軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第133話 学院長の溜息

大会が終わって一週間が経った。

脇腹の傷はまだ塞がっていなかった。朝ベッドから起き上がる時に体を捻ると鋭い痛みが走る。ローシーが毎朝替えてくれる包帯はまだ赤く滲んでいた。

日々の暮らしは少しだけ変わっていた。「出来損ない」と囁く者はいなくなった。代わりに黙って道を開けるようになった。

オースティンが中庭に来た。大会の後、初めてだった。何も言わずに現れ素振りを始めた。レオンが剣の素振りをしていると自然と間合いが重なったが、傷のせいで三合と持たなかった。

去り際に振り返った。

「その傷、まだ痛むのか」

「もう大丈夫だ」

「嘘をつくな。三合目で顔が歪んでいた」

「……少しだけ」

「包帯は毎日替えろ」

それだけ言って消えた。

エイドリアンは変わらなかった。カッセルリックも変わらなかった。それでいい、とレオンは思った。

辺境行きの準備は進んでいた。騎士団の辺境警備隊に志願し、受理された。出立まであと一月。荷造りを始めた矢先に、手紙が届いた。

学院長の印が押された封筒。中身は一行だけ。

「至急、学院に来なさい。——ハインリッヒ・ヴェルナー」

三通目だった。最初の二通は無視していた。三通目を無視する度胸は、さすがになかった。

王都ヴァイスブルクの朝はセレストーム領とは空気が違った。石畳の大通りに馬車の轍が響き、通りを歩く人々の服は仕立てがよい。

王立ヴァイスブルク騎士学院。休学届を出してから二月ぶりだった。制服は着ていない。通りすがりの生徒たちが振り返った。あの大会の銀色の髪——

レオンは視線を無視して本館の階段を上った。

学院長室の扉を叩いた。

「入りなさい」

扉を開けた瞬間、中から人が出てきた。すれ違った。

酒紅色の髪だった。

長い髪が腰まで流れている。肌が白い。だが顔の造りがこちらの人間と違った。切れ長の目。柔らかい唇の形。

東方人——?

この大陸で東方系の人間を見ることは滅多にない。まして学院長室から出てくるとなると。少女の目がレオンの銀髪を一瞬捉えたが、何も言わずに通り過ぎようとした。

「ああ、ちょうどいい。シェン、少し待ちなさい」

学院長の声が奥から響いた。少女の足が止まった。面倒くさそうな顔だったが、逆らう気はないようだった。

学院長室は本棚で埋め尽くされていた。壁という壁に書物が詰まり、窓辺にも床にも積まれている。

ハインリッヒ・ヴェルナー。白い顎鬚と丸い眼鏡。二十年この学院を率いてきた男だった。

「セレストーム、こちらはシェン・リンファ。今年から学院に留学している。生徒会の副会長だ」

少女——シェン・リンファは軽く顎を引いた。目はレオンを品定めするように見ていたが、嫌味はなかった。

「大会の映像は見たわ。最後の一振り、悪くなかった」

「シェンは東方の名門武官の家の出でね」学院長が補足した。「彼女が『悪くない』と言うのはかなりの褒め言葉だと思いなさい」

リンファは肩をすくめた。

「もう行っていい。ありがとう」

リンファは一礼して出ていった。酒紅色の髪が扉の向こうに消えた。

二人きりになった。

学院長は眼鏡を外し布で拭いた。ゆっくりと拭き終え、かけ直し、レオンを見た。

「やっと来たか。三通も出した」

「申し訳ありません」

「二通目で来るのが礼儀だろう。座りなさい」

レオンは座った。

「本題に入る前に、一つ話しておく。君は学院の潜力値評定を覚えているか」

「……入学時に受けたものですか」

「そうだ。この学院では生徒の潜在能力を六段階で評定している。F級が基礎段階、入学の最低基準。E級が一つ星から二つ星初期、学院の平均はこのあたりだ。D級が二つ星中期から後期、優秀と呼べる水準。C級が三つ星、年に数人しか出ない。B級が四つ星、十年に一人出るかどうか」

