作品タイトル不明
第102話 武器は買う
男は武器の壁の前で立ち止まった。
壁一面に、武器が掛けられている。長剣、短剣、片手剣、両手剣、戦斧、槍、メイス——種類ごとに整然と並んでいる。どれも実用品だ。装飾過剰な貴族の飾り剣は一本もない。
「何を使う」男は訊いた。
「短剣を。できれば二本」
「二刀か。流派は」
「流派はありません。独学です」
男の目が僅かに細くなった。品定めだ。だが何も言わず、壁から四本の短剣を取り外し、カウンターの上に並べた。
◆◇◆
「左から順に説明する」
一本目。刃渡り三十センチほど。刃が薄く、反りがない。柄は革巻きで、装飾は一切ない。
「ゲルシュタイン鋼。軽い。刺突に向いている。取り回しがいいから、初心者にも扱いやすい。だが——」男は刃先を指で弾いた。澄んだ音がした。「刃が薄い分、硬いものを叩くと欠ける。魔獣の甲殻に当てれば、三回で刃がガタガタになる。銀貨マルク八枚」
二本目。刃渡りは同程度だが、幅が広い。刃厚もある。手に取ると、一本目より明らかに重い。
「ヴァイスベルク鋼。刃が厚い。斬撃にも刺突にも使える。冒険者の標準的な短剣はだいたいこの辺りだ。耐久性が高い。手入れも楽だ。銀貨マルク十四枚」
三本目。見た目は二本目に似ているが、刃の色が違う。青みがかった灰色。光の加減で、表面に波紋のような模様が浮かんでいる。
「ブラウエン鍛鋼。折り返し鍛造を十二回繰り返した鋼材だ。切れ味、耐久性、重量のバランスが最も優れている。うちの自信作だ。銀貨マルク二十二枚」
四本目。
男がカウンターに置いた瞬間、音が違った。重く、密度の高い音。刃は短いが、異様に分厚い。柄頭に小さな紋様が刻まれている。
「エアツ・シュヴァルツ。黒鉄鋼。鍛造に通常の三倍の時間がかかる特殊鋼材だ。魔獣の甲殻を斬ることを前提に作ってある。D級までなら一刀で両断できる」
男はレオンを見た。
「銀貨マルク四十枚。二本で七十五枚」
七十五枚。
レオンの手持ちは金貨十二枚と銀貨七枚。金貨一枚が銀貨十枚だから、総額で銀貨百二十七枚。そこから遠征の経費、セレーネの薬草代、予備の試薬、食料——最低でも銀貨六十枚は確保しておかなければならない。使える上限は銀貨六十七枚。
七十五枚は——超える。
レオンは顔に出さなかった。四本の短剣を順に手に取り、重さを確かめ、握りの感触を確かめ、軽く振ってみた。
一本目。軽い。振りやすい。だが——確かに、これで甲殻を叩けば折れる。遺跡で使うには心許ない。
二本目。重心が良い。握りも悪くない。実用的だ。だが振った時の感触が、僅かに鈍い。刃と柄の接合部に微かな遊びがある。長く使えば、ここからガタが来る。
三本目。
手に取った瞬間、違いがわかった。
重心が完璧だった。刃と柄が一体化しているかのように、手の延長として馴染む。振ると、空気を切る音が鋭い。二本目とは明らかに次元が違う。
四本目。重い。だが重さに見合った密度がある。振ると、空気が唸る。これで甲殻を叩けば——確かに、叩き割れるだろう。
レオンは三本目と四本目を見比べた。
二十二枚と四十枚。二本ずつ買うなら、四十四枚と七十五枚。
四十四枚なら——予算内だ。
だが四本目の感触が、頭から離れない。
「三本目を二本ください」
レオンはそう言った。
男は一瞬、意外そうな顔をした。
「黒鉄鋼じゃなくていいのか。お前の振り方を見る限り、四本目の方が合っている」
見抜かれていた。
「予算の問題です」レオンは正直に言った。隠しても意味がない。
