軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

双根の樹(前篇)

エレオノーラは後悔していた。

それも、激しく。

「エレオノーラ ちゃん(・・・) 、トリアエズナマ一つね」

「あ、エレオノーラ ちゃん(・・・) 、ワカドリノカラアゲ追加で!」

秋の日も傾き、書き入れ時の居酒屋ノブ。

しかし普段であれば八面六臂の活躍をしているはずの、シノブとリオンティーヌの姿はない。

代わりに割烹着姿で走り回っているのは、帝国直轄都市アイテーリアにその名を轟かす三大水運ギルドの一つ〈 鳥娘(ハルピュイア) の舟唄〉のギルドマスター、エレオノーラだ。

「はい、トリアエズナマ、お待たせ」

「こっちはワカドリノカラアゲね!」

慣れない仕事に四苦八苦しながらも、泣き言を零さないのは流石に古都参事会に名を連ねる才女というだけのことはある。

事の発端は、ノブの開店前に遡る。

「え、しのぶちゃん今、三十九℃なの?」

店の奥から、タイショーの驚いた声が聞こえた。

水運ギルドにとっての重要事項を話し合う会合の場としてノブで話し込んでいた、ゴドハルト、ラインホルト、エレオノーラの三人に、聞こえないはずがない。

「……サンジュウクドって、何だ……?」

タコワサを摘まみながら、ゴドハルトが首を捻る。

「さて、聞いたことのない単語ですが、語感からすると、病気か何かの類いでは?」

ウマキに箸を伸ばしながら、ラインホルトが答えた。

「じゃあ、今日のノブの営業ってどうするのかしらね」

爪の手入れをしながらエレオノーラが尋ねると、ゴドハルトとラインホルトは顔を見合わせる。

「ここは、リオンティーヌに頑張ってもらう、ということで」

「エーファちゃんもいることですしね」

会場として借りている以上、ノブの営業は三人にとって共通の心配事項だ。

店が開かないとなると、何となく申し訳ない気分になる。

「ま、どうしようもない時は私が手伝ってあげるわよ。双月の神に誓ってもいいわ」

ふっ、と爪を拭きながら、エレオノーラが微笑んだ。

三大水運ギルドのマスター職という信じられないほどの激務に較べれば、居酒屋の店員がいくら多忙だと言っても、どれほどのことがあろうか。

「それにもうすぐ、リオンティーヌも来るでしょ」

エレオノーラがそう言うと同時に、硝子戸が力なく引き開けられた。

「す、すまない……」

噂をすれば、影。

真っ青な顔をしてよろよろと店の中へ転がり込んできたのは、元傭兵でノブの店員をしている、リオンティーヌだ。

「だ、大丈夫ですか!」

厨房から慌てて飛び出したハンスが、リオンティーヌを抱え起こす。

「悪いね……ちょっとした腹痛だから大丈夫だと思ったんだけど、ここに来るまでに急に酷くなっちまってね……」

息も絶え絶えという有り様のリオンティーヌを見て、ハンスはすぐさまエーファにイングリドを呼ぶように伝えた。

すぐに駆け付けたイングリドによると、心配するほどのことではないらしい。

煎じ薬を飲ませて安静にしておけば、すぐに良くなるということだ。

「きょ、今日の勤務は……?」と息も絶え絶えにリオンティーヌが尋ねると、イングリドは鼻で笑って、「寝言は寝てから言うんだね」と言い捨てた。

なんだか大変なことになってきた、とエレオノーラが振り返ると、ゴドハルトとラインホルトが神妙な顔付きでこちらの方を見つめていた。

「エレオノーラ……いくらお前さんが競合するギルドのマスターだからとは言え、今日ばかりは、同情を禁じ得ないよ」とゴドハルト。

「双月の神へと確かに誓いを立てたのですから……御役目を果たされること、期待しています」とラインホルト。

二人とも、真面目腐った顔をしているが、口元には隠し切れない笑みが見え隠れしている。

しまった、と思った時にはもう遅い。

すすす、と割烹着を持ってきたのは、タイショーだ。

「ありがとう、エレオノーラさん。今日はなるべく店を開けたかったんだ」

「どうして? 別に普通の日じゃないの?」

エレオノーラの言葉に、ゴドハルトとラインハルト、それにタイショーとハンスまでもが驚いた表情を浮かべる。

「エレオノーラさん、今日が何の日か、知ってる?」

タイショーに尋ねられ、エレオノーラは白魚のような指先を形のよい顎に当てて考えた。

「今日……?」

そう言えば、今日は秘書のニコラウスが朝からとても忙しそうにしていたような気がする。

重そうな革袋を抱えて、ギルド本部の階段を上がったり下がったり……

「あ」

給料日だ。

水運ギルドの荷受人夫だけではない。

衛兵から職人、商会の手代に至るまで、今日は古都の給料日だ。

借金取りが駆け回る前に飲めるだけ飲んでしまおうと、居酒屋、酒場、宿屋に旅籠と酒精を出すありとあらゆる店が大混雑する日でもある。

「どうしようもない時は途中で臨時休業っていうことにしてもいいけど……」

やはり少し不安げなタイショーに、エレオノーラは胸を張ってみせた。

「この私に、不可能なんてあるわけがないでしょ」

エレオノーラは後悔していた。

それも、激しく。

「ショウユ味のワカドリノカラアゲネギマミレ一つ」

「こっちはタカナチャーハンチャーシューマシマシネギスクナメ」

戦場のような居酒屋に、客の註文が飛び交う。

カラアゲ、サシミ、レーシュ、トリアエズナマ。

水運ギルドのマスターとは言え、エレオノーラのようなギルドマスターともなると、荷受け場へ出ることはほとんどない。

膨大な量の書類を捌くのはお手の物だが、こういった註文を処理するのは専門外だ。

しかし、エレオノーラも水運ギルドのマスターである。

双月の神に誓いを立てた約束を途中で投げ出すほど、薄情な女ではない。

皿が飛び、ジョッキが舞う。

「ショウユ味のワカドリノカラアゲネギスクナメ一つと、タカナチャーハンチャーシューマシマシマシネギマミレね!」

「違うよ、エレオノーラ ちゃん(・・・) 、ショウユ味のワカドリノカラアゲネギマミレとタカナチャーハンチャーシューマシマシネギスクナメだよ」

「エレオノーラさん、こっちの秋野菜のテンプラゴボウ抜きと秋野菜のテンプラゴボウマシマシは註文通っていますかね?」

「すまん、タコノカラアゲとタコワサとタコノサシミブツギリ一つ」

「こちらにはウナギノシラヤキをワサビ多めでお願いします」

註文は踊る。されど進まず。

厨房のタイショーとハンス、それにエーファも大回転だ。

次々に押し寄せる註文の荒波を何とか捌こうとするが、多勢に無勢。

エレオノーラが如何に才色兼備の才媛と言えど、これではもはや。

戦列の崩壊は、突然に訪れた。

「こんばんはー」

衛兵隊だ。