軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ロンバウトの近視(後篇)

「ろ、ロンバウト様……?」

急に立ち上がったロンバウトを、隣に座った秘書が不安げに見上げる。

「ベネディクタ! ダテだ! 私たちに必要なのは、見栄とダテだったんだ!」

眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、ロンバウトは上機嫌だ。

「あ、あの、どういう意味なんでしょうか?」

状況が掴めていないフーゴの袖を、ベネディクタが引きながら、小さく首を横に振った。

この状態になったロンバウトには話しかけない方がいい、ということのようだ。

「今、眼鏡販売は行き詰っている。原因はいくつかあるが、その最大のものは決して高価な値段ばかりではない」

熱っぽく、しかし耳障りなほど大きくもないロンバウトの演説は、溌溂として聞く者に耳を傾けさせる力がある。

タイショーの料理を手伝いながら、ハンスも頭を働かせてみるが、眼鏡の売れない理由にはとんと心当たりがない。

知っている人間で眼鏡をかけているのはロンバウトとゲーアノートくらいだろうか。

どちらも視力が悪く、金を持っているという共通点がある。

目が悪くなければ眼鏡は必要ないし、金がなければ眼鏡が買えないのだから、当然のことだ。

硝子職人の息子であるハンスには研磨の知識もあるが、今の状況で眼鏡が急に安くなるということは考えにくい。

となると、少々の工夫では眼鏡の売上を格段に伸ばすというのは難しいことのように思える。

「ベネディクタ!」

「ひゃい!」

両手を取って女秘書を立ち上がらせ、語り掛けるロンバウトの口調はどこまでも情熱的だ。

「ベネディクタ、君が必要だ」

「あ、あの、ロンバウト様、それはどういう意味で……」

まさかこの場で愛の告白でもなかろうが、ベネディクトの掌を握りしめるロンバウトは、熱のこもった目でベネディクタの知的な瞳を見つめた。

「君の名は才媛として多くの貴族や商人の間に広まっている。口にこそ出さないが、自分の娘をそう育てたいと願っている親も少なくないはずだ」

急に褒められてきょとんとしていたベネディクタだが、俯き、小さな声でありがとうございますと応じる。

「そこで、眼鏡だ。いや、敢えて言うなら、ダテ眼鏡だ」

「ダテ眼鏡……?」

フーゴが怪訝な表情を浮かべる。自分が何をすればいいのか分からない、という表情だ。

「以前、フーゴさんは度の入っていないレンズであれば他の職人でも、もっと安価に研磨できると仰っていましたね?」

「ええ、それは可能だと思います」

「それを、ベネディクタにかけさせるのです」

おお、とハンスは内心で喝采した。

ロンバウトのやりたいことが、分かったのだ。

世の中には色々な人間がいるものだ。

色々な人間がいる以上、色々な客もいる。

男も女も、貴族も僧侶も平民も、素性のはっきりした者も、そうでない者も。

しかし、ロンバウトが今まで眼鏡を売っていた相手は、この中のほんの一部だ。

貴族や僧侶、商人の、男。

それも金持ちの大人に限られる。

だが、才媛として知られるベネディクタが商談の度に眼鏡を掛けてロンバウトの隣に控えていればどうなるだろうか。

幼い娘を立派に育てたい親、年頃の娘を賢く見せたい親、賢妻を誇りたい夫が、競って買い与えることになるのではないか。

いや、娘や妻、或いは母の方から買って欲しいと願い出ることも考えられる。

そうなればしめたものだ。

眼鏡をかけることが当たり前になれば、本当に視力が悪い者も眼鏡を掛けることに躊躇いがなくなるだろう。

これだけのことを一瞬で考えたとすれば、ロンバウトはやはり大した商人だ。

ロンバウトが皆に意図を言って聞かせる。

ハンスの考えていたこととあまり変わらないが、その話の中には売上見込みの数や、フーゴの下で育てる職人の育成計画にかける年月などの具体的な数字が盛り込まれていた。

隣に控えるベネディクタが早速、羊皮紙に書き連ねていく。

いつでも帳面に付けることができるように持ち歩いているということは、今日のように何かを突然思いつくこともしばしばなのかもしれない。

「さ、焼き上がったぞ」

タイショーがそういうと、ほのかに甘い香りが店内いっぱいに広がった。

焼き上がったふわふわのダテマキの粗熱を取りながらオニスダレに乗せると、タイショーは手早く巻き取っていく。

「さ、できあがりだ」

包丁を入れると、断面の渦巻きが綺麗に現れた。

盛り付けてカウンターに出すと、みんなが興味深げに皿を覗き込む。

「どれどれ」と手を伸ばしたのは、リューだ。

菓子でもつまむようにひょいと頬張ると、味を吟味するように目を閉じて味わう。

「……ほう」

ごくりと飲み込んだリューは、少し考えた後、黙って二つ目に手を伸ばした。

「リューさん、味はどうなんですか?」

エーファが尋ねると、二つ目を半分齧りながらリューが呆れたような表情を浮かべる。

「美味いに決まっているじゃないか。満点だ、満点。これならうちの……じゃない、〈四翼の獅子〉亭のメニューにだって加えられる」

それだけ答えると残りをパクリと口に放り込み、隠し味は何だ、だの、焼き加減の調節は、だのとぶつぶつ言いながら考え込みはじめた。

「さ、みんな召し上がってください」

シノブの言葉に、みんなもわらわらと皿の周りに集まる。

ロンバウトの分も取り分けながら、ベネディクタの表情は険しい。

これから眼鏡の宣伝販売で重役を担うということに対する重圧を感じているのだ。

それに引き換え、ハンスの兄フーゴはのんびりとしたものだ。下の職人にどうやって研磨を教えようかなぁと呟きながら、さっそくダテマキに齧り付いている。

「さ、ロンバウト様。どうぞ召し上がってください」

「ああ、ベネディクタも食べよう。こういうものは作り立てを味わうものだ」

言いながら、二人が同時にダテマキを口に含んだ。

「……ほう」

「……あら」

切り分けるときに出た端の残りを、ハンスも食べてみる。

しっとりと瑞々しい口当たりと、後味の心地良い甘さ。

なるほど、これは美味い。きっと、女性の好む味だろう。

そう思ってベネディクタの方を見ると、やはり口元が綻んでいた。

この笑顔が眼鏡を掛けたところを、想像してみる。

きっと、ダテ眼鏡は成功するに違いない。

ロンバウトもフーゴも、同じことを考えているようだった。