軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

私情最大の喧嘩(参)

目深にフードを被ったセレスティーヌ・ド・オイリアが静々と店内に入って来た。

顔は完全に隠れているのでコンラートからは表情は分からない。御付には貴族らしい男が一人。それともう一人、随員の女性がつき従っている。

その随員の女性を見て、コンラートは思わず声を上げそうになった。

セレスだ。

髪を上げて眼鏡は外しているが、そこに立っているのは、紛れもなくセレスだった。

セレスの方でも、コンラートを見て口元を押さえて驚いている。

「本日はようこそお越し下さったな。お初にお目にかかる。儂は……」

先帝がフードの王女摂政宮に席を勧めながら自己紹介をはじめた。

隣国ではあるが、王女摂政宮が帝室の人間と顔を合わせる機会はこれまでなかったことだ。

東王国の先王である<英雄王>の時代に、両国の仲が険悪になり過ぎたのが原因だった。

本来は歴史的な会談なのだが、今日は舞台が居酒屋だ。後世の史家はどう描くだろうか。

王女摂政宮に随行してきたラ・カタンという貴族も先帝に握手を求めている。名前は密偵からの報告で何度も耳にしていた。幼王ユーグとの繋がりが強く、王女摂政宮に対しては目付け役を自任しているという男だ。

だが、コンラートにとってはそんなことはどうでもいい。

「……セレス?」

「コンラート、さん?」

互いを確かめるように目と目で語り合う。先帝は立ったままの二人に訝しげな表情を一瞬向けたが、フードの女性に深々と頭を下げた。

「ようこそ、帝国へ。遠いところをわざわざ来て頂いてありがたい」

「こちらの方こそ。このような機会でもなければ帝国の奥深くまで旅行をすることなどありませんでしたから、とてもいい経験になりました」

二人とも口元に微笑こそ湛えているものの、まるで真剣を手に向き合っているようだ。

張り詰めた空気とはこういうことをいうのだろう。

対照的に、コンラートとセレスはただじっと見詰め合っている。

あれだけ語り合ったのに、まだ語り足りない。そう思わせる何かが、セレスにはある。

先帝とコンラートに向かい合うように王女摂政宮とセレスが席に着いた。ゼバスティアンとラ・カタンは脇に控えている。

「さて、ご足労願って申し訳ないのだが、今回の見合いはなかったことにして頂きたい」

思わぬ言葉にコンラートは先帝の顔を凝視した。先程までの自分との喧嘩は何だったのか。

単刀直入に切り出す先帝の表情は、暗い。

忸怩たる思いがあるのは、簡単に見て取れた。

「やはり事前に言っておったように我が孫は今回の件には乗り気ではないようだ。もしかしたら、と思ったのだが」

事前に、ということは成算の低い賭けだったと思っていたのだろう。

「私の方も今回の件については、再考しようと考えておりました……」

王女摂政宮の方も、声音は沈痛だ。

手間のかかる準備をしていながら、見合いははじめから失敗だったということになる。

そもそもが結婚する気のないコンラートと、歳の離れたセレスティーヌを娶せようというのだ。敵国同士の政略結婚としても、少し性急だったのだ。

見合いがそういうものだとはいえ、互いの地位や心情を考えるならもう少し周到に勧めてもよかったのではないか。

他人事のように考えながら、コンラートの視線はセレスから動かない。

今もう一度出会えたことが、奇蹟のように感じられている。

「非常に残念だ」

「ええ、こちらとしましても」

先帝とベールの王女摂政宮が揃って溜め息を吐いた。

互いが互いの体面のためだけに遠路遥々この居酒屋のぶにまでやってきたということになるのだから、無理もない。

あの席に座っているのが、もしセレスだったら。

コンラートは一も二もなくこの話を受けていただろう。

先帝に対してあれだけセレスティーヌを悪し様に罵った舌の根も乾かぬ内の話だが、そんなことはどうでもいい。

驚かされたのは、本当に先帝は見合いを無理強いするつもりがなかったということだ。

孫の心祖父知らず、と思っていたが、案外祖父の心孫知らずだったのかもしれない。

「……さ、王女摂政宮がわざわざこんなところまで足を運んで下さったのだ。挨拶くらいはしたらどうだろう、我が孫よ?」

王女摂政宮への挨拶を促そうと先帝がコンラートの袖を引く。

だが、コンラートは動かない。それよりも、為すべきことがある。

向かい合うセレスの手を、握った。

孫の顔を見つめる先帝に向かって、帝国皇帝は宣言する。その口調は自分でも驚くほどにはっきりとしていていた。

「……お祖父さま、私はこの女性と結婚したいと思います」

言い放ってから、セレスの同意を取り付けていなかったことを思い出す。

セレスはその手を振り払わなかった。ただ頬を赤らめ、頷く。

先帝は、何が起こったのか理解しかねているようだ。

唖然とも呆然ともつかない表情で、コンラートとセレス、そして王女摂政宮の顔を見比べている。

「ちょっと待て。見合いは反故になったが、王女摂政宮の前だぞ……さすがにそれは……」

先帝は慌てて立ち上がろうとするが、コンラートはそれをさっと手で制した。

「いえ、お祖父さま。私はこの帝国の皇帝です。自分の生涯の伴侶も選べずして、なんのための帝位でしょうか」

「しかし、な……」

気まずそうに先帝が見遣ると、突如、王女摂政宮がくすくすと笑いはじめた。その笑い声は次第に大きくなり、すぐに哄笑と言っていいほどになる。

「ど、どうなされた」

慌てる先帝の前で王女摂政宮はベールを取ると、眦から笑い涙を人差し指で拭うとセレスの方へ向き直った。

ベールの下から現れたのはセレスととてもよく似た背格好の、そばかすの女性だ。

「だ、そうですよ、“王女摂政宮殿下”」

王女摂政宮がセレスのことを王女摂政宮と呼ぶ。

水を向けられたセレスが、とびきりの笑顔で応じた。

「ええ、東王国王女摂政宮セレスティーヌ・ド・オイリア、帝国皇帝コンラート五世陛下の求婚を謹んでお受けします」

そう言って笑いはじめた二人の王女摂政宮を、店の中のほかの人間は唖然として見つめることしかできない。

コンラートと先帝、ゼバスティアン、タイショーとシノブ。それにラインホルト。

六者六様に、狐にでも化かされたような表情を浮かべていた。

「……セレス、じゃあ君がセレスなのかい?」

コンラートの質問は少し間が抜けている。だが、それ以外に尋ねようがない。

セレスが頷いた。

「ええ、私がセレスティーヌ・ド・オイリア。本当の王女摂政宮は、私なのです。こちらは侍女で影武者のシャルロッテ」

「影武者……」

セレスティーヌと背格好の似たシャルロッテが恭しく一礼する。

影武者というだけあって、所作は完全にセレスのものと一致していた。顔を隠した状態では見分けがつかないかもしれない。

言わば敵地である古都での見合いだ。最低限の随員しか付けられないとなれば、警戒するのも当然だろう。

緊迫した雰囲気は一転して和やかなものになった。

「……後でどういうことか説明してもらうぞ」

先帝が笑顔を貼り付けたまま低く呟き、隣に立つコンラートも引き攣った笑みで応じる。

「一目惚れですよ。しょうがないじゃないですか」

「時と場合による。……だが、でかしたぞ、我が孫よ」

先帝が皇帝の肩に手を置く。その仕草はどこまでも暖かかい。

居酒屋のぶの店内に空虚な拍手が響いたのはその時だった。