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作品タイトル不明

〈槍〉のウルスラ(後篇)

ほう、とウルスラが興味深げに口元だけで笑う。

「初耳ですね。私はいつ、姫の料理を食べられるのですか」

「今、この場で」

顔を上げ、オーサははっきりと言い切った。

「戦と、文化と、嵐の神に誓って」

髪は陽光を照り返し、虹色に輝いている。

ウルスラは少し考えて、両の掌を擦り擦り合わせてから、

「いいでしょう」と微笑んだ。

〈四翼の獅子〉亭の厨房を、借りる。

作るのは一品。目標は、ウルスラを納得させることのみ。

厨房の主、リュービクは快く許可を出した。

「ここの料理は、争いを収めるためのものですから」

普通なら王族の身分にあるものが厨房に立つなどありえない。

しかし、スネッフェルスの家は別だ。

普段は作らなくとも、調理の仕方は憶えておかねばならない。

イーサクのような男の司厨長を置きながら、大宴席は女が差配する。

それが家風であり、家訓であり、仕来りであった。

武の家であるスネッフェルスでは男の発言力が代々強い。

稀に男どもを武力で薙ぎ倒してしまう〈槍〉のウルスラのような傑物が現れるが、あくまでもそれは例外だ。

男は外向きのことを。

女は内向きのことを。

分業といえば聞こえはいいが、結局は束縛ではないのか。

イーサクはずっとそのことで悩んでいたが、オーサが料理をする、と決めた時点で、ほんの少し残念に思っていた。

オーサなら、アルヌを良妻賢母として支えるだけでなく、更に踏み込んでアルヌを助けてくれる予感が微かにあったのだ。

それを裏切られた。いや、イーサクが勝手に期待をかけていただけなのだが。

考え事をするイーサクに、オーサは優しく声を掛ける。

「イーサク」

料理の介添え役としてアルヌによって指名された司厨長の名を、オーサは古くからの親友の名のように呼んだ。

「私は、伝統に従って料理を作るわけではない」

はじめて使う厨房に悪戦苦闘しながら、オーサの表情には、微塵の不安もない。

「私は、アルヌ・スネッフェルスのために、料理を作るのだ。ただのオーサとして」

イーサクは、耳を疑った。

〈銀の虹〉の姫君は「伝統と決別する」と宣言している。

アルヌ・サクヌッセンブルクの許嫁としてではなく、スネッフェルス家の姫君としてでもなく、ただのオーサとして、料理をする。

今ここで料理をするのは、スネッフェルス家累代の伝統を守るためではない。

もっと単純に、一人の個人としてのオーサが、アルヌという人間のために、料理を作るのだ。

オーサは、凛とそう言い放った。

決意の重さに、イーサクは慄く。

実態としては何も変わらない。

オーサが料理を作り、それを認められてアルヌに嫁ぐ。

けれども、気持ちが違うのだ。

伝統や仕来りといったしがらみとは一切の関係なく、一人の人間が、愛する一人の人間のために料理を作る。

ならば、アルヌに仕える身として、イーサクに否やのあろうはずがない。

「それでオーサ様、今日は何をおつくりに?」

泣く子も黙る〈槍〉のウルスラの前であれだけの啖呵を切ってみせたのだ。

きっと何か秘策があるに相違ない。

オーサが料理下手だということは、イーサクも風の噂に聞き知っている。

王族の姫が料理をするなど稀なのだから、料理の美味い下手など人品の瑕疵とはなりえない。

傷つけない噂話の類いこそ、羽の生えが生えたかのように飛んでいく。

曰く、まともに魚を焼くこともできない。

曰く、野菜を煮ることさえまともにできない。

曰く、小鳥の死んだものをアザラシの腹の中に詰めて土の中に埋めている。

