作品タイトル不明
第28話 エーテル液の錬成
レオンは大きな盥に水を満たし、部屋の隅に置いた。机の上には、今日坊市で購入した材料が並んでいる。ヴィオラセア三株、オステオフロール二株、そして緑色の魔晶。
「材料は揃った。それで、どうやって調合する?」
『炉はあるか?』
「ああ、祖屋から一緒に持ってきた」
レオンは部屋の奥から、布に包まれた物を引っ張り出した。
小さな錬金炉だった。高さは膝下ほど、黒い金属の表面に七芒星の刻印がある。先日、母方の祖屋でオーグリの吊り飾りを見つけた時、隣に置いてあったものだ。
錬金炉を部屋の中央に運びながら、レオンはふと足を止めた。
「……なあ、一つ聞いていいか」
『何だ』
「まさか、この部屋ごと燃えたりしないよな? 木造なんだが」
『……お前は老いぼれを何だと思っている』
「いや、念のため確認を」
『千年生きた大錬金術師が、部屋一つ燃やすと思うか? それに、この炉には封熱の術式が刻んである。内部の熱は外に漏れん』
「それを先に言ってくれ」
レオンは炉を床に置き、材料を傍らに並べた。
『さて、よく見ておけ。錬金術の基本を教えてやる』
オーグリの霊魂体が吊り飾りから現れ、炉の前に立った。
『錬金術の要は三つ。「炉」「炎」「術理」だ。炉は器、術理は導き、そして炎は——』
オーグリが右手を持ち上げた。
掌の上に、炎が灯った。
レオンは目を見張った。
銀色の炎だった。
月光を凝縮したような、冷たく澄んだ輝き。だが、その奥には凄まじい熱量が潜んでいるのが、霊魂感知力で分かる。
『——錬金術師の魂そのものだ』
錬金の炎——それは錬金術師の力の源である。
魔法師が魔力で魔法を使うように、錬金術師は炎で物質を操る。素材の殻を溶かし、内に眠る本質を引き出し、異なる本質を一つに編み上げる。すべては炎の力による。
炎を持たぬ者は、いかに知識があっても錬金術師にはなれない。炎の質こそが、錬金術師の器を決める。
錬金の炎には七つの色がある。
赤は初学の炎。素材を溶かすことはできるが、抽出の精度は粗い。
橙は一人前の証。簡単な薬や道具なら作れる。
黄は熟達の域。中級の錬金物を安定して作れるようになる。
緑は名人の炎。高位の貴族や学院が争って招こうとする。
青は大家の領域。一国に数人いれば幸運とされる。
紫は伝説。百年に一人現れるかどうか。
そして銀——千年に一人と言われる、神話の炎だ。
かつてもう一つ、銀の上に「金」の炎があったと伝えられる。だが、金の炎を持つ者は古代の記録にしか存在せず、今では御伽噺の類とされている。
『老いぼれの炎は銀だ。お前もいずれ己の炎を灯すことになるが、まずは目で見て覚えろ』
オーグリは炉の蓋を開け、銀の炎を内部に落とした。
炉の中が淡い銀光に満たされる。封熱の術式が働いているのか、部屋の温度は変わらない。だが、炉の縁に手をかざすと、肌がぴりぴりと痺れる感覚があった。魔力の圧だ。
『まずヴィオラセアから』
オーグリは紫色の蘭草を一株、炉に投じた。
銀の炎が蘭草を包み込む。
——燃えない。
葉が、茎が、根が、まるで氷が溶けるようにゆっくりと形を失っていく。そして、残ったのは——緑色に輝く、雫ほどの液体だった。
『これが「抽出」だ。素材の本質だけを取り出し、不純物は消し去る。火力が強すぎれば本質ごと燃える。弱すぎれば不純物が残る。見極めが肝要だ』
二株目、三株目が投じられた。緑の雫は少しずつ大きくなり、やがて親指の先ほどの球体になった。炉の中で静かに浮かび、脈打つように明滅している。
『次はオステオフロール』
白い花が炉に入れられた。銀の炎に包まれ、溶けていく。花から抽出されたのは、透明に近い淡青色の液体だった。
『これを先ほどの精髄と合わせる。「融合」だ』
オーグリが指先で炎を操ると、緑と青の液体がゆっくりと近づき、触れ合い——一つになった。
色が変わる。緑でも青でもない、澄んだ翡翠色。二つの本質が溶け合い、新たな性質を帯びていく。
『最後は魔晶だ。これが最も手間がかかる』
オーグリは緑色の魔晶を手に取った。
『魔晶は魔獣の魔力が凝縮したものだ。強大な力を秘めているが、同時に獣の本能——「魔性」も残っている。これを取り除かねば、薬は毒になる』
魔晶が炉に投じられた。
銀の炎が魔晶を包む。だが、植物のようにすぐには溶けない。魔晶は炎の中で震え、抵抗するように明滅した。時折、赤黒い光が表面に走る——魔性の残滓だ。
オーグリは炎の強さを微調整しながら、根気よく魔晶を煅いていった。
赤黒い光が少しずつ炎に焼かれ、消えていく。まるで獣を手懐けるように、少しずつ、少しずつ。
一刻が過ぎた。
