軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二、天然と水

壬氏(ジンシ) の執務室から帰ってからも、 猫猫(マオマオ) の頭の中は 華佗(カダ) の書の話でいっぱいだった。

(一体、どんな内容が書かれているのか?)

(早逝した皇子はどんな病だったのか?)

(主上の容態が悪いのか?)

そんなことを考えながら仕事をしていたら、薬の入った壺を落としそうになって慌てた。集中しないといけない。

「何か考え事ですか?」

後輩の 妤(ヨ) が聞いてきた。背が高いほうの官女だ。猫猫の下には、薬草の保存方法や調合法を習いに来ている。覚えがいいので、猫猫としては教え甲斐があって楽しい。

「失礼。集中します」

猫猫は頬を両手でぱんと叩いて気合を入れる。

とはいえ、簡単に頭から離れるものではない。つい、妤の長袖に目がいった。

「失礼を承知で聞いてもいいですか?」

「なんでしょうか?」

「疱瘡の痕を見せてもらってもよいですか?」

妤は一瞬怪訝な顔を見せたが、袖をまくってくれた。豆粒のような赤い痕が点々と重なっている。

「珍しいですか?」

「珍しくはないですが、じっくりと見たことはなかったのもので」

薬屋の客の中にも疱瘡の痕を持つ者はいた。ただ、疱瘡の痕を好んで見せてくれる者はいなかった。

「痕が残ったのは手だけですか?」

「あと肩と首のところにも少し。でも、他の人に比べるとずっとましなほうです」

「 克用(コクヨウ) の処置のおかげですか?」

「そうです」

妤は言い切った。

克用、顔に疱瘡の痕がくっきり残るやけに陽気な医者だ。昔、妤の村で医者をやっていたという。ちゃらんぽらんな奴だが、妤からの信頼は厚い。

「具体的にどんな処置が行われましたか?」

猫猫は前に説明を聞いた気がしたが、もう一度確認しておきたかった。

「肌に傷をつけて、古いかさぶたの粉をこすりつけました。他にかさぶたの粉を鼻から吸わせる方法もあるそうですが、かさぶたの量が足りないようです」

「ほうほう」

やはり詳しく聞いておくものだ、と猫猫は頷く。

「その処置でどの程度の症状が出ましたか?」

妤は腕を組み、目を瞑る。

「ええっと、かなりの高熱が出ましたが、水膨れは全身に回ることはなかったです。他の子も私と同じ処置をした子は同程度かもっと軽く、数日で熱が下がって水膨れもほとんどなかった子もいました」

「やはり個体差は大きいですか」

猫猫は書き留める 記帳(メモ) を探す。妤は書き留めるほどでもないと言うが、猫猫としては覚えておきたい。

「かなり大きいですね」

「克用の処置を受けなかった人は、どうなっていましたか?」

「父は以前疱瘡にかかっていたのですが、軽い発熱がありました。余力がある村人は疱瘡が流行り始めると共に村を出て行きました。残った村人は私たち家族と子どもが数人。あっ、あと一人大人が生き残って、他は全員死にました」

疱瘡に一度かかったとしても、必ずかからないというわけでもなさそうだ。

「ひどい状況でしたね。遺体の処置は?」

「焼いて骨は埋めました。家も焼きました」

かさぶたから感染するということは、遺体を埋めるだけでは危険だ。死者への冒涜ともとられかねないので、