軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

食べたい中身(後篇)

「オムそば、ですか?」

オムそばの、中身。つまり焼きそばだ。

どうしてエーファの父親が焼きそばを知っているのだろうか?

記憶の糸を辿り、居酒屋のぶでオムそばを振舞ったお客たちのことを思い出す。

「あ!」

そう言えば、エーファが勤めはじめた頃に、オムそばを振舞った記憶がある。賄いとして作った分を自分では全部は食べず、弟妹のために持ち帰ろうとした時だ。

エーファの母親がコロコロと笑いながら説明を付け足す。

「あの娘が持って帰ってくれたものでしょう? この人ったら、少しでも食べたかったみたいで、オムソバの中身のほんの小さな切れ端を食べて、こぉんな風に目を見開いちゃって」

人差し指と親指で目を見開く真似をする母親を、止めないか、と父親が咳払いで窘める。

「どうだろう、難しいものなのだろうか?」

「いえ、大丈夫です。お作りしますね」

少し不安げに尋ねる父親に、信之が笑顔で答えた。

「あ、それよりも、オムそばにしましょうか?」

確認する信之に、父親はいやいやと畏れ入った風に首を振り、

「中身だけで結構。それで十分なおもてなしですから」と言い含めるような口調で答える。

母親の方はと尋ねると、同じものでいい、同じものがいい、ということだ。

「オムそばの中身、二人前ですね」

注文を受ければ、そこからは早い。

ハンスに指示を出しながら、信之が材料の用意に取り掛かった。

とんとんとんとんと、野菜を切る音が耳に小気味いい。

母親は物珍し気に店内を見つめ、「ねぇねぇお父さん」とか「ちょっと、あれを見て頂戴!」とか「あの祭壇、不思議ねぇ」とか言ってはしゃいでいるのに対し、父親の方はと言えば、瞑目して、酒席の喧騒にじっと耳を欹てているようだ。

「ね、エーファちゃん」

お客の食べ終わった皿を下げてきたエーファの袖を捕まえて、そっと耳元で尋ねる。

「なんですか?」

「どうしてエーファちゃんのお父さんは、中身だけでいいって言うのかな?」

ああ、それは、とエーファが複雑な表情を浮かべた。

「父も母も、新しい開拓地と犂の賃貸料のために、何もかも切り詰めて粗食でやってきましたから、鶏の卵は贅沢品だと身に沁みついているんだと思います」

鶏の卵は、換金できる畜産物だから、手に入れば売ってしまう。売れなかったとしても、子供に食べさせるから、自分の口に入るようなものだと思っていないのだそうだ。

「なるほどね……」

信之が麺の用意をはじめた。

軽く水洗いをした麺の水気を取り、そこに匙で酒を軽く振ってから手で揉み、馴染ませる。こうすることで、麺の舌触りがよくなるらしい。

油を熱したフライパンに、豚バラ肉。火が通ったらキャベツと玉ねぎ、にんじんを炒めてやる。もやしを入れたら、塩胡椒で味を調えたら、一度皿に上げ、次は麺だ。

麺を炒めながらソースを絡ませると、店の中に香ばしい香りが満ちていく。

じうぅぅぅぅ。

焼きそばやお好み焼きは、舌だけでなく、鼻も耳も楽しませる料理だ。

対面で調理をする粉ものは、食べるまでのエンターテイメントも含めた、総合料理なのではないかな、としのぶは勝手に思っている。

皿に上げておいた野菜と肉をフライパンに戻すと、ジャッとクライマックスを告げる音。

ここからは速度が命だ。

野菜のしんなりしてしまった焼きそばを、しのぶは縁日と海の家以外では認めない。

ジャッジャッジャッ!

皿に盛り、青のりとかつお節をかける。

ここで完成か、と思いきや。信之がさっと卵を割り、あっという間に目玉焼きを作ると、焼きそばにのせる。

「えっ」

驚いた声を上げたのは、エーファの父親だ。

「私が頼んだのは、オムソバの中身で……」

「はい。オムそばの中身を当店でお出しするときには、目玉焼きが付くのです」

信之の返答に、父親はなおも何か言い募ろうとするが、一瞬の逡巡の後、深く、大きな溜め息を吐いた。

「……ありがとう」

どこか観念したような、それでいて嬉しさも隠し切れないというような、複雑な表情を浮かべ、フォークを手に取る。

ぎこちない手つきで、一口。

味を確かめるように噛みしめ、また、一口。

ここで何か言おうと口を開いたのだが、堪え切れないように、もう一口。

そこからは、もう何も言わなかった。

食べる、食べる、食べる。

口髭がソースで汚れるのも構わず、一心不乱にフォークを動かす。

目玉焼きの半熟の黄身を「つぷり」とフォークで切る瞬間だけ、動きが慎重になった。

秘教の神官が聖寵の秘密に触れるかのような、畏れと慈しみと精緻であろうとする祈りの籠った動きだ。

皿を空にしてしまって、エーファの父親は漸く、言葉を発する。

「…………美味い」

万感の思いの籠った、感想だ。

信之とハンスの口元も、自然と綻ぶ。

「旦那、ソース味の食べ物には、トリアエズナマがよく合うんだよ」

リオンティーヌが、いつの間に注いだのか、ジョッキをゴトリと父親の前に置く。

「い、いや、私は」

父親の視線の彷徨う先で、しのぶも、信之も、エーファも、エーファの母親も微笑む。

「……では、一杯だけ」

両掌でジョッキを包み込むようにして一度持ち、冷たさに目を見開いた。

それから、ゆっくりと、丁寧に口を付ける。

ゴッ

ゴッゴッ

ゴッゴッゴッ……

「ぷはぁ!」

口髭の滴りを豪快に腕で拭う。

その表情は店を訪れた当初とは違い、緊張が解け、寛いだものとなっていた。

「エーファは……うちの不肖の娘は、本当にいい店で働かせて貰っているのですね」

「お父さん!」

照れとも恥ずかしさとも、感謝とも取れる声を、エーファがあげる。

これまで恐らくは様子を窺っていたであろう店内の他のお客たちも、これには笑い声をあげた。

「本当に素敵なお招きで……」

「ちょっと待ってください」

焼きそばを食べ終えたエーファの母親が辞去の口上をはじめたのを、しのぶは慌てて制する。

「歓待はまだまだこれからです」

すると父親も母親も驚いた顔をして、

「いえいえ、こんなに大層な料理をご馳走になって……」

「もう十分に頂きましたよ」と恐縮した。

だが、ここで二人を帰すわけにはいかない。

「ダメ。今日は二人に、たっぷりと楽しんでお腹がはち切れるくらい食べてもらいます!」

腰に手を当てて宣言するエーファに、両親は何か反駁しようとしたようだが、諦めて微笑んだ。

「腹がはち切れるのは困るな。明日の仕事に差し支える」

「でも、お父さん、開墾はひと段落したって……」

「開いた畑に春蒔きの小麦を蒔かにゃならんだろう?」

何を当たり前のことを、というように父親が答えると、

「それに、もっと畑を広げたいしね」と、母親が付け足した。

「さぁ、料理は次々出てきますからね! まずは春野菜のテンプラです」

ハンスがたっぷりと二人の皿に、筍の天ぷらを出す。

「二人とも、覚悟して食べて貰いますからね」

エーファの言葉に、また店内が笑いに包まれる。

この日の笑い声は、夜遅くまで途切れることがなかった。