魔晶はようやく溶け始めた。濁った緑色だった結晶が、透明な金色の液体へと変わっていく。魔性が完全に取り除かれた、純粋な魔力の精髄。
『よし。最後の融合だ』
金色の液体が、翡翠色の精髄に近づいていく。
触れた瞬間——光が弾けた。
三つの本質が渦を巻き、混ざり合い、一つになっていく。翡翠と金が溶け合い、この世のものとは思えない色彩を放つ。
やがて光が収まった。
炉の中央に、一滴の液体が浮かんでいた。
青と緑と金が織りなす、宝石のような輝き。小さな雫に、三つの素材の本質が凝縮されている。
『エーテル液の完成だ』
オーグリは銀の炎を消し、精髄を指先に乗せた。
レオンは息を呑んで見つめた。霊魂感知力のおかげで、この小さな雫に込められた力の大きさが分かる。純粋で、濃密で、溢れんばかりの魔力。
「これを飲めば——」
『直接飲むつもりか?』
「違うのか?」
『この濃度を直接体に入れれば、お前の魔法回路は耐えられん。内側から焼き切れて、本当の廃人になるぞ』
オーグリは精髄を弾き、盥の水に落とした。
雫が水面に触れた瞬間、光が広がった。透明だった水が、淡い翡翠色に染まっていく。微かに発光し、まるで液体の宝石のようだ。
『こうして薄めれば、肌から少しずつ吸収できる。この薬湯に浸かりながら修行しろ。魔法回路が徐々に修復されていく』
魔法回路——魔法師の体内に張り巡らされた、魔力を循環させる経路だ。回路が太く発達しているほど、多くの魔力を蓄え、強い魔法を使える。
レオンの回路は、七年前から枯れ始めていた。原因は分からない。ただ、年々細くなり、詰まり、魔力が通わなくなった。今では一つ星魔法学徒にも劣る有様だ。
だが、エーテル液はその枯れた回路を甦らせる。
「どのくらいで治る?」
『完治ではなく回復だ。お前の才能なら、一年で七つ星までは戻せるだろう』
「一年で七つ星……」
かつての自分に並ぶということだ。胸の奥に、熱いものが込み上げてきた。
『ただし、この薬湯は二ヶ月で効果が切れる。材料を買い直して、また調合する必要がある』
「……つまり、二ヶ月ごとに百金貨か」
レオンの顔が曇った。「出来損ない」として冷遇されている今、自由に使える金は少ない。
『金の心配か? 錬金術師が金に困るなど、笑い話にもならん。腕を上げれば、貴族どもが頭を下げて薬を求めてくる。当面は何とかしのげ』
「……分かった」
レオンは服を脱ぎ、翡翠色の薬湯に身を浸した。
不思議な感触だった。冷たくも熱くもない。だが、肌に触れた瞬間、全身に微かな痺れが走った。薬効が、毛穴から染み込んでいく。
『目を閉じろ。体の内側に意識を向けるんだ』
レオンは目を閉じた。
意識を内に向けると、自分の魔法回路が感じられた。細く、弱々しく、所々で詰まっている。かつては奔流のように魔力が巡っていたはずの経路が、今は干上がった川のようだ。
だが——何かが変わり始めていた。
薬湯から染み込んだ力が、枯れた回路を少しずつ潤していく。ほんの僅かだが、確かに。詰まっていた箇所が、微かに開いていく感覚がある。
『二ヶ月後には家族魔闘会がある。それまでに、少なくとも二つ星後期まで回復させろ。三つ星のエイドリアンに勝つには、それが最低条件だ』
「二つ星後期で三つ星に勝てるのか?」
『星の数だけで強さが決まると思うな。戦いは総合力だ。スキル、判断力、経験——老いぼれが仕込んでやる。二ヶ月後、あの生意気な次兄の鼻を明かしてやれ』
「エイドリアン兄か……」
レオンは目を閉じたまま、口元を歪めた。
エイドリアン・セレストーム——側室イザベラの長男で、セレストーム家の次男。レオンより二つ年上の異母兄だ。幼い頃から何かと自分を見下してきた男だ。
かつてレオンが「天才」と呼ばれていた頃は、エイドリアンは影に隠れていた。だが七年前、レオンの没落と共に立場は逆転した。今や三つ星魔法師となった彼は、事あるごとにレオンを「出来損ない」と嘲り、周囲もそれに同調する。
先日、屋敷の門前で鉢合わせた時のことを思い出す。
『レオン、まだ生きていたのか。家族の恥を晒し続けるのも大変だな』
あの見下した目、嘲りを含んだ声。
『二ヶ月後の家族魔闘会に出るそうだな。俺と戦いたいなら、相手をしてやってもいい。どうせ三手も持たんだろうが——』
あの時、確かに言った。
『受けて立つ』と。
家族魔闘会——セレストーム家で年に一度開かれる、一族の若手が競い合う催し。普段は参加を避けていたが、今年は違う。
『待っていろ、エイドリアン兄』
レオンは薬湯の中で拳を握った。
『二ヶ月後、誰が本当の出来損ないか、教えてやる』
翡翠色の光が、静かに彼の体を包んでいた。
枯れた魔法回路に、少しずつ力が戻り始めていた——
【続く】