軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5.カロリーナの婚約

カロリーナは俯き悲しげに呟いた。なぜなら現在自信喪失中なのだ。

「お父様。私ものすごく人から嫌われているのかしら?」

「いいや、私の可愛いカロリーナが嫌われるはずがない。どうした?」

カロリーナは口に出せなかった悩みを思い切ってお父様に打ち明けた。

「私、学園を卒業したら婚約者が決まるものだと思っていたのに、縁談の話題すら出ないわ。それは婚約の打診がないということでしょう? これでは我が家のお荷物になってしまって辛いです」

お父様は大げさなほど大きな声で否定した。

「まさか! カロリーナがお荷物なわけがない。実はカロリーナの結婚相手は父上が決めると宣言していて、来ている縁談を片っ端から断っているのだ。私はカロリーナに結婚しないで、いつまでも家にいてほしいと思っていたから口を出さないでいたのだ」

「えっっと……私に縁談は来ていたのですか?」

「むろん来ていたとも」

お父様は自慢げに胸を張る。カロリーナはこのまま行き遅れて公爵家の恥になるのではと怯えていたのに、まさかお祖父様が縁談を止めていたとは。きっと深い考えがあってのことだと思うけど、ひとこと言って欲しかった。

このやり取りを知ったのか、翌日お祖父様に呼び出された。しかも男性を紹介された。急すぎる。

「カロリーナ。紹介しよう。パッセラ侯爵家の三男ディーノだ。先月留学先から帰国したところだ」

目の前にはスラリと背の高い品のある男性がいた。眼鏡をかけていて知的な雰囲気が漂っている。大人の落ち着いた魅力というやつだ。やや緊張気味に挨拶をした。

「初めまして。カロリーナと申します」

「お久しぶりです。ディーノと申します」

(お久しぶり? 私としたことがなんてことでしょう!)

初対面ではなかったらしいがまったく覚えていない。恥ずかしさに顔を赤くして謝罪した。

「え? お会いしたことがありましたか? 申し訳ございません。大変失礼いたしました」

ディーノは口を手で覆うと笑いを堪えるように肩を震わせた。

「いえ、小さかったあなたは憶えていないでしょう『おちびちゃん』」

その呼び方をカロリーナにするのはたったひとりだけ。

「まあ! おおきいおにいさんなのですか?」

「おや、覚えていましたか。ええ、そうです。大きくなられましたね」

まるで久しぶりに会う親戚のおじさまのような物言いに思わず眉を寄せた。確かに『おちびちゃん』と言われていたときは小さかったけど、今は特別小さくない。そもそも当時のディーノだって背は高いけどまだ子供だったはずだ。いきなりの子ども扱いにムッとする。

「私、もう立派な淑女ですわ。ところでディーノ様のお歳をお聞きしても?」

「二十六歳になりました。カロリーナ様より六歳年上になります。年寄くさかったですね。申し訳ない。つい、感慨深くて」

挑むように問いかければ、あっさりと謝罪されてしまった。責めたわけではなく、でも怒った物言いになってしまい我ながら大人げなかった。カロリーナは自分の言動を反省しながら、引き下がってくれたディーノはやはり大人だなと思った。

「いいえ、私こそ失礼しました」

「カロリーナ。ディーノはあの歴史小説の翻訳をしてくれている。近いうちに出版することが決まった」

「まあ! やっとですね。私、楽しみにしていたのですよ。きっと大ベストセラーになりますわ」

カロリーナは両手を叩いて喜んだ。あれほど面白い小説なのだから大勢の人に読んでほしい。原作者は外国の人で翻訳と出版の契約の許可は取ってあったが、原作の続編が出てしまったことで我が国での出版が決まるまで時間がかかったらしい。

お祖父様に呼ばれたのはてっきり、婚約者候補の男性との顔合わせだと思っていたが勘違いだった。カロリーナの大好きな小説の翻訳者を紹介するためだったのだ!