男は腕を組んだ。しばらくレオンを見つめた。
「……三本目を二本で四十四枚。悪い買い物じゃない」
「ありがとうございます」
「だが——」男は四本目の黒鉄鋼の短剣を手に取った。「一本だけ、こっちを混ぜろ。三本目一本と四本目一本で——銀貨マルク五十五枚」
レオンは計算した。本来なら六十二枚のところを、五十五枚。銀貨七枚の値引き。
「なぜ」
「理由は二つある」男は指を立てた。「一つ。錬金術師が二刀を使うのは珍しい。お前の握り方を見て、少し興味が湧いた。うちの黒鉄鋼がどこまで保つか、実戦のデータが欲しい」
「もう一つは」
「——値切られる前に自分から下げた方が、気分がいい」
レオンは一瞬、言葉に詰まった。
値切るつもりだったのか、と自問した。正直なところ——あった。三本目を二本買った後で、「端数を切ってくれないか」と言うつもりだった。
完全に先を読まれている。
「……では、お言葉に甘えます」
「よし」男は四本目を鞘に収め、三本目と一緒に革紐で束ねた。「研ぎと手入れは一回分無料でつける。刃が欠けたら持ってこい。ただし折ったら有料だ」
「わかりました」
レオンは懐から銀貨を数えた。五十枚と五枚。カウンターに並べた。
男は銀貨を一瞥しただけで受け取った。数えなかった。
(数えないのか)
レオンは少し驚いた。
「足りてる」男はレオンの視線に気づいて言った。「銀貨を並べる時の音でわかる。枚数が違えば音が変わる」
鍛冶師の耳だ、とレオンは思った。
◆◇◆
「それともう一つ——弓を見せてください」
男の眉が動いた。
「弓?」
「中距離からの牽制手段が欲しいんです。短剣だけでは、間合いの外から来るものに対処できない」
「錬金術師なら、投擲瓶があるだろう」
「ありますが、数に限りがある。弓なら矢を回収できます」
男は少し考え込んでから、壁の奥——弓が掛けられた区画へレオンを案内した。
弓は短剣ほどの品揃えはなかった。五張。長弓が二張、短弓が三張。
「先に言っておく」男は言った。「弓は専門外だ。うちは鍛冶屋であって、弓師じゃない。この五張は取引先の弓師から預かっている委託品だ。品質は保証するが、調整や修理はうちではできない」
「承知しました」
男は長弓を一張取った。レオンの身長より長い。
「長弓ラングボーゲン。射程が長い。威力も高い。だが——」男はレオンの腕を見た。「お前には引けない」
断言だった。
「弦を引くには背筋と肩の筋力がいる。お前の体格では、長弓の弦を完全に引き切れない。無理に引けば、十射で腕が使い物にならなくなる」
レオンは反論しなかった。事実だからだ。
男は長弓を戻し、短弓を三張並べた。
一張目。木製。飾り気のない実用品。弦は麻。
「樫の短弓。最も安い。銀貨マルク六枚。初心者向けだが、耐久性は低い。湿気に弱い。雨の日は使い物にならない」
二張目。木と角を組み合わせた複合弓。一張目より小ぶりだが、弦を張った時の曲線が美しい。
「角弓ホルンボーゲン。木と水牛の角を膠で接合した複合弓だ。短いが張力が強い。射程は長弓に劣るが、短弓の中では最も威力がある。湿気にもそこそこ強い。銀貨マルク十八枚」
三張目。
レオンは目を止めた。
他の二張とは素材が違う。弓本体が暗い赤褐色で、表面に微かな光沢がある。木目が異常に細かい。
「鉄樹アイゼンバウムの短弓」男の声が、僅かに変わった。「鉄樹は百年に一本しか成木にならない。この弓は先代の弓師が三年かけて削り出した。硬度は鋼に匹敵する。湿気、衝撃、温度変化——何にも負けない。弦は鋼糸。張力は角弓と同等だが、耐久性が桁違いだ」