学院長は指を折り、最後の一本を立てた。

「A級——五つ星以上。建学以来、片手で数えるほどしかいない」

「入学時の俺はF級でした」

「そうだ。魔力なし、剣術のみ。評定としては最低だった。セレストーム侯爵家の名がなければ門前払いだった」

レオンは黙った。知っていたことだった。

「だが——先日の大会の後、評定を見直した」

学院長は引き出しから書類を一枚取り出した。レオンの名前の横に赤い文字が記されている。

「ゴールデン・フォーム。光系の原初魔法。失われたはずの古流武術。さらに騎士団秘伝の剣術の片鱗。二つ星中期の魔力で四つ星初期の生徒を正面から破った実績。教官会議で再評定した」

書類をレオンの前に置いた。

「B級。異論は出なかった」

レオンは自分の名前を見た。入学時の「F」の上に赤い線が引かれ、「B」と書き直されていた。

「F級からB級まで一年で駆け上がった生徒は、建学以来一人もいない。君が初めてだ」

学院長の声に力がこもった。

「であれば——復学しなさい」

レオンは黙った。

「休学届を出した時は事情があったのだろう。だが状況は変わった。実力は証明された。戻ってくれば学院として全面的に支援する。奨学金も出す。この学院は大陸中の財閥から金が集まる。経費は使い切れないほどある。B級の生徒一人養うくらい痛くも痒くもない」

「ありがたい話ですが——辺境に行きます」

学院長は溜息をついた。一度目の溜息だった。

「まだそんなことを言っているのか。B級の潜力値を持つ十四歳の子供が辺境で何をする」

「ここにいても学べないことがあります。俺が必要としているものは教室の中にはない」

「ならば教室の外で教えよう。特別訓練の枠を設ける。教官も選ばせる。先程のシェンのような外部からの優秀な生徒もいる。切磋琢磨の環境としてこれ以上の場所はない」

「申し訳ありません。もう決めました」

学院長は二度目の溜息をついた。

長い間レオンを見つめた。

「……十四歳の子供に言われると返す言葉がなくなるな」

窓の外を見た。中庭の噴水が秋の光の中で虹を作っている。

「分かった。無理には引き留めん。だが休学届はそのまま残しておく。退学にはしない」

「学院長——」

「辺境で何かあった時——本当にどうしようもなくなった時はここに戻ってきなさい。門は閉めない。いつでも受け入れる。B級の席は空けておく」

「そこまでしていただく理由が——」

「理由か」

学院長は椅子の背にもたれた。目が遠くなった。

「あの最後の一振り。あれほどのものを見たのは生涯で二度目だ。一度目は四十年前、ある騎士が演武場で見せた一振りだった。その男は後に帝国の英雄と呼ばれた。名前はバートンといった」

レオンの体が微かに強張った。学院長は気づいたが追及しなかった。

三度目の溜息をついた。今度のは怒りではなかった。

「それが理由だ。あれだけのものを持った人間を荒野で死なせたくない。——約束しろ。死ぬなよ」

「……約束します」

「よろしい。行きなさい」

学院長室を出ると、回廊にエヴィルが立っていた。

壁にもたれ腕を組み、銀色の髪が秋風に揺れている。紫の瞳がレオンを見た。

「終わった?」

「なぜここにいる」

「学院長に呼ばれたのがレオン兄さんだって聞いたの。待ってた」

「……待たなくてよかった」

「待ちたかったの」

並んで回廊を歩き始めた。秋の光が石柱の間から差し込み、二人の影が長く伸びていた。

「復学しないんでしょう」

「ああ」

「知ってた」

エヴィルは少し黙った。それから何でもないことのように言った。

「明日、大図書館の秘蔵閣が開くの」

「秘蔵閣?」

「年に一度だけ開放される地下の書庫よ。歴代の騎士団長や宮廷魔法師が収集した古文書が保管されている。光系の原典もあるらしいわ」

光系。母エレーゼ・アシュモアの血統。レオン自身の魔法の根源。吊墜が微かに脈打った。中にいるオーグリが反応している。

「行かない?」

「行かない、じゃなくて行けないだろう。俺は休学中だぞ」

「休学中でも直近の大会成績上位者には閲覧資格があるの」

「……なぜ知っている」

「調べたの」

「いつ」

「レオン兄さんが学院長に呼ばれたって聞いた時」

レオンはエヴィルを見た。紫の瞳が猫のように細まっていた。最初から全部読んでいたような顔だった。

「お前、俺が断れないの分かっていて言っているだろう」

「さあ。どうかしら」

【続く】