「ディーノ様。いいえ、ディーノ先生。本が出版されたらサインください!」

ディーノは目を丸くしたが、照れながらくすりと笑った。

「私のサインでよければ。ただ先生と呼ぶのはやめてほしい。柄じゃないんだ」

「はい。わかりました。でもサインは約束ですからね!」

「それでディーノはしばらくこの本屋敷に住み込みで仕事をする。カロリーナに手伝ってもらうこともあると思うから、よろしく頼む」

「ぜひお手伝いします。お任せください」

「カロリーナ嬢。よろしく頼む」

大好きな翻訳家のお仕事の手伝いができるなんて、ファン冥利に尽きる。本が好きなお祖父様の孫で本当によかったと感謝した。

さっそくその日からカロリーナはディーノの手伝いをした。新作の翻訳に必要な資料を集めたり辞典を揃えたり。休憩用のお茶やお菓子を手配して、食事のメニューも考える。翻訳は脳を使うからエネルギーを消耗する。体にも脳にもいいものを料理長と相談した。充実した毎日だった。

ある日、休憩のお茶を一緒にしているときカロリーナはディーノに気になっていたことを聞いた。

「ディーノ様が翻訳家を目指すきっかけを聞いてもいいですか?」

「きっかけ? ああ、それは『おちびちゃん』だよ」

「え? 私……ですか?」

「ああ。私は三男で家を継げない。騎士になるか文官を目指すか悩んでいた。早く将来を決めないと間に合わなくなる。でもなかなか決断できずにここで本を読んでいた。たまたま気に入った本が外国の翻訳本で、原文で読みたくなって自分で翻訳しながら読んでみたのさ。でも想像より難しくてね。相当勉強して取り組まないと無理だと思ったよ」

「そうですよね」

ただ直訳すればいいわけではない。意図をわかりやすく表現して、かつ面白くなければならない。外国の言葉と自国の言葉の意味や解釈が合わないこともある。相応しい表現を探し折り合いを見つけるのは大変だ。

「それでまずは子供向けの絵本の翻訳をやることにした。出来上がったのを子供に読んでもらいたいと思っていたら、ちょうど『おちびちゃん』がいた。試しに読み聞かせをしたら、ものすごく喜んでくれて何度も読んでとせがまれたな」

「あ! 覚えています。お姫様が冒険に行くお話でしたよね?」

「覚えていたのか」

「何度読んでも面白くて大好きだったのに、探しても棚にはなくて『おおきいおにいさん』がいるときしか読めない謎の本だったから覚えています」

「あれは私物だから毎回持ち帰っていた」

読んでもらった次の日も読みたくて探したらなかった。次に『おおきいおにいさん』を見つけたときにどこにあるのか聞いたら持ってきていないと言われて泣いた。ディーノは「明日持って来るから泣かないで亅とおろおろしていた。

「あの絵本のお話は面白かったけど、絵は……ふっ、微妙でしたよね?」

「そこは忘れてくれてよかったのに。私は絵心がないんだ。原作の絵をまねたけど上手く描けなかった」

ディーノが言い訳をしながら肩を竦める。

「ディーノ様が絵も描いていたのですね。あの絵本はまだありますか?」

「ああ、初めて翻訳した記念に取ってある」

「今度見せてくれませんか?」

「え……ちょっと恥ずかしいな」

「お願いします。また読みたいです」

逡巡するディーノに両手を胸の前で組んで必死に頼んだ。カロリーナはディーノの手掛けたすべての作品のファンなのだ。もう一度読みたい。子供の頃と今とでは違う感想を抱くかもしれない。

「わかったよ。でも拙い出来だから笑わないでくれ」

ディーノが優しい顔で微笑む。カロリーナは胸の奥でドキンと何かが跳ねる音を聞いた。

「もちろん笑ったりしません」

「それで『おちびちゃん』のおかげで翻訳家になることが目標になった。閣下に相談したら後押ししてくださって、留学の援助や家族の説得までしてもらった。これからは恩返しをしたいと思っている」

「そうだったのですね。私がディーノ様の将来を決める一端を担ったと思うと面映いです」

「私はカロリーナ嬢に感謝しているよ」

そのあともディーノとの楽しく穏やかな交流が続いた。

半年ほど経った頃、カロリーナはお祖父様とディーノと三人でお茶をしていた。お祖父様は唐突に口を開いた。

「そろそろカロリーナの婚約者を決めようと思う」

「えっ?!」

「驚くことか?」

「いえ、まったく婚約の話が出ないので、私はこのまま結婚しないで家にいていいものだとばかり……」

ずっと本屋敷でディーノと仕事をして生きていくのだと思い込んでいた。突然のお祖父様の宣言にしょんぼりと肩を落とす。ずっと家のための結婚をする覚悟をしていたけど、その覚悟はどこかに散歩に行ってしまった。気が緩んだときに婚約者を決めるなんてちょっとずるい。少しだけお祖父様を責めるように睨んだ。ちらりとディーノを見るとすまして紅茶を飲んでいる。彼はカロリーナの結婚に興味ないのだ。

(どうしよう。ショックだし悲しい……)

