軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第120話 遺跡の最深部

「俺の仲間を全員解放しろ。この場から立ち去らせろ」

エルベルトが泥の中から叫んだ。

「馬鹿な——! あの連中を逃がしてどうする——」

レオンはエルベルトを見もせず、グスタフに向かって続けた。

「テモティエの隊は戦闘要員じゃない。学院の探索隊だ。遺跡の中に連れて行っても足手まといにしかならない。——それに、お前たちが欲しいのは斥候の数じゃない。防衛機構の術式を無力化できる人間だ。俺のこの体質なら、それができる。あいつらを留めておく意味がない」

グスタフは答えなかった。灰色の瞳でレオンを見据えていた。

マルグリットが口を開いた。

「確かに——彼らを留めておいても使い道はありませんわね。遺跡内部の防衛機構は、並の術士では対処できません。この少年の体質だけが、唯一の突破口ですわ」

「だが人質としての価値がある」エルベルトが食い下がった。「あの連中を逃がせば、この男を制御する手段が——」

「エルベルト殿」グスタフの声が、静かにエルベルトを遮った。「お前は先ほど、この小僧に張り飛ばされたばかりだ。——発言は控えろ」

エルベルトの顔が紅潮し、口が閉じた。

グスタフの灰色の瞳が、レオンに戻った。

「仲間を全員解放する。食料と水を持たせ、帝都への帰路に送り出す。——それでいいな」

「ああ」

「その代わり——お前は我々と共に遺跡に入れ。先頭を歩き、防衛機構を無力化しろ。俺とマルグリット殿が後に続く」

レオンの目が、かすかに細まった。

(——三人で入る。グスタフとマルグリットが後ろにつく。俺を監視しながら、俺の体質を盾に使う気だ)

「いいだろう」

レオンは短く答えた。

「ただし——戻ってこなければ、仲間を追って殺す。それは変わらん」

グスタフの声は穏やかだったが、その言葉には一片の冗談も含まれていなかった。

◆◇◆

テモティエの隊の縄が解かれた。

テモティエが立ち上がり、レオンの前に立った。

「……全部聞こえていた。お前、一人で行くつもりか」

「一人じゃない。あの二人がついてくる」

「それは監視役だろう」

「監視でも何でもいい。お前たちが無事に帰れるなら」

テモティエは黙った。唇を引き結び、何かを堪えている顔だった。

「……お前の判断を信じる」テモティエは絞り出すように言った。「だが——必ず戻って来い」

「当然だ」

ヘレネが駆け寄ってきた。蒼い瞳が潤んでいた。

「レオンさん——」

「心配するな。遺跡の地下は一度通っている。勝手は分かっている」

「嘘つき」ヘレネは小さく呟いた。だが——それ以上は止めなかった。止めても無駄だと、分かっていたからだ。

エヴィルが歩み寄った。紫の瞳がレオンを見つめていた。

「——気をつけて」

一言だった。だがその一言に、エヴィルの全てが込められていた。

レオンは小さく頷いた。

エヴィルは口を開きかけた。何かをもう一言——だが言葉にならなかった。代わりに、腰に下げていた小さな革袋を外し、レオンの手に押し付けた。

「応急の薬草が入っている。——少ないけれど」

レオンは革袋を受け取り、腰に結んだ。

「——ありがとう」

エヴィルの紫の瞳が——ほんの一瞬だけ、揺れた。

◆◇◆

レイノルドは——他の隊員たちと共に立ち上がっていたが、レオンの方を見ることができなかった。

声をかけるべきだと分かっていた。礼を言うべきだと分かっていた。この男が条件を出したから、自分たちは解放されるのだ。

だが——言葉が出なかった。

カルディア町で見下し続けた男に、命を救われた。その事実が、喉に石のように詰まっていた。

テモティエの隊が、野営地を離れていく。帝都への帰路に向かって。

レオンはその背中を見送った。テモティエが一度だけ振り返り、右の拳を胸に当てた。レオンも同じ仕草を返した。

それだけだった。

◆◇◆

テモティエたちの姿が山道の向こうに消えた後——レオンは遺跡の正門に向き直った。

グスタフが右後方に。マルグリットが左後方に。レオンが先頭。

三人だけの隊列だった。

遺跡の正門は半壊していた。蒼灰石の柱が折れ、千年の紋様が刻まれた外壁が崩れかけている。だが門の奥からは——微かに、術式の残滓が漂っていた。防衛機構はまだ生きている。

「入る前に一つ聞く」レオンは振り返らずに言った。「お前たちの禁器は、遺跡の中でどの程度使える」

グスタフが答えた。

「わしの剣には、ヴァルトシュタイン歴代当主の魔力が封じてある。遺跡内でも三度は振るえる」

マルグリットが箱を掲げた。

「この禁器には、ケルム・アルカナム大魔導師の術式が二つ封印されていますわ。いずれも一度限り。——合わせて五度。それが私たちの手札の全てです」

五度。遺跡の中枢区域に辿り着くまでに、どれだけの障害があるかは分からない。五度では足りない可能性が高い。

だからこそ、レオンの体質が必要だった。

「行くぞ」

レオンは正門の闇に足を踏み入れた。

◆◇◆

遺跡の内部は、以前通った時とは空気が違っていた。

防衛機構が一度起動した影響だった。通路の壁面に刻まれた紋様が赤黒く脈動し、空気そのものが重かった。呼吸をするだけで、喉の奥が焼けるような感覚がある。

「腐蝕の術式ですわね」マルグリットが灰青の瞳を細めた。「旧帝国の防衛機構の第一層。空気中に術式の微粒子が散布されている。吸い込み続ければ、内臓から魔力回路が腐食していく」

