作品タイトル不明
第68話 信じる瞳の先で
「始め!」
審判の声が落ちた瞬間、闘技場の空気が張り詰めた。
次の瞬間、地鳴りのような歓声が爆発する。石造りの観客席が震え、賭け札を握る手が振り上げられ、怒号と期待が渦を巻く。
リング中央。
俺はゆっくりと息を吐いた。
砂の匂い。血の匂い。焼けた鉄の匂い。
正面に立つカイルは、まるで壁だった。二メートルを超える巨体。肩に担いだ巨大な剣は、刃というより鈍器に近い。あれをまともに受ければ、骨ごと砕かれる。
「行くぞ! 少年! 」
叫んだ瞬間、巨体が消えた。
重いはずの身体が、信じられない速度で間合いを詰める。
背筋に氷を流し込まれたような殺気。
上だ。
咄嗟に顔を上げた時には、すでに遅い。巨剣が落ちてくる。空気が裂け、轟音が鼓膜を叩く。
俺は反射でアストラルフレイムを掲げた。
激突。
衝撃が腕を通して肩に突き抜け、足元の砂が爆ぜる。視界が白く弾けた。
重い。
押し潰される。
カイルは笑っていた。全体重を乗せ、じわじわと刃を押し込んでくる。
「どうした! それでも英雄か! 」
足が沈む。膝が軋む。腕が悲鳴を上げる。
このまま力比べを続ければ、先に折れるのは俺だ。
刃を滑らせる。力を逃がす。身体を半歩横にずらし、巨剣の軌道を逸らす。
刃が地面に叩きつけられ、砂と石が吹き飛んだ。
その反動で踏み込む。
喉元を狙って斬り上げる。
だがカイルは、笑いながら後退した。巨体に似合わぬ軽さで距離を取る。
「速さだけは一丁前だな」
次の瞬間、横薙ぎ。
空気の壁が迫る。
防御が間に合わない。
飛ぶ。
それでも刃先が胸を掠めた。布が裂け、熱い痛みが走る。視界の端に赤が滲む。
着地と同時に足がもつれる。
そこへ、追撃。
上段からの振り下ろし。
間に合わない。
咄嗟に身を捻る。巨剣が肩をかすめ、地面に叩きつけられる。爆音。砂煙。
衝撃波が背中を打ち、呼吸が止まる。
「龍夜くんっ! 」
遠くからミユウの声。
その声が、意識を繋ぎ止める。
立て。
ここで倒れたら、終わりだ。
カイルは完全に油断している。追い詰めた獲物をいたぶる目だ。
「ほら、終わりか? 小僧」
巨剣を片手で持ち上げる。片手。あの質量を。
踏み込み。
連撃。
一撃目を受ける。衝撃で肘が痺れる。二撃目を弾く。三撃目が来る前に、前へ出る。
懐に入る。
剣は長い。内側に潜り込めば振り回せない。
胴を狙う。
だが、カイルは肘で受けた。
鈍い音。俺の身体が弾き飛ばされる。
背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜ける。
空が揺れる。
立てない。
視界が滲む。
足音が近づく。ゆっくりと。余裕を見せつける歩み。
「所詮はガキだな」
巨剣が頭上に掲げられる。
あれが振り下ろされれば、本当に終わる。
――守るって、言っただろ。
胸の奥が熱を帯びる。
ミユウが、立ち上がっているのが見えた。柵を掴み、泣きながら叫んでいる。
あいつは、俺が勝つと信じている。
その視線が、背中を押す。
立ち上がる。
震える足で、前を向く。
巨剣が落ちてくる。
その瞬間、世界が静まった。
砂の動き。風の流れ。カイルの重心。全てが、はっきりと見える。
胸の奥で何かが弾けた。
アストラルフレイムが、震える。
足を一歩、踏み込む。
「 星嵐剣(せいらんけん) ! 」
振り抜いた瞬間、爆風が生まれた。
リング全体を巻き込む砂嵐。観客席まで砂が吹き上がり、悲鳴が連鎖する。
「な、なんだこれは! 」
カイルの声が嵐に飲まれる。
視界を奪われ、巨体が一瞬、止まる。
俺には見える。
嵐の中心に立つ、あいつの輪郭が。
地面を蹴る。
一閃。
風を裂き、一直線に踏み込む。
刃が鎧を断ち、肉を打つ確かな手応え。
「がああああっ! 」
巨体が宙に浮いた。
次の瞬間、地面に叩きつけられる。衝撃で砂が波のように広がる。
嵐が晴れる。
カイルは仰向けに倒れていた。巨剣は遠くに転がっている。
観客席が静まり返る。
審判が数え始める。
一。
二。
三。
カイルの指が、わずかに動く。
四。
五。
立ち上がろうとする。だが、膝が崩れる。
六。
七。
怒号が飛ぶ。
「立て、カイル! 」
「終わりだ! 」
八。
九。
十。
終了の鐘が鳴り響いた。
闘技場が割れんばかりの歓声に包まれる。
俺は、その場に膝をついた。
息が荒い。胸から血が流れる。
「龍夜くん! 」
ミユウが駆け寄り、俺を抱き支える。
温もりが、震える身体を包む。
「やっ……た……」
俺は、かすかに笑った。
救世主なんかじゃない。
それでも。
あいつを守れるだけの力は、掴んだ。
荒れ狂った嵐の余韻の中、闘技場の空には、雲ひとつなかった。