カロリーナはディーノと過ごすうちに心を寄せるようになっていた。サミュエルは本の感想を言うだけの本友だったけれど、ディーノは違った。一緒にいると穏やかで幸せな気持ちになる。永遠にこの時間が続いてほしいと願うほどに。もう、この人がいない人生を考えられないのに……。

「カロリーナ嬢。そんなに落胆されるとさすがに落ち込むな。嫌われていないと自負していたのだが勘違いだったか」

「は? え?」

困ったなと髪をかき上げるディーノに困惑する。問う様にお祖父様に視線を向ける。お祖父様は不思議そうに言った。

「わしはてっきりカロリーナはディーノを好いていると思ったが嫌だったか?」

「待ってください! もしかして私の婚約者になる人はディーノ様なのですか?」

「もちろん、そうだが?」

「お祖父様ったら、それを先に教えてください!」

ディーノが目を丸くしている。

「閣下はカロリーナ嬢に婚約の相手は私だと伝えていなかったのですか?」

やや責めるような口調に、お祖父様は悪びれる風もなく「はて」と首を傾げた。

「言ったつもりだったのだが、なあ?」

「なあ? じゃありません。私は聞いていませんでした!」

「それはすまなかった。それで、カロリーナはディーノと婚約するのか? やめるのか?」

「やめない! します。ディーノ様と婚約します! 結婚します!」

カロリーナは手を挙げて宣言した。その姿にディーノがお腹を押さえて笑っていたが、すぐに笑いを収めると居住まいを正しカロリーナをまっすぐ見つめる。

「カロリーナ嬢。どうか、私と結婚してください」

「はい。お願いします」

ディーノの実家であるパッセラ侯爵家にはご先祖様が王からもらった爵位がある。国への貢献に対するもので爵位と金貨のみで領地はない。ディーノはその爵位を継いだ。

ディーノは『閣下の本屋敷』をお祖父様から引き継ぐ。屋敷と本を管理していくのだ。もちろんカロリーナも一緒に。二人の新居はベルトーネ公爵邸の程近くにお祖父様が建ててくださった。家付き仕事付きの好待遇だと、ディーノはお祖父様に絶賛感謝中だ。

本来ベルトーネ公爵令嬢であるカロリーナは、もっといい条件の家に嫁げる。でも家族は家の利益よりもカロリーナの幸せを優先してこの結婚を決めてくれたのだ。

「カロリーナの結婚は私の我儘でもあるのだ」

お祖父様は本屋敷を大切にしていた。でもお父様もお兄様たちも本はそれなりに好きだけど嗜む程度。お父様とお祖父様は本屋敷の未来について話し合った。お父様はお祖父様が亡きあとはいずれ蔵書を図書館に寄付するつもりだった。

本の管理は大変だ。興味のない人間にとっては必要のないもの。でも必要としている人には財産になるしお祖父様にとっては宝物。寄付した方が大勢の人の役に立つだろう。でも人生をかけて集めたお祖父様は人手に渡ることが残念で受け入れ難かった。

そこで本好きのカロリーナに相続させて任せたいと思った。やはり本好きでカロリーナを幸せにできる男に本屋敷とカロリーナを託したいとお父様に持ち掛けた。

このとき初めてサミュエルとディーノがカロリーナの婚約者候補だったと知らされた。

「わしはサミュエルでもディーノでも、どちらでもよかった。サミュエルは間違いを犯したがカロリーナが望めば婚約者にするつもりだった。でもカロリーナはその意思を見せなかった。それでディーノの仕事を手伝わせ相性を見ていた」

「相性が合わなかったらどうしたのですか?」

「また別の男を探した。カロリーナを好きでもない男に嫁がせるつもりはないからな。カロリーナが本屋敷を継げる男を好きにならなければ、本は寄付するつもりでいた」

「お祖父様……」

お祖父様は本屋敷以上にカロリーナの幸せを考えてくれていた。感動して泣きそうだ。

「カロリーナがディーノを好きになってくれたおかげで安心して死ねる」

「まあ! そんなことおっしゃらないで。長生きしてひ孫に本を読んであげてくださいね」

「おお、それもいいのう」

「お祖父様。ディーノ様を婚約者にしてくださって、ありがとうございます」

お祖父様は頬を緩め満足そうに頷いた。

カロリーナとディーノは一年後に結婚した。その後、ディーノの翻訳した本はベストセラーになり、さらには自分でオリジナルの小説も書いていて、それも好評だ。

今までもこれからも、ディーノの作品の一番のファンはカロリーナだと自負している。