作品タイトル不明
第3話 救世主なんかじゃない
剣が床を噛んだ瞬間、腕の骨まで響いた衝撃で、俺の指は柄から半分ずれた。
白い石の訓練場に散った火花が靴先をかすめ、鼻の奥に金属の匂いが刺さったまま、俺は膝をつきかけた身体を無理やり踏みとどまらせる。
目の前の兵士が木剣を引き、また構え直した。朝から何度も繰り返した動きなのに、俺の腕だけが鉛を流し込まれたみたいに重く、汗で濡れた手のひらが柄の革をうまく掴めない。
回廊の柱の陰で、白い羽が小さく揺れた。ミユウが両手を胸の前で重ね、俺の呼吸に合わせるみたいに唇を結んでいるのが見えた瞬間、喉の奥に溜まっていた熱が、剣より先に飛び出した。
「もう一度だ、龍夜」
兵士の声が石壁に跳ね返る。俺は返事をせず、剣を持ち上げた。持ち上げたつもりだった。腕は肩の高さで止まり、刃先だけが情けなく揺れた。
「踏み込みが浅い。相手の胸を狙え」
「狙ってる」
歯の間から出た声が、自分でも嫌になるくらい硬かった。兵士は眉ひとつ動かさず、俺の足元を木剣の先で軽く叩いた。
「腰が逃げている。剣だけ前に出しても届かない」
「届かないって、何回言えば気が済むんだよ」
白い床に汗が落ちる。小さな染みが、乾く前にまた増えた。
王宮の訓練場は広く、天井から差す光も綺麗で、壁には磨かれた盾が並んでいる。だけど俺の足の裏には、その全部が遠い世界の飾りにしか思えなかった。
昨日も、今日も、明日も。
剣を振れ。走れ。避けろ。立て。息を整えろ。
そのたびに兵士たちは当然みたいな顔をして、ミユウは柱のそばで俺を見ている。
俺が倒れかけるたび、小さな指が動きかける。癒しの力を使おうとして、でも王宮の決まりを思い出したみたいに、白い袖を握りしめる。
その仕草が、俺の喉を余計に焼いた。
「龍夜くん……少し、休んだほうが」
細い声が届いた。
俺は振り返らないまま、剣を持ち直した。柄に巻かれた革が汗で滑り、爪の間に食い込む。
ミユウの声は柔らかいのに、胸の奥で硬い石みたいに転がった。
「休んだら、救世主になれるのかよ」
空気が止まった気がした。兵士の足音も、遠くで鳴っていた水の音も、少しだけ離れた。
ミユウが一歩だけ前に出る気配がした。
「龍夜くん、私はそんなつもりで」
「じゃあ何なんだよ!」
振り向いた勢いで、剣先が床を削った。高い音が鳴り、ミユウの肩が跳ねる。白い羽が背中で小さく縮み、彼女の両手が胸元の布を掴んだ。
「毎日毎日、剣を振れって言われて、守れって言われて、選ばれたって言われて。俺はただの高校生だったんだぞ。昨日まで普通に暮らしてたんだ。こんな重い剣なんか握ったこともない」
喉が擦れて、声が割れた。それでも止まらなかった。止めるための息を吸う前に、次の言葉が出た。
「俺は救世主なんかじゃない!」
広い訓練場に、その声だけが残った。
ミユウの瞳が揺れた。泣きそうな顔、なんて言葉を当てる前に、彼女はまつ毛を伏せて、唇を薄く噛んだ。白い羽の先が床の光に触れ、そこだけ冬の朝みたいに色が薄くなった。
「ごめんなさい」
小さな声だった。俺に届いたのか、床に落ちたのか、わからないくらい小さかった。
「ミユウ、今のは」
言いかけた俺の指から、剣がずり落ちた。刃先が床に当たり、鈍い音を立てる。
ミユウは俺を見なかった。重ねていた両手を下ろし、白い袖を握ったまま、回廊のほうへ歩き出す。
「龍夜くんに、無理をさせたかったわけじゃないの」
彼女の足音は軽い。けれど一歩ごとに、胸のどこかを細い針で留められるみたいだった。
「私、少し外の空気を見てきます」
「待てよ」
