作品タイトル不明
第42話 四級錬金術師
一人残されたレオンは、静かに椅子に座った。
革張りの椅子は、座り心地が良い。客をもてなすための配慮だろう。
目を閉じ、精神を養う。
——ここは他人の縄張りだ。余計なことは喋らない方がいい。
『小僧、あの男の反応……エーテル液の名は知られているようだな』
オーグリが脳内で呟いた。
「……だが、本物を見たことはないんだろう」
『千年も経てば、処方も失われる。無理もない。老いぼれが死んだ後、弟子どもが処方を守れなかったのだろう。情けない話だ』
「……お前、弟子がいたのか」
『何人かな。だが、老いぼれほどの才能を持つ者はいなかった。処方を完全に伝えられなかったのだろう』
「ふうん」
『なんだ、その気のない返事は』
「いや、別に」
しばらくして、扉が開いた。
中年の男が戻ってきた。その後ろには、白髪の老人が続いている。
老人は痩身で、鷹のように鋭い目をしていた。灰色の錬金術師のローブを纏い、胸元には金の紋章が光っている。
薬炉と四本の波線——四級錬金術師の証だ。
四級錬金術師——達人。希少な霊薬や、特殊な魔法具を作れる。オルハイム王国でも数十人しかいない、真の意味での「高級錬金術師」だ。
三級以上の錬金術師は、「上級錬金術師」と呼ばれる。貴族や王室からも重用され、社会的地位も高い。彼らが作る霊薬は、品質が保証され、高値で取引される。
「お待たせいたしました。こちらは当競売所専属の上席鑑定士、ゲオルク様です」
中年の男の態度が、さっきとは打って変わって恭しくなっていた。
ゲオルクは鷹のような目でレオンを見つめた。
「……貴殿が、エーテル液を持ち込んだ客か」
「そうだ」
「見せてもらおう」
中年の男が魔薬瓶を差し出した。
ゲオルクは慎重に受け取り、瓶を光にかざして眺めた。次に、鑑定眼鏡をかけ、瓶の中の魔力の流れを確認する。
「……魔力の循環が安定している。これは……」
栓を開け、匂いを嗅ぐ。
「月光草、翠玉苔、霊泉水……だが、この配合比率は……見たことがない」
銀の針を液体に浸し、最後に指先に少量の液体を取り、舌先で味わった。
しばらく黙考する。
やがて、ゲオルクの目が見開かれた。
「……間違いない。エーテル液だ」
「本当ですか、ゲオルク様!?」
「老いぼれの目を疑うか?」
ゲオルクは中年の男を睨みつけた。
「文献に残るエーテル液の記述と、特徴が完全に一致している。いや、純度はむしろ文献の記述を上回っているかもしれん」
ゲオルクはレオンを見つめた。その目には、先ほどまでの警戒心が消え、純粋な驚きと畏敬の念が浮かんでいる。
「失礼だが……貴殿は何級の錬金術師だ?」
「答える義務はない」
「……ふむ」
ゲオルクは顎に手を当てた。
「エーテル液を調合できるとなると……少なくとも四級、いや、もしかすると五級か……」
五級錬金術師——大師。伝説級の品を生み出せる。オルハイム王国全土でも、片手で数えられるほどしかいない。
「信じられん……このような辺境の地に、それほどの腕を持つ錬金術師が……」
ゲオルクは深く頭を下げた。
「先ほどの部下の無礼、お詫び申し上げる。何も知らぬとはいえ、失礼な態度を取ったようだ」
「……」
「どうか、お許しいただきたい」
レオンは黙っていた。
中年の男は、顔面蒼白になっていた。先ほど自分が取った態度を思い出し、冷や汗が止まらない。
もし目の前の客が本当に四級以上の錬金術師なら——自分は、とんでもない人物に対して、とんでもない無礼を働いたことになる。
「あ、あの、お客様……先ほどは大変失礼いたしました……私の目が節穴でした……どうか——」
「もういい」
レオンは手を振った。
「過ぎたことだ。それより、競売にかけられるのか?」
「もちろんです!」
中年の男は頭を下げ続けた。
「これほどの品、喜んで取り扱わせていただきます!」
ゲオルクが口を開いた。
「持込競売ではなく、本日の定期競売に特別枠で出品しろ。開始価格は……五百金貨だ」
「五百……!?」
中年の男が息を呑んだ。
「エーテル液だぞ。千年ぶりに現れた伝説の霊薬だ。五百でも安いくらいだ」
ゲオルクは断言した。
「大貴族や大商家なら、倍の値でも買うだろう。彼らにとって、子弟の育成は何より重要だからな」
レオンは内心で驚いていた。
五百金貨。それが開始価格ということは、最終的にはもっと高くなる可能性がある。
『ふむ、悪くない値だな。さっきまで偉そうにしていた男も、すっかり態度が変わったじゃないか。ふひひ』
オーグリも満足げだ。
「手数料は?」
「通常は落札価格の一割ですが……」
中年の男は頭を下げた。
「今回は特別に五分でいかがでしょうか。先ほどの非礼のお詫びも兼ねて……」
「……いいだろう」
中年の男が、漆黒の札を差し出した。
「お客様、こちらの札をお持ちください。競売室の特別席にご案内いたします」
レオンは札を受け取り、席を立った。
「競売は午後二時からです。それまで、貴賓室でお待ちいただけます。最高級の茶菓子もご用意させていただきます」
「不要だ。時間になったら呼べ」
「かしこまりました」
レオンは無言で部屋を出た。
◆◇◆
レオンの姿が消えた後。
中年の男は、その場に崩れ落ちた。
「はあ……はあ……」
冷や汗が止まらない。
「馬鹿者」
ゲオルクが冷たく言った。
「等級も確認せずに、客を見下すとは何事だ」
「申し訳ありません……まさか、あのような方とは……」
「覚えておけ」
ゲオルクの声が、低くなった。
「錬金術師の世界は、外見では判断できん。ボロを纏っていても五級の大師かもしれんし、立派な格好をしていても一級の見習いかもしれん」
「はい……」
「今後、あの客が来たら、最優先で対応しろ。何があっても、不快な思いをさせるな。いいな」
「承知いたしました……」
ゲオルクは窓の外を見た。
黒衣の客が去った方向を、じっと見つめている。
——エーテル液を調合できる錬金術師……一体、何者だ。
その疑問は、しばらく彼の頭から離れなかった。
【続く】