しかし、あくまでも噂は噂だ。

あれだけの啖呵を切ってみせたのだから、何か策はあるだろう。

いくら料理が下手だとは言え、簡単な料理はいくつもある。イーサクはその秘策に賭けていた。

「それで姫殿下、何をお作りに?」

「決まっている。あの人の大好きな料理を」

タイショーやリュービクの介添えは許されず、横にいるのはイーサクだけだ。

手伝いは許されない。

あくまでも、助言者としての立ち位置である。

〈銀の虹〉の姫君が作るのは、テンプラだ。

「手順はしっかりと学んだ」

そう言って胸を張るオーサだが、煌く〈銀の虹〉の髪色に反して、その表情は優れない。

「ではまず、下拵えを」

材料だけは、豊富にあった。〈四翼の獅子〉亭と居酒屋ノブからたっぷりと運ばれている。

今この場に足りないのは、姫自身の経験だけだ。

材料の一つ一つを、姫君の指先が丁寧に処理していく。

武門の娘というだけあって、物を切るのは滅法うまい。

勘がいいのか、それ以外の手際も、さほど悪いようには見えなかった。

しかし。

「ここで、砂糖を振ってみるのはどうだろうか?」

「あの食材とこの食材、組み合わせてみるといい味になるかもしれないな」

「何事にも、工夫は必要だな」

料理をする内に次第に元気と取り戻してきたオーサ姫の思い付きを、サクヌッセンブルク侯爵家司厨長として、イーサクは何度も制止しなければならなかった。

料理下手にも色々な型があるが、オーサ姫は、何でも試してみなければならないという手合いであるようだ。

普段の食事であれば、失敗は単なる失敗に過ぎない。

失敗の積み重ねから生まれるものもあるだろう。

だが、今日は違った。

一世一代の大勝負の場なのだ。

堅実に、堅実に。

スネッフェルス家は、武と冒険の家柄だ。

〈凍てつく島〉へ辿り着いたのも、遥かな英雄詩の彼方、霧の時代に海を渡って来たからだと伝えられている。

末裔が春を求めてサクヌッセンブルク侯爵家の家祖となったのも頷ける。

そのスネッフェルス家の姫君に、手順を遵守しろというのは酷なことかもしれない。

だが、オーサはアルヌの忠実な司厨長であり、同時に近い将来、オーサにとっての忠実な司厨長ともなる。

〈槍〉のウルスラの口に入るこの料理だけは成功させなければならない。

「この氷は夏には氷室から取ってくる貴重なものです」

「〈凍てつく島〉の出身でも氷が貴重だというのは分かっている。帝国の常識を身に付けるために大叔母上の家で行儀見習いをしているのだからな」

どうでもいい話をしながら、具材に衣を付けていく。

衣を付けるときにボウルを二つ重ねて、上のボウルの衣を下のボウルの氷で冷やすというのは、タイショーに教えてもらった方法だ。

こうすることで、テンプラの食感がサクサクに仕上がるのだという。

ハンスに教えるためか、最近のタイショーは、自分が扱う技術だけでなく、誰でも簡単に料理を美味しく仕上げるための方法を考えているようだ。

その一つとして、この方法をイーサクは居酒屋ノブで教わっていた。

「イーサク、油の温度を見てくれないか」

助言だけということだが、これくらいの手伝いなら許されるだろう。

「姫、くれぐれも妙なものに衣を付けないで下さいね」

何度も注意されて懲りたのか、オーサは悪戯をした後の猫のように神妙な顔で頷いた。

テンプラは、油の温度が命。

二つの鍋に違う温度の油を用意する。

「姫、準備はよろしいですか」

ええ、とオーサが大量の食材を運んでくる。

「どうせなら、大叔母様にもここで食べてもらうというのはどうだろう」

「と、言いますと?」

〈銀の虹〉の姫君は、小さくぺろりと舌を出した。

「どんな料理でも、できたてのつまみ食いが一等美味しく感じるものだからな」

