作品タイトル不明
6.小鳥の末路①
ーside男爵令嬢の1人ー
執務室の空気は重く、深い木の香りがいつもより濃く感じられた。窓から差し込む光も、どこか冷たい。私は緊張を胸に押し込みながら、お父様の前に立つ。
「……この抗議の文の内容に心当たりはあるのか?」
低く響いた声に、胸がひゅっと縮んだ。
やはり――アルマンド公爵家から抗議が届いたのね。覚悟していたこととはいえ、実際に突きつけられると足が少し震える。
「そ、その、ホフマン伯爵令嬢には謝罪を受け取ってもらいました……」
自分でも情けなく思うほど声が上ずる。
けれど事実だ。謝罪は受け取ってもらえたのだから、事態は最悪ではないはずだわ、と心のどこかで縋る。
そう思った矢先、お父様は額を押さえ、呻くように言った。
「なんということだ。ホフマン伯爵令嬢とは、言葉を交わす仲だと聞いていたのに。お前は、ホフマン家を敵に……ああ、我が男爵家は終わりだ……」
え? 男爵家が終わり?
あまりの言葉に、思考が一瞬止まった。どうしてその話がそこまで飛躍するのか、理解が追いつかない。
「……なんだその顔は。知らないのか? あのホフマン家だぞ!」
お父様の声が怒りよりも恐怖を帯びていることに気づき、背筋が冷たくなる。
成金の伯爵家……ではないの? ミレーナ様から聞いた噂が頭をよぎる。財を背景に、王太子殿下の婚約者候補の座を買った家――そんな程度の認識だったのに。
コンコンコン――。
重苦しい空気を切り裂くように、執務室のドアが控えめに叩かれた。
「入れ」
お父様が短く命じると、執事が姿を現す。
「旦那様、ホフマン伯爵家から文が届きました」
「やはりか……寄越せ」
お父様は、ほとんど奪い取る勢いで手紙を受け取った。封を切る手が少し震えている。読み始めて数行も経たぬうちに、その顔色がみるみる蒼くなっていくのが分かった。
「お前も読め」
投げつけるように文が私の手元へ渡される。
紙が空気を切る音が、ひどく大げさに響いた。お父様は頭を抱え込み、深く息を吐くと、力が抜けたようにソファへどさりと沈み込んだ。
私は文を手に取り、震える指先を押さえつけながら視線を落とした――。
重々しい空気が部屋を満たしていた。
『アルマンド公爵家からの文で大体把握していると思うが……まあ、その通りだ。貴殿の娘は我が娘に『金しか誇れるものがない』……そう言っていたそうだ。……ああ、それに、我が家の商会が小さなもの……だったかな。なに、その通りだからそれはかまわない』
淡々とした文。その奥には怒気でも嘲りでもない、ただ事実を述べる冷えた温度だけがあった。
『ただ、そういうことなら、貴殿の娘が誇れるものとは何だろう? ……ああ、そうだ。貴殿の家系は子だくさんだったな。よいことではないか。若さと丈夫な体』
丁寧な物言いでありながら、皮肉が刃のように滑り込んでくる。
『一つ提案がある。我が商会の取引相手に後妻を探しているものがいる。ヴェセリー子爵だ。貴殿の娘を後妻にどうかな? 前妻との間に子供ができず、跡継ぎを欲しているそうだ』
私の未来を品物のように語るその文に、ぞくりとした嫌悪が混ざった気がした。
『学院での出来事を見た貴殿の娘の婚約者がお父上と一緒に『縁を切るから、取引はやめないでくれ』……泣きながら頼み込んできた。だから、大丈夫だ。婚約者はそのうちいなくなるであろう』
胸の奥が冷たくしぼむ。嘘だ。あの優しい婚約者が――?
『セレナは謝罪を受け入れたのだから、無理にとはいわない。なに、ただの提案だ』
ただの、提案。そんな言葉で片づけられるほど、人生は軽いのだろうか。
『我が家の小さな商会に価値がないのなら取引はいらないだろうか。原材料が手に入らないと貴殿の商会、投資回収できないぞ? 繰り返して申し訳ないが『誇れるものが金』だったか。その金がなくて男爵家が終わらないとよいがな』
文面の最後が嘲笑で締められているように思えて、手が震えた。
――嘘。婚約が……破棄される?
いやよ。あんな、カエルのような顔をしたヴェセリー子爵の後妻になるなんて……。
「っ! お父様、まさか、私を後妻になど……」
声が震えていた。否定してほしかった。どれだけ怒られてもいい、断ってほしかった。
「後妻するに決まっているだろう! ホフマン家の商会は店舗が小さいだけだ。ただの下請けではない。拠点は隣国にあり、商品の原材料の確保量、横のつながり、扱っている商品、全て一流だ。つながりが無くなったら我が一族は終わりだ。……お前が次の夜会に着る予定のドレスもホフマン家の商会に注文していた。まあ、必要なくなったがな」
お父様の声は怒りよりも焦りに満ちていた。額には汗が浮かび、机を握る手は強く震えている。
そ、そんな……。
「敵に回してはいけない家だ。知らなかったでは済まされない。いや、違うな。敵に回してはいけないとかそういう問題ではない。お前は、貴族としてあり得ないことをしたのだ。お前ひとり切ることで男爵家が救われるのなら、提案に乗る。……勘違いするなよ、お前のことはさっきまで娘として愛していた」
さっきまで。
その言葉が胸の奥で何度も反響し、ゆっくりと崩れ落ちていく。
父の目をいくら見ても、もうそこに“愛する娘”に対する温度はなかった。