作品タイトル不明
7.小鳥の末路②
馬車の車輪が、乾いた石畳の上を静かに軋ませながら進んでいく。向かう先はヴェセリー子爵家。窓の外には、どこまでも薄く曇った空が続いていた。
見送りは……誰もいない。
門を出る時、ただ冷たい風だけが私の背を押していった。
あの日以来、母はベッドから起き上がれないほど体調を崩したまま。
兄と弟は、それぞれの婚約者の家から婚約破棄を告げられ、父はその慰謝料の工面に奔走し、夜も十分に眠れていない。
兄弟には恨まれ、泣かれ……あの視線と声は、今も胸の奥で重く残っている。
――また、余計なことに巻き込まれる――
そう言って父に止められ、ミレーナ様へ助けを求める道は閉ざされた。
『誇れるものはお金だけ』
皮肉のように吐き捨てられたその言葉が、いまでは妙に現実味を帯びて響く。
イリック男爵家は一家で夜逃げし、置き去りにされたマリーは娼館に行くと噂で聞いた。
誇れるものは「豊満な体、口達者、化粧のうまさ」……そういうことなのかしら、と胸の中で冷たく呟く。
――私たちの家の商会が取引を取りやめたらどうなるかしら?――
マリーがそう煽った結果……いや、正確には伯爵家の商会が取引から手を引いたことで破産したのは、他ならぬイリック男爵家だった。
「品位はお金で買えませんから」
エイミーはそう言っていたけれど……エイミーの家では、お金を払わずツケで買い物を重ねていたという。複数の伯爵家の商会から一斉に請求され、邸は売却、領地へ戻ることが決まり、エイミー自身は修道院に入るのだとか。
誇れるものは「清貧さ」……かしら。
”祈りましょう”が口癖で、”男性に媚を売って”とホフマン伯爵令嬢様を馬鹿にしていたこともあった。だから修道院……そうなるのも当然なのかもしれない。
そして私は……「子だくさんの家系」、若さと丈夫な体。
そんなものしか取り柄がないと言われているのと同じ。
何を言っても今までは大丈夫だったのに。どうして急にすべてが崩れたのだろう。
……急にどうして……。
未来の王太子妃に気に入られようと、少し振る舞いを飾っただけ。それが、こんなにも罪深いことだったなんて……!
だとしたら、どうして誰も教えてくれなかったの!?
教えてくれたら……教えてくれさえしたら、あんなことはしなかったのに……。
「本当ですわね。私なら、婚約者様に嫌がられていたら、傍にいられませんわ」
ああ……口は禍の元。
その言葉が、胸の奥で深く、鋭く沈んでいった。
*****
ーsideセレナー
「お父様、お手を煩わせてすみません」
静かな書斎。煤けたランプの灯りが、父の手元と、机に並んだ羊皮紙の束を淡く照らしていた。私は深く頭を下げ、父はペンを置いてゆっくりと息をつく。
「言われた通り書いたが、あれでよかったのか」
喜色を滲ませながらも、どこか娘を案じる声音だった。
男爵家それぞれに、『誇れるもの』に合った提案をした。
どの言葉も、彼女たちが自ら口にしていた“誇り”に寄り添わせたもの。その皮肉すら包み隠すように、丁寧に理由付けをした手紙だ。
「ええ、どの男爵家も提案に乗ってくださり満足です」
そう答えると、父は一瞬呆けたように黙り、それから口元を震わせて笑った。
「くくっ、そうか。お前の婚約者様は何と?」
父の声に僅かな愉快さが混ざっている。ヴィクター様の反応を実は楽しみにしていたのだろう。
それぞれの令嬢が新たな道へと進んだあと――
ヴィクター様は、『なんか、ざまぁっぽい展開になった!』と、少年のように目を輝かせ、私に熱心に語ってくださった。
あんなに興奮なさるとは思わず、私は驚きとくすぐったい喜びを覚えた。
けれど、ヴィクター様の表情は、すぐに沈んだ。
「……でも、私の抗議の文のせいで彼女たちの人生が狂ってしまったと思うと……なんだか、悲しくなる」
言葉にした瞬間、声がかすかに震えていた。
「そんなことをおっしゃらないでください。私まで悲しくなりますわ。ヴィクター様が、私の扱いが謂れなき非難であったことを誰の目にもわかるように証明し、汚名を雪いでくださったのです。彼女たちの処遇は、それぞれの家が決めたもの。報いを自分の身に受けただけ、処遇は然るべきものですわ」
ヴィクター様が、私を守るために動いてくれた事実は紛れもない真実なのだから。
「うん、そうだね。くよくよしていられない。次も私に任せて、セレナ」
その声音には迷いがなく、未来を照らすような明るさがあった。私の名を呼ぶ声がやさしく胸に響き、穏やかに心を落ち着かせていくのだった。