〈四翼の獅子〉亭の厨房は、物見高い観客たちで埋め尽くされている。

厨房に招き入れられた〈槍〉のウルスラは、勧められた大仰な椅子を丁重に断った。

「つまみ食いというのは、女たちに許された神聖不可侵な権利なんですよ。椅子に座って食べるなんて男たちの流儀で食べるのは、感心しません」

見守るアルヌ達の前で、オーサが次々とテンプラを揚げていく。

二つの油鍋を使って揚げるのは、居酒屋ノブでカラアゲを揚げるときに使う二度揚げの要領だ。

カラカラカラカラ。

カラカラカラカラ。

カラカラカラ、ジュッ。

小気味のいい音が厨房に響き、芳しい香りが辺りに漂いはじめた。

レンコン。

キス。

タマネギ。

ゴボウとニンジンのカキアゲ。

トリササミ。

口をさっぱりさせるベニショウガに、シシトウ。

次々と揚がる料理に、見守る男たちも生唾を飲む。

イーサク自身も、ここにエールの一杯でもあれば、と思わず神に祈るほどだ。

「ふむ、どれもいい按配に仕上がっていますね」

恐るべき食慾で揚げた端からテンプラを次々と完食していくウルスラは満足げに微笑む。

「でも、足りないものがあります」

柔らかく、しかし、厳然とウルスラが宣告するのに、オーサは表情を引き締めた。

「冒険心です」

「冒険心、とは」

「ここにあるテンプラは、どれも美味しいです。褒めているのですよ。貴女の腕を知っている私がいうのですから、間違いありません。しかし、これは、誰かの味です」

イーサクは、言葉に詰まる。

全てが裏目に出た格好だ。

求められているものを、間違えたのだ。

しかし、当の本人であるオーサは余裕に満ちた表情だった。

「大叔母上、これを」

恭しく差し出したのは、一切れのテンプラ。

はて、あんな具材に衣を付けていただろうか。

訝しむイーサクの目の前で、ウルスラがテンプラを口に運ぶ。

「ほほう」

味わうように噛み締める〈槍〉のウルスラの表情は、乙女のように柔らかだ。

「オーサ姫殿下、これは何を?」

尋ねるウルスラに、オーサは満面の笑みで応えた。

「オデンのダイコンのテンプラです」

オデンのダイコン。

そういえば、とイーサクは思い出す。

油の様子を見に行っているときに、オーサが何か怪しげな動きをしていなかったか。

確かに、この厨房には宴席用にノブのオデンも大鍋で作られている。

だが、それを揚げるとは。

「如何ですか、大叔母様」

オーサが感想を求めると、ウルスラはやれやれと首を振った。

そして、満面の笑みを浮かべる。

「このウルスラ・スネッフェルス、生涯唯一の、一騎討ちでの敗北のようね」

おおっというどよめきが上がり、厨房を埋め尽くす観客たちの間にさざ波のように広がった。

歓呼と祝福の声は厨房に入り切れずに大広間にたむろする河賊や衛兵、古都の住民の間にも伝播していく。

「アルヌ閣下万歳! オーサ殿下万歳!」

「アルヌ閣下万歳! オーサ殿下万歳!」

群衆にもみくちゃにされながら、アルヌがイーサクに耳打ちした。

「よくやってくれたな、イーサク」

「いえ、私は何も」

まぁ誰のお陰でもいいさ、とアルヌはオーサの黒髪をくしゃりと撫でる。

「今は、 嵐の神(ヴォーデン) に感謝だな」

宴が決闘になり、また宴となり、そこからまた戦闘になって、最後に三度宴となった。

リュービクの部下も、居酒屋ノブの面々も、ついでにサクヌッセンブルクの厨房係も、総動員で料理を作る。

階下の騒動を聞きつけて広間に降りてきて、盛り上がりは最高潮。

婚約の宴は夜を越えて朝を越え、そればかりか昼もまたぎ越して、二日にわたる大宴会として、〈四翼の獅子〉亭の伝説に、新たな一頁を加えたのだった。