呼び止めた声は、さっきよりずっと小さく、喉の途中で砕けた。ミユウは立ち止まらなかった。
回廊の影に入り、白い羽の先だけが最後に見えた。光を受けていたその羽が、柱の向こうでふっと消える。
俺は追いかけなかった。
足が動かなかった。
兵士が何かを言った気がする。けれど耳に入らなかった。
床に落ちた剣を拾うために腰を曲げたら、膝が震えた。指先が柄に触れた瞬間、ミユウの「ごめんなさい」が、革の冷たさに混じって戻ってきた。
「くそっ」
剣を握りしめる。手のひらの皮が擦れて、熱い筋が走った。
俺はそれを床に投げつけそうになり、寸前で止めた。白い石に映った自分の顔は、知らない誰かみたいに歪んでいた。
そのとき、訓練場の奥で、空気が裂けた。
最初は風の音かと思った。けれど柱に掛けられた布が、風とは逆の向きに吸い寄せられる。
水盤の表面が黒く濁り、底から墨を流したみたいに輪が広がった。
兵士が剣を抜く。
「外へ出るな!」
回廊の向こうで、短い悲鳴が上がった。
俺は走り出していた。
さっきまで重かった足が、石の床を蹴るたびに熱を持つ。角を曲がる。壁に肩をぶつける。
倒れた花瓶の水で靴底が滑り、手を壁についた。掌に白い粉がついたまま、俺は回廊の先を見た。
中庭へ続く扉が開いている。
薄い日差しの中に、黒い裂け目があった。布を裂いたような形の闇が空中に口を開け、そこから伸びた腕が、ミユウの身体を抱え込んでいた。
「龍夜くん!」
ミユウの声が、闇の中で揺れた。
白い羽がもがく。細い足が宙を蹴る。悪魔の腕は岩みたいに太く、爪の先から黒い煙が垂れていた。ミユウの袖に煙が触れ、布が焦げる匂いが鼻に届く。
俺の喉から、声にならない息が漏れた。
「離せ!」
剣を構える。けれど距離がある。足が一歩出るより早く、悪魔の顔が闇から覗いた。角の間に赤い目が二つ並び、口の端から黒い牙が見えた。
「癒しの光を使った娘か。白翼の継承者、見つけたぞ」
ミユウの顔から血の気が引いた。彼女は俺のほうへ手を伸ばした。指先が震えている。俺はその指に向かって走った。
あと数歩。
その数歩の間に、闇が閉じた。
「ミユウ!」
伸ばした手は、何も掴めなかった。空気だけが冷えて、指先に黒い煙の匂いが残る。中庭の芝生に、白い羽が一枚落ちていた。
俺はそれを拾った。
柔らかいはずの羽は、指の中でひどく冷たかった。
「追跡班を出せ!」
兵士たちの足音が背後で乱れる。誰かが王宮の鐘を鳴らした。高い音が何度も空へ突き刺さる。その音の中で、俺は羽を握ったまま立っていた。
救世主なんかじゃない。
さっき叫んだ言葉が、今度は自分の胸の中で跳ね返った。ミユウの白い羽を握る指が、少しずつ締まっていく。爪が掌に食い込み、羽の軸が皮膚を押した。
「場所を探せ。闇の残り香がある」
兵士の一人が膝をつき、床に残った黒い煤を指でなぞる。その手が中庭の外、王宮の裏に広がる森のほうを示した。
「北の岩山だ。古い洞窟に繋がっている可能性が高い」
「案内しろ」
俺の声に、兵士が振り向いた。
「龍夜、今のおまえでは」
「案内しろ」
自分の声が低く沈む。さっきまでの割れた叫びとは違った。胸の奥で何かが焼け残り、その火が息を吸うたびに広がっていく。
兵士は一瞬だけ俺を見たあと、剣を握り直した。
「ついてこい。遅れるな」
遅れるな、と言われる前に走っていた。
王宮の門を抜ける。石畳が土に変わる。森に入った瞬間、湿った葉の匂いと、黒い煙の匂いが混ざった。枝が頬をかすめ、細い痛みが走る。足元の根を跳び越え、泥を踏み抜き、息が喉を削った。
「龍夜くん」
耳の奥で、ミユウの声が鳴る。