グスタフは顔色を変えなかったが、額にうっすらと汗が浮いていた。禁器を握る手に力が入っている。

レオンは——左掌を開いた。

アビスパルムの第二重。黒い渦が掌に灯り、周囲の空気中に漂う術式の微粒子を吸い込み始めた。赤黒い光が渦に流れ込み、レオンの周囲三メートルほどの空間から、腐蝕の気配が消えていく。

「……成程」マルグリットが呟いた。「空気中の術式ごと吸収するのですね。歩く浄化装置のようなもの」

「便利に使ってくれて構わない。——ただし、タダではないがな」

レオンは先頭を歩き続けた。三人は、レオンが浄化した空間の中を進んでいく形になった。

◆◇◆

遺跡の第二層に入ると、空気が変わった。

腐蝕ではなかった。もっと根源的な——何かが、体を蝕み始めていた。

レオンは自分の手を見た。変化はない。だが——グスタフの灰色の髪に、以前はなかった白が増えていた。マルグリットの顔の皺が、わずかだが深くなっている。

「老化の術式だ」グスタフの声が低くなった。「生命力を直接削る類のものだな」

「旧帝国の第二層防衛機構」マルグリットの灰青の瞳に緊張が浮かんでいた。「記録では読んだことがありましたが——実在するとは」

レオンは左掌を広げた。アビスパルムで吸収を試みる。

——吸えた。だが、第一層の腐蝕術式とは比較にならない密度だった。掌の渦が術式を吸い込む速度よりも、空気中に充満する速度の方が速い。完全な浄化はできない。

「全部は吸いきれない。だが俺の周囲にいれば、影響は半分以下に抑えられる」

「十分ですわ」マルグリットが頷いた。だがその声には、初めて——かすかな焦りが滲んでいた。

三人は先へ進んだ。

◆◇◆

第三層。第四層。

降りるごとに、術式の密度は増していった。

通路の壁面の紋様は、もはや赤黒く光るだけではなかった。紋様そのものが蠢いていた。千年前に刻まれた防衛機構が、侵入者を感知して脈動している。

グスタフの変化が顕著だった。灰色の髪が完全に白くなり、顔の皺が深まり、背筋がわずかに曲がっていた。だが——灰色の瞳の光だけは、一切衰えていなかった。

マルグリットは禁器の箱を胸に抱えていた。箱の紋様が反応し、赤黒い光がマルグリットの体を薄く覆っている。禁器の防護で老化を遅らせているが、それでも——灰青の瞳の奥に、疲労が蓄積しているのが見えた。

レオンの体は——変化が最も小さかった。アビスパルムが術式の大半を吸収しているためだ。だが完全に無傷というわけではない。指先の皮膚が微かに荒れ、関節がきしむ。

「この先に中枢区域がある」レオンは立ち止まった。前方に、巨大な石扉が見えた。蒼灰石に旧帝国の紋様が刻まれた扉。紋様が激しく脈動している。

「この扉を開けば——向こう側だ」

グスタフが一歩前に出た。禁器の剣を構える。

「一度目を使う」

老侯爵が剣を振った。

鍔鳴りが通路に轟いた。ヴァルトシュタイン歴代当主の魔力が、剣から白い奔流となって噴き出し、石扉に叩きつけられた。扉の紋様が悲鳴のように明滅し——亀裂が走った。

二度目。

剣が再び閃いた。石扉が砕けた。破片が飛散し、粉塵が舞い上がる。

グスタフが剣を下ろした。額に脂汗が浮いている。禁器の力を二度使った。残りは一度。マルグリットの二度と合わせて、三度。

粉塵が晴れると——その向こうに、広大な空間が広がっていた。

◆◇◆

中枢区域だった。

天井が見えないほど高い空間。蒼灰石の柱が林立し、旧帝国の紋様が床一面に刻まれている。紋様は——脈動していなかった。ここだけ、防衛機構が沈黙している。

空気が澄んでいた。腐蝕も、老化も、感じない。外層の防衛機構が侵入者を阻むためのものだとすれば、ここは——守られている空間だった。

だが——異常があった。

空間の中央に、巨大な台座があった。台座の上には何もない。だが台座を囲むように、無数の魔力回路が床に刻まれ、淡い青白い光を放っている。フィーロが言っていた「核」——遺跡の心臓部に相当するものだろう。

しかしレオンの目は、台座ではなく——台座の向こう側に釘付けになっていた。

グスタフが足を止めた。

マルグリットが息を呑んだ。

台座の向こう側に——人がいた。

女だった。

蒼灰石の柱に背を預け、静かに立っていた。長い髪が床に届くほど流れ、旧帝国の紋様に似た意匠の衣を纏っている。年齢は分からない。少女のようにも、成熟した女のようにも見えた。

肌は蒼白を通り越して、月光のように白かった。瞳は閉じられている。だが——生きていた。微かに、胸が上下している。

千年前の遺跡の、防衛機構の最深部に——一人の女が、立っていた。

「……何者だ」

グスタフの声が、広大な空間に低く響いた。

女は答えなかった。

レオンは一歩、踏み出した。

その瞬間——女の瞼が、ゆっくりと開いた。