軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

双子のお披露目(後篇)

恥ずかしそうに顔を伏せ、ヘルミーナは「ヒツマブシを……」と呟く。

聞けば、双子を産んでから長く貧血に悩まされているのだという。

「薬師のイングリドさんに伺ったら、ウナギのゼリー寄せが貧血には効く、ということだったんですけれど」

ああ、としのぶも苦笑いするしかない。

鰻のゼリー寄せも丁寧に調理すれば美味しく食べられるはずだ。

しかし、古都で屋台を出す店は簡便さの方を優先して、味の方はあまり顧慮しないという話はニコラウスから聞かされていた。

「それでどうしても、またノブのヒツマブシが食べたくなったんです」

そういうことならば喜んで、と信之が早速鰻の調理にとりかかる。

夜の本営業で鰻の茶碗蒸しを出そうと下拵えだけは済ませてあったから、支度にもそれほどかからないはずだ。

「ベルトホルトさんはどうされますか?」

尋ねると少し思案顔を浮かべたベルトホルトだが、すぐに口元だけで笑ってみせた。

「あ、いや。俺はやっぱり、遠慮しておこうかな。考えてみればそれほど腹も減っていなかった気がするし」

妙な言葉に、しのぶは思わず信之と顔を見合わせる。

ほんの今しがた、ベルトホルトは小腹が空いたと言ったばかりではないか。まるで謎かけでもしているような言動だったが、エーファだけは何かに気付いたように頷いている。

「ね、エーファちゃん、どういうことなの?」

しのぶが小声で尋ねると、エーファは耳元に手を添えて答えた。

「赤ん坊が、泣くからですよ」

エーファの見るところ、双子が大人しいのは両親に抱かれているときだけらしい。

子供をあやすのが得意なエーファが言うのだから、そうなのだろう。

となると、店で食事を摂る時にはなかなか厄介だ。

店員や他の客に預ければ、双子が泣くことは避けられない。

ヘルミーナかベルトホルトが双子の両方を抱えておくという方法もあるが、抱えている方の頼んだ料理は目の前で冷めてしまう。

つまりベルトホルトは自己犠牲の精神で、ヘルミーナにだけ鰻を食べさせようというのだろう。

父親らしい覚悟だと思うが、しのぶとしては折角なのだから何か食べて行ってもらいたいという気持ちがあった。

実家のゆきつなではどうしていたか思い出そうとするのだが、不思議と思い当たらない。

考えてみれば当たり前で、ゆきつなでは予約の段階で赤子連れは断っていたのだ。

政治家や文化人も訪れる店だからと、色々なお客を断っていたことはしのぶも知っている。

祖父はその辺りの融通を利かせたようだが、父は頑なだった。

格式、というのは何とも難しいものだ。

だが、ここはあくまでもただの居酒屋。

暖簾を潜ったお客さんを美味しい食事とお酒とでもてなすのが本義のお店だ。

さてどうしたものかと顎に人差し指を当てて考えるしのぶの脳裏に、一つの案が過った。

「ね、大将」

蒸した鰻をひつまぶし用に焼いている信之に、そっと耳打ちをする。

信之は小さく頷いただけだが、口元は笑みで綻んでいた。同意してくれたようだ。

鰻を炙るじうじうと旨そうな音と香りが店内を優しく満たしていく。

乳離れはまだまだ先だが、双子がこの店で鰻を食べる日も来るのだろうか。

あーあーと虚空を掴もうとするヨハンナと、沈思黙考するように親指を咥えるエーミール。

対照的な双子を見ていると、胸の辺りが温かくなる。

「さ、お待ち遠さま」

目の前に供されるひつまぶしの御櫃に、ヘルミーナが嬉しそうな声を漏らした。

双子を両脇に一人ずつ抱えるベルトホルトの鼻も、鰻の香りにひくひくと動いている。

「ヒツマブシを食べるのも、本当に久しぶり……」

木匙を操る手も軽やかに、ヘルミーナがひつまぶしを口へ運んだ。

育児の疲れが浮かんでいた表情が、ひつまぶしの米粒のようにほろりと綻ぶ。

左手を頬に添え、口の中へ広がる幸せにやんやんと微笑みながら、ヘルミーナはひつまぶしを平らげていく。

母は強し、というが、居酒屋のぶで勤めていた時よりも食欲は旺盛だ。

二人分の乳を出さねばならないのだから、当然なのかもしれない。

思わずこちらも食べたくなってしまいそうな、素敵な食べっぷり。

ベルトホルトに抱えられた双子は大きな声を出すこともなく、神妙な面持ちで母親の食事を見るともなしに見つめている。

そんな家族四人の姿を眺めながら、信之とハンスは手際よく油を温めはじめた。

温まった油に、下拵えを済ませた若鳥の胸肉ともも肉がさっと躍り込む。

「お、ワカドリのカラアゲか」

カラカラという心地良い揚げ音に、ベルトホルトが目を細めた。

自分に出されるものだとは思っていないのだろう。

味付けはもちろん、ベルトホルトのお好みの塩だ。

「ヒツマブシ、とっても美味しかったです」

ヘルミーナが、木匙を置く。ちょうどそのタイミングで、唐揚げの皿がカウンターに並んだ。

「はい、ベルトホルトさん。若鶏の唐揚げですよ」

「え、でも……」

戸惑いの表情を浮かべるベルトホルトから、ヘルミーナが双子をさっと受け取る。

「さ、貴方。タイショーもシノブさんのお気持ちですから」

あ、ああ、と答えながら、ベルトホルトが唐揚げに齧り付く。

実に美味そうな食べっぷりだ。

両親に同じタイミングで料理を出せば冷めてしまう。

それならば、時間差で出せばいいのだ。

たったそれだけのことだが、これもまたおもてなしだろう。

なぜか頻りに感心しながらベルトホルトが唐揚げに舌鼓を打つ。

ひつまぶしを食べたから、というわけでもないのだろうが、ヘルミーナも顔色がいい。

貧血に鰻がいいというのなら、これからはヘルミーナに鰻の弁当を差し入れてみるというのはどうだろうか。

お手伝いさんを二人雇っているということだが、食事の準備をしなくてよくなれば、その二人も他のことに注力できるだろう。

子育てというのは色々と手のかかることだというから、少しでも負担は減らしてあげたいというのが人情だ。

そういえば昼営業がはじまってからは鰻弁当のことはすっかり忘れていた。だが、ヘルミーナのような需要も考えてみればまだまだあるのかもしれない。

肉汁たっぷりの揚げたて唐揚げを堪能していたベルトホルトが、ぽつりと呟く。

「やっぱり、カラアゲは美味い。美味いんだが……」

「美味いんだが?」

しのぶが尋ねると、ベルトホルトが肩を竦める。

「これでトリアエズナマが飲めないというのは、実に残酷だな」

店内に、笑顔と笑いが満ちた。

こういう何気ない一瞬一瞬に、しのぶは「店をやっていた良かった」と感じるのだ。

唐揚げを食べ終えたベルトホルトとヘルミーナは、ヨハンナとエーミールのお披露目の続きへ出かけて行った。

翌日から、古都の衛兵隊で時間差攻撃の訓練がはじまったというが、その理由を知っている者は、誰もいない。