違う。これは記憶だ。けれど足は止まらなかった。俺は白い羽を胸元に押し込み、剣の柄を握った。
森を抜けると、岩山が見えた。斜面の途中に、黒い口を開けた洞窟がある。入り口の周りだけ草が枯れ、石に焦げ跡が残っていた。奥から吹く風は冷たく、舌の上に鉄の味を残した。
「ここだ」
兵士が言う。
洞窟の中へ踏み込むと、光がすぐ背中に置いていかれた。
壁は濡れていて、指を触れるとぬるりとした冷たさが皮膚に残る。水の落ちる音が奥で鳴り、その間に、鎖の擦れる音が混じった。
俺は足を速めた。
「龍夜、待て。罠がある」
「待ってる間に、あいつが」
言葉の先が喉に詰まる。ミユウの顔が浮かんだ。柱の陰で袖を握った指。俺に背を向けて歩き出した白い羽。闇に飲まれる直前、俺へ伸ばした手。
俺は剣を抜いた。
刃が洞窟の薄闇を裂く。だがそれは、いつもの訓練用の剣だった。重く、鈍く、俺の腕に馴染まないただの鉄。
奥から声がした。
「龍夜くん……?」
細い。けれど、確かにミユウの声だった。
俺は走った。
兵士の制止が背後で跳ねる。足元で黒い紋が光った。石床に刻まれた歪な線が赤く燃え、そこから影の爪が伸びる。俺は咄嗟に剣を振った。鉄の刃が爪を弾き、腕に衝撃が走る。
「邪魔だ!」
叫んで踏み込む。爪が二本、三本と迫る。避けきれず、肩の布が裂けた。熱い痛みが走る。けれど足は止めない。剣を振る。弾く。蹴る。壁に肩をぶつけ、体勢を崩しかけても、前へ出る。
洞窟の奥に、広い空間が開けていた。
天井から垂れた石が牙みたいに並び、床の中央に黒い柱が立っている。その柱に鎖が巻かれ、ミユウが縛られていた。白い羽は鎖に押さえられ、片方の先が黒く汚れている。額に汗が浮き、唇が色を失っていた。
「ミユウ!」
「龍夜くん、来ちゃだめ!」
彼女の声と同時に、天井の影が落ちた。
悪魔が三体、俺の前に降り立つ。黒い皮膚に岩のような筋が走り、爪が床を削る。奥には、中庭で見た角の悪魔が立っていた。そいつの手が、ミユウの顎を乱暴に持ち上げる。
「来たか。剣も満足に握れぬ小僧」
俺は足を止めた。止めさせられた。三体の悪魔の息が生臭く、洞窟の空気が一気に重くなる。
「龍夜くん、逃げて」
ミユウの声が震えた。鎖が鳴る。彼女が身をよじるたび、白い羽に黒い煤が落ちる。
俺は剣を構えた。腕はまだ重い。肩の傷から流れた血が袖の内側を伝い、肘のあたりで溜まる。手のひらは汗と血で滑った。
「逃げない」
声が洞窟の壁に当たり、低く返ってきた。
角の悪魔が笑った。
「その娘は貴重だ。癒しの光は、我らの王に捧げる。おまえの首は、その前菜にしてやろう」
三体の悪魔が同時に動いた。
左から爪。右から尾。正面から牙。
俺は剣を振った。左の爪を弾く。右の尾を避けようとして、脇腹を打たれた。息が潰れ、膝が落ちる。正面の悪魔が口を開ける。牙が迫る。
その瞬間、ミユウが鎖の中で手を伸ばした。
「龍夜くん!」
白い光が、彼女の指先に灯った。
けれど鎖がその光を吸い、黒く脈打つ。ミユウの身体が弾かれ、背中が柱にぶつかった。小さな声が漏れ、白い羽が力なく垂れる。
俺の中で、何かが切れた。
床についた指が、石を掴む。爪の下に砂が入り、血と混ざった。俺は歯を食いしばり、立ち上がった。
「ミユウに、触るな」
悪魔が爪を振り下ろす。
俺は剣を受けた。重い。腕が折れそうになる。鉄の刃が悲鳴みたいな音を立てる。けれどその音の奥で、別の響きが聞こえた。
胸の奥。
白い羽を押し込んだ場所が、熱を持っていた。
俺は左手を胸元に当てた。ミユウの羽が布越しに震えている。熱はそこから広がり、肩へ、腕へ、手のひらへ流れ込んだ。
