軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

食べたい中身(前篇)

緊張は、伝染する。

普段は天真爛漫なエーファが、今日は頭のてっぺんから踵までまっすぐに棒杭でも通したようにガチガチになっていた。

見ているしのぶの方まで胃の痛くなりそうな緊張ぶりだ。

普段、居酒屋のぶで迎えているお客のことを考えると、固くなり過ぎだという気もする。

ギルドのマスターに市参事会の議長、貴族から諸侯、果ては皇族まで。やんごとなき方々も物怖じせずに応対するエーファを完全に硬直させているお客。

「いつも、娘がお世話になっております」

「本当にご迷惑を……」

帽子を取って深々と頭を下げている農夫とその隣で何度もお辞儀をしている女性。

エーファの両親だ。

「ど、どうぞこちらの席へ!」

ブリキ人形か何かのようにぎこちない動きで、エーファが二人をカウンター席に案内する。

二人が居酒屋のぶを訪れたのは、実ははじめてのことではない。エーファがこの店の一員となるきっけかになった蛇口騒動があってすぐに、二人してお詫びにきたことがあった。

地面に頭を擦りつけんばかりに平身低頭するエーファの両親に頭を上げるよう信之と二人で逆に頼み込んだのが昨日のことのようだ。

その時にも食事を提供しようとしたのだが、恐懼して辞退されてしまった。

あれから色々なことがあり、エーファもこの店で重要な役割を果たしている。

古都も春を迎えてめでたい雰囲気であることだし、ということで、改めて二人を招待することを提案したのは、しのぶだった。

「お忙しいのに、招きに応じて頂き、ありがとうございます」

店主として信之が脱帽して頭を下げる。するとエーファの父親がいやいや、と両掌を前で振って恐縮した。

髭面で、背は低いががっしりとした体躯を持つ父親だが、緑色の瞳はエーファによく似ている。

「本当ならちゃんとした席を設けたかったんですが、営業時間中ですみません」

しのぶも重ねて非礼に頭を下げた。

居酒屋のぶは今日も大入り満員。湿寒の冬が終わったからか、古都の人々の足取りは軽く、のぶだけでなく、他の飲食店も忙しいそうだ。通りを歩く人の足取りも軽く、迎える側も心が弾む。

「いいんですよ、お招き頂いただけでもありがたくて」

朗らかに笑うエーファの母親の表情からは、隠し切れない人のよさが伝わってきた。

背が低く、細身だが、どこにそれだけの力が蓄えられているのかと思うほどにせかせかと動く。

一目見ただけで、お似合いの夫婦だということが見て取れた。

「おしぼりをどうぞ!」

エーファがおしぼりを手渡す二人の手は、畑仕事で節くれ立っている。

働き者の手だな、としのぶが思い出したのは、料亭〈ゆきつな〉に野菜を直接納入していた農家の老爺の掌だ。拭っても落ちない土の匂いが馥しく感じられたのを思い出す。

温かいおしぼりを受け取った二人の反応も、両極端だ。

父親の方は眉を少し動かしただけだが、母親はまず温かさに驚き、タオルの清潔さに驚き、サービスのよさを夫に一頻り感嘆してみせる。仲のいい夫婦だ。

「最近、やっと仕事が、一区切りつきまして」

普段から言葉少ななのだろう。

父親の紡ぐ言葉は一つ一つ吟味され、惜しむように口から紡がれる。

「もう随分と昔から開墾をしていたんですけれども、そちらの土地が漸く、畑として使えるようになったんですよ」

補足する母親の言葉を聞いて、エーファの家族の置かれている状況が段々と分かってきた。

しのぶの理解するところでは、こうだ。

運河の件が持ち上がるより遥か以前から、古都の人口は少しずつ増加していた。

かつて繫栄していたときに建設された古都の市壁はその豊かな懐に増え続ける人々を抱え込み続けていたが、いよいよ限界が訪れる。

便利のよい都市の中心部から次第に家賃が上がり、壁際いっぱいまで家が立ち並んだ。

こうなると、貧しい者は壁の外に家を建てるようになる。古都でも既に壁の外に家を持つ人は珍しくなくなっているという。

こうなったとき、決断を迫られるのは壁の周囲で畑を営む農民たちだ。

人口が増えれば人々が食べるパンの量も更に多く必要になる。麦の需要は多くなるから、本当なら農家はもっと必要とされるはず。

しかし、土地は有限だ。

市壁の中に家を持てずに外へ出てきた人たちは、なるべく壁に近い場所に家を建てたいと思う。その場所に今あるのは、農民たちの畑だ。家を建てたい人々と地主の間で売買の交渉があり、双方満足がいけば土地は譲渡される。

そこを実際に耕している農民のことも考慮はされるだろうが、都市が拡大するのを押しとどめることができない。

耕している農民たちは、狭くなった土地を耕すべきか。それとも、諦めるか。

そこで、エーファの両親をはじめとした農民たちは、壁から少し離れたところを開墾することにしたのだ。

人から借りた土地を耕すのではなく、自分たちの畑を開墾する。

開墾と口にすれば一言だが、その苦労は想像を絶するはずだ。

幼い弟妹の世話をエーファに任せ、必死に 曠野(あれの) を耕す両親の労苦は如何ばかりだっただろうか。

幸い、親切な貴族が牛と有輪の犂を安価で貸してくれたことで、作業が捗ったらしい。

「エーファには本当に小さな頃からいろいろと苦労のかけ通しなのに、お姉ちゃんだから、文句の一つも言わずに……」

「お、おかあさん!」

「自分を犠牲にしちゃうところがあるのが、親としては心配で……」

エーファは家でもお姉ちゃんとして頑張っているそうだ。

服を買うようにとお金を渡しても弟妹の分だけを買って、自分は襤褸を着ていたという。

それを聞いて、はじめて会った日にエーファがみすぼらしい格好をしていた謎が解けた。あのぼろぼろの服は、弟妹のために自分のことを後回しにしていたからだったのか。

他のお客の注文もあるから、両親の話を聞きながらも、エーファは客席の間をぴょんぴょんと跳ね回るように仕事をこなしている。エーファの動きを見て目を細める父親の表情に、しのぶは密かに安堵した。

エーファを雇うことが貧者への哀れみなら、止めてほしい。

もしもそうであるならば、償いは他の形で必ず果たすから。

蛇口盗難未遂事件の頭を下げにきた父親は、信之としのぶにはっきりとそう言った。

しのぶにも信之にもそんなつもりはまるでなかったのだが、真面目に働く農夫の矜持を傷つけてしまったのではないかと慌てたものだ。

ひょっとすると今日の招きに応じたのも、改めてエーファの就労を断るつもりではないかと、心の片隅で心配していたのだが、杞憂だったようだ。

「ご注文は、何になさいますか?」

お通しの海老 真薯(しんじょ) の餡かけだけで満足そうな二人に、エーファが尋ねる。

「ん? ああ、注文な」

困ったそぶりを見せる父親の袖を、母親がくいくいと引いた。

「お父さん、あれが食べたいって言ってたじゃないですか」

「よ、余計なことを」

狼狽する父親の顔を見て、エーファも首を傾げる。

いったい、どんな料理を食べたいというのだろうか。可能な限り、答えてあげたい。

「あー、あの、中身を、食べたいんだ」

「中身、ですか?」

信之が問い返すと、視線を逸らし、頬を人差し指で掻きながら恥ずかし気に、父親は呟く。

「エーファの持って帰ってきた、オムソバ、という奴の、中身を……」