしたことに驚いている。握り締めた拳とラ・カタンとを交互に見詰めた後、コンラートは警告した。

「……ラ・カタン殿。済まないが、私の将来の妻を侮辱するのはそれくらいにして頂こう」

ラ・カタンの顔色が赤く、そして青く変わる。

殴られた頬を抑えたまま、のろりと立ち上がった。

「このことは、東王国から厳重に抗議させて頂きます」

「何についての抗議だろうか。帝国皇帝の妃となるべき人間を侮辱した不埒な貴族を窘めただけのことだが」

そう言われてしまうとラ・カタンは何も言い返せない。この場には味方は誰もいないのだ。

騒ぎを聞きつけて店に踏み込もうとしていた両国の護衛も、普段は温厚な皇帝の切った啖呵にただただ、たじろいでいる。

這う這うの体でラ・カタンは逃げるように店から出ていった。

セレスがコンラートに抱き着く。コンラートはセレスの思わぬ積極性に少し驚きながらも、未来の妻をそっと抱き寄せた。

控えめな拍手が、こんどはシノブから贈られる。正真正銘、祝福の拍手だ。

拍手の輪は広がり、いつまでもいつまでも続いた。

「少しやり過ぎたかな」

報告書を早馬で受け取ったユーグは誰にともなく呟く。

あと数日もすれば、帝国の側から婚約の儀が発表されるだろう。それに合わせて、東王国からはセレスティーヌ・ド・オイリアの王室籍からの離脱が布告される。

「必要なことだと陛下が判断されたのです。ご自分をお信じ下さい」

「ありがとう。そうすることにする」

重心に気遣われたユーグは身体を玉座に預け、小さく溜め息を吐いた。

姉を放逐したことに後悔はないが申し訳なさはある。

まだ幼い自分の代わりに国を纏めてきた姉だ。愛しているし、感謝もしている。だからこそ、絶対に王女摂政宮という立場のままで帝国に輿入れしてもらうわけには行かなかった。

自分はまだ幼い。

大人共に知恵で負けるつもりはないが、姿かたちはまだ子供なのだ。自分ひとりの力で帝国と立ち向かうには、まだもう少し時間がかかる。

その間に、姉がもし男児を数人産んだりすれば。

まだ国内に燻るセレスティーヌ派が男児を旗頭にラ・パリシィアへ攻め上ってこないとも限らない。交通の要衝であるこの都は同時に攻め込みやすい場所にある。陥落することはないが、国内が混乱することだけは避けねばならない。

十二歳という年齢に似つかわしくない頭でそれだけ考えながら、ユーグの真の狙いは他のところにあった。

「こうでもしないと姉さまは東王国と旦那さんの間で苦しむことになるだろうからね」

「畏れながら、賢明なご配慮かと存じます」

セレスティーヌ・ド・オイリアは間もなくただのセレスティーヌになる。

権謀術数に長けた東王国の毒婦ではなく、十九歳の花嫁、セレスティーヌに、だ。

「お疲れ様でした、姉さま。これからユーグは一人で国を治めていきます」

それは手向けの様であり、同時に決意の言葉でもある。

今は完全に断絶した二人だが、いつの日か仲直りすることがあるかもしれない。

そうなった時、ただのユーグとセレスティーヌとして、何処かの居酒屋で美味いものでもつつきながら、話がしたいな。

そんなことを考えながら、ユーグは矢継ぎ早に指示を出していく。

姉を、王女からただの人に戻したのだ。その代償は、自分で背負って行かねばならない。

するべきことは無限とも思われるほど多く、任せられる人材はまだ多くなかった。しばらくは全てを自分で担わねばならないだろう。

不安はない。姉も来た道なのだ。

胸のロケットには、姉の肖像を入れたままにしてあった。