男はレオンを見た。
「銀貨マルク三十五枚」
レオンの表情が動かなかったのは、訓練の成果ではなく、単に数字が大きすぎて感情が追いつかなかったからだ。
三十五枚。
短剣二本で五十五枚。弓で三十五枚。合計九十枚。
手持ちの百二十七枚から九十枚を引くと、残り三十七枚。遠征に必要な最低経費が六十枚。
足りない。二十三枚足りない。
レオンは三張の弓を順に手に取った。
一張目。軽い。引いてみた。弦の張りが弱い。矢を放っても、D級魔獣の皮を貫けるかどうか怪しい。戻した。
二張目。角弓。手に馴染む。引いてみた。張力は十分だ。矢の飛び方も悪くないだろう。実用的だ。
三張目。
手に取った瞬間にわかった。短剣の時と同じだ。
重さが違う。密度が違う。弦に指をかけて引いた時の、弓全体が撓む感触が——生きている、と思った。力が弓の端から端まで均等に伝わっている。どこにも無駄がない。
これは——道具ではなく、武器だ。
レオンは鉄樹の弓を架台に戻した。
「角弓をください」
男は何も言わなかった。
レオンは続けた。「鉄樹の弓は——今の自分には分不相応です」
「そうか」男は角弓を取った。「十八枚だ」
「……十五枚になりませんか」
レオンは言った。
男はレオンを見た。
「委託品だ。値段は弓師が決めている。俺には下げる権限がない」
「そうですか」
予想通りの答えだった。だが訊かなければ、もっと後悔した。
「ただ——」男は言った。「矢はうちで作っている。鏃は鍛冶の範疇だからな。弓を買うなら、矢を十二本、銀貨マルク二枚でつける。通常なら四枚だ。半額」
銀貨二枚分の値引き。弓と矢で二十枚。短剣と合わせて七十五枚。残り五十二枚。
まだ足りない。八枚足りない。
だが——ここで降りるわけにはいかない。武器がなければ遺跡には入れない。
レオンは頭の中で、遠征経費の内訳を高速で組み替えた。
食料の一部を干し肉から乾パンに変えれば、銀貨三枚浮く。予備の試薬を二種類削れば、四枚浮く。発光瓶を自作すれば、一枚浮く。合計八枚。
ぎりぎりだ。
だが——足りる。
「弓と矢をください」
「よし」
男は角弓を革袋に収め、矢十二本を矢筒に入れた。鏃は三角形の鉄製で、一本一本が丁寧に研がれている。
レオンは銀貨を数えた。短剣の分と合わせて七十五枚。カウンターに五枚ずつ積んでいく。
五、十、十五、二十——
積み終わるまでに、少し時間がかかった。
男は黙って待っていた。
七十五枚が並んだ。
男は今度も一瞥しただけで受け取った。
「合ってる」
◆◇◆
会計を済ませた後、レオンは店の隅で短剣の鞘を腰帯に装着した。左腰にブラウエン鍛鋼。右腰にエアツ・シュヴァルツ。重さの違いで、体が僅かに右に傾く。
鞘の位置を調整した。抜刀の動作を試した。左手で左の短剣を抜く。戻す。右手で右の短剣を抜く。戻す。
三回繰り返した。
四回目——両方同時に抜いた。
シュッ、と二つの鞘から刃が滑り出る音が重なった。
レオンは二本の短剣を構えた。左の刃が前方を指し、右の刃が体の横で低く構えられる。
振った。
小さく、素早く、二回。
ヒュッ。ヒュッ。
空気を切る音が鋭い。短剣の重量が、振った後の制動を助けてくれる。特にエアツ・シュヴァルツの方は、振り切った後の手応えが明確で、次の動作に移りやすい。
レオンは満足して頷いた。
顔を上げると——男が、カウンターの向こう側に半歩退いていた。