「俺は」
悪魔の爪を押し返す。足が石を削る。
「救世主なんかじゃない」
言葉はさっきと同じだった。けれど、喉を焼く向きが違った。
「でも、あいつを置いて逃げる俺でもない」
右手の剣が光った。
鉄の色が剥がれる。刃の輪郭から青白い火花が噴き、柄に巻かれた革が光の線へ変わる。洞窟の闇が押し返され、石壁に刻まれた黒い紋が震えた。
手の中にあったのは、訓練場で何度も落とした重い剣じゃなかった。
刃の中心に星のような光が走り、切っ先から青銀の炎が伸びる。握った瞬間、腕の重さが消えた。いや、消えたんじゃない。重さごと、俺の骨に噛み合った。
「アストラルブレイド……」
兵士の声が背後で漏れた。
正面の悪魔が身を引いた。初めて、その赤い目が揺れた。
俺は踏み込んだ。
一歩目で床が砕けた。二歩目で、悪魔の爪が空を切った。三歩目で、アストラルブレイドの光がそいつの胸を斜めに裂いた。
黒い身体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。岩が割れ、闇の煙が噴き出した。俺は振り返らず、右から迫る尾を刃の背で叩き落とした。尾が床にめり込み、悪魔の体勢が崩れる。
「遅い」
自分の声が、洞窟の奥で冷たく響いた。
刃を返す。青銀の光が横に走り、悪魔の腕をまとめて断つ。黒い血が飛び、石床に落ちる前に光に焼かれて消えた。
三体目が天井へ跳ぶ。影に紛れ、上から襲うつもりだったのだろう。俺は見上げない。水滴の落ちる音、その中に混じった爪の擦れだけを拾い、足を半歩ずらした。
背中すれすれを牙が通る。
俺は身体をひねり、アストラルブレイドを下から突き上げた。刃が腹を貫き、光が天井まで抜ける。悪魔の身体が弓なりに反り、声にならない息を吐いたまま崩れ落ちた。
残った角の悪魔が、ミユウの鎖を掴んだ。
「動くな。娘が」
言い終える前に、俺は地面を蹴っていた。
悪魔の手がミユウの首元へ伸びる。ミユウの瞳が俺を映す。そこに、さっき訓練場で見た俺の歪んだ顔はなかった。光を握って走る俺だけがいた。
「龍夜くん!」
「目、閉じてろ!」
ミユウがまぶたを伏せる。
俺はアストラルブレイドを振り抜いた。
鎖だけを斬った。
黒い輪が砕け、白い羽が解放される。悪魔の指が空を掴み、次の瞬間、俺の肩がそいつの胸にぶつかった。硬い。岩に突っ込んだみたいな衝撃が骨に返る。それでも押した。押し込んだ。
「小僧が!」
角の悪魔が腕を振る。爪が俺の頬をかすめ、熱い線が走った。俺は構わず踏み込む。ミユウを背中に庇う位置まで身体を入れ、剣を両手で握った。
「俺を選んだとか、救世主だとか、そんな話は後でいい」
刃の光が膨らむ。洞窟の天井から落ちた水滴が、光に触れて白く弾けた。
「今は、俺があいつを連れて帰る」
悪魔が黒い炎を吐いた。
俺は真正面から斬った。
炎が二つに割れる。熱が頬を焼き、睫毛の先が焦げる匂いがした。けれど刃は止まらない。裂けた炎の向こうで、悪魔の赤い目が見開かれる。
アストラルブレイドが、角ごと肩から胸へ抜けた。
音が消えた。
一拍遅れて、光が爆ぜた。洞窟の壁に青銀の筋が走り、黒い紋が次々と砕ける。悪魔の身体は膝から崩れ、煙になり、床に爪痕だけを残して消えた。
俺は剣を下ろした。
息が戻ってきた瞬間、身体中の痛みが一度に押し寄せた。膝が揺れる。けれど倒れる前に、細い指が俺の袖を掴んだ。
「龍夜くん」
ミユウが立っていた。鎖の跡が白い腕に赤く残り、羽の先は煤で汚れている。それでも彼女は俺の袖を握り、俯いたまま小さく息を吸った。
「ごめんなさい。私のせいで」
「違う」