腕を組んだまま、レオンを見ている。表情は変わっていない。だが立ち位置が、明らかに先ほどより遠い。そしてカウンターの上に、無造作に置かれた鉄鎚が——ほんの少しだけ、男の手に近い位置に移動していた。
レオンは二本の短剣を鞘に戻した。
「……すみません。振り心地を確かめていただけです」
「わかっている」男は言った。腕を組んだままだった。「だが次からは、店の外でやれ」
「はい」
男の目が、僅かに和らいだ。
「いい振り方だった」男は言った。「右の方が利き腕だな。だが左もそこまで遅くない。独学にしては筋がいい」
「ありがとうございます」
「褒めてない。『独学にしては』と言った。基礎ができていないから、動きに無駄がある。どこかで師について矯正しろ。でなければ——いつか、その無駄が命取りになる」
レオンは黙って頷いた。
反論の余地がなかった。遺跡の中で、何度もその「無駄」を痛感していた。
◆◇◆
次に弓を確認した。
角弓を革袋から出し、弦を張った。弓師が調整済みだけあって、弦の張りは均一だった。
矢を一本取り出し、番えてみた。引き絞る。肩と背中に力がかかる。
男の言った通りだった。長弓なら、この時点で腕が震えている。短弓でよかった。
弦を静かに戻した。矢を矢筒に戻した。
「放っていいですか」
「店の中で弓を引くな」男は即座に言った。
「……そうですね」
「裏に的がある。使っていい。壁を射つなよ」
男に案内されて裏口を出ると、小さな中庭があった。五メートルほど先に、藁を束ねた的が立てかけられている。
レオンは十メートルの距離を取った。矢を番え、引き絞り、放った。
——パスッ。
矢は的の左下に刺さった。中心からは大きく外れている。
二射目。やや右に修正。的の中央よりやや上。
三射目。中心の僅か左。
四射目——中心に近い。だが、まだずれている。
「腕で引いている」
背後から声がした。男が腕を組んで立っていた。
「弓は腕で引くものじゃない。背中で引け。肩甲骨を寄せるようにして、背筋で弦を引く。腕は弦を支えているだけだ」
レオンは五射目で、意識を腕から背中に移した。肩甲骨を寄せる。背筋に力を入れる。腕の力を抜く。
放った。
——パスッ。
的の中心。
「そういうことだ」男は言った。
レオンは矢を回収しながら、男に礼を言った。
「弓も独学か」男は訊いた。
「今日が初めてです」
男は少し黙った。
「……初めてで五射目に中心を射てるやつを、俺は三人しか知らない。全員、後にB級以上の冒険者になった」
レオンは何と言えばいいかわからなかった。
「だが——」男は続けた。「才能があるやつほど、基礎を疎かにする。弓も剣も同じだ。どこかで師につけ。俺は二度同じことは言わない」
「覚えておきます」
男は頷いて、店の中に戻っていった。
◆◇◆
レオンは店を出た。
左腰にブラウエン鍛鋼の短剣。右腰にエアツ・シュヴァルツの短剣。背中に角弓と矢筒。懐には銀貨五十二枚——いや、食料と試薬の節約分を差し引くと、実質的な余裕は銀貨四枚だ。
四枚。
珈琲一杯が銅貨三枚の街で、銀貨四枚の余裕。
(足りるのか、これで)
足りなければ、足りるようにするしかない。セルターン家の四男に、実家へ泣きつくという選択肢はない。
レオンは銀貨を懐に戻した。
短剣の重みが、腰にある。弓の重みが、背中にある。
悪くない気分だった。
金は減ったが、代わりに手に入れたものがある。この先何が待っていようと——少なくとも、丸腰ではない。
レオンは東門へ向かって歩き出した。