言葉がすぐ出た。喉はまだ擦れていたけれど、さっきみたいに尖らなかった。
「俺が、ひどいこと言った」
ミユウの指が、袖を握ったまま止まる。
「訓練が嫌で、勝手に限界になって、ミユウにぶつけた。おまえは何も悪くない」
洞窟の奥から、水の落ちる音が戻ってきた。剣の光が少しずつ弱まり、俺の手の中で脈を打つ。アストラルブレイドはまだ消えない。まるで、俺が次に何を言うかを聞いているみたいだった。
ミユウがゆっくり顔を上げた。
「龍夜くんは、私を助けに来てくれました」
「来るだろ」
「でも、さっき……」
「さっきの俺は、どうしようもなかった」
自分で言って、胸の奥が鈍く鳴った。けれど逃げずに続けた。
「救世主になれるかは、まだわからない。剣だって、今まで全然うまく扱えなかった。明日また訓練場に立ったら、また転ぶかもしれない」
ミユウのまつ毛が揺れる。
「でも、ミユウが連れていかれるのを見て、何もしない俺にはなりたくなかった」
彼女の目元に光が溜まった。涙と言う前に、それは頬を伝って落ち、煤で汚れた白い袖に染みた。
「龍夜くん……」
ミユウはそれ以上言わず、俺の袖を両手で握った。小さな手だった。洞窟の冷気で冷えきっていて、布越しでも温度が伝わってくる。
俺はアストラルブレイドを左手に持ち替え、右手を伸ばした。触れていいのか一瞬迷い、煤のついた羽の近くで止める。
「歩けるか」
ミユウは頷いた。けれど一歩踏み出したところで、足が崩れかける。俺は咄嗟に腕を伸ばし、彼女の肩を支えた。軽い。軽すぎた。鎖の跡がある腕に力を入れすぎないよう、指を緩める。
「無理すんな」
「はい」
返事は小さかった。けれど、袖を握る力は少しだけ強くなった。
背後から兵士たちが駆け込んできた。洞窟の床に残る爪痕と、砕けた鎖を見て、誰もすぐには声を出さなかった。
「龍夜、その剣は」
「後で」
俺はそう言って、ミユウを支えたまま出口へ向かった。
アストラルブレイドの光が足元を照らす。壁の水滴が青銀に光り、黒い煤の跡がその中で薄く見えた。洞窟の外から、夕方の風が流れ込んでくる。森の匂いがした。湿った土と、葉と、遠くの王宮の石の匂い。
ミユウが俺の隣で、小さく息を吐いた。
「龍夜くん」
「何」
「さっき、目を閉じてろって言った声、少しだけ……」
「少しだけ?」
ミユウは言いかけて、口を閉じた。白い羽の先が俺の腕に触れる。煤で汚れているのに、触れた場所だけやわらかい。
「何でもありません」
「気になるだろ」
「王宮に戻ったら、言います」
「それ、戻るまで言わないやつだろ」
ミユウの口元がほんの少し動いた。笑った、と思う前に、彼女はまた俺の袖を握り直した。
洞窟の出口が近づく。外の光が白く広がり、目が細くなる。俺はミユウの歩幅に合わせて足を緩めた。さっきまで握っていた剣は、今も手の中で熱を持っている。重さはある。けれど、もう知らない道具の重さじゃなかった。
出口の手前で、ミユウが立ち止まった。
「龍夜くん」
「どうした」
「私、訓練場で……出ていかなければよかったですね」
俺は首を振った。すぐに言葉にできず、洞窟の壁へ視線を落とす。水が一滴、石を伝って落ちた。
「追いかければよかったのは、俺だ」
ミユウの指が袖の布を掴む。冷たい指先が、俺の手首に触れた。
「じゃあ、次は」
彼女の声が、外の風に混じる。
「次は、追いかけてくれますか」
俺は答えようとして、息を吸った。
そのとき、アストラルブレイドの刃が、手の中で一度だけ強く脈を打った。洞窟の奥から、まだ砕けきっていない鎖が擦れる音がした。
ミユウの指先が、俺の手首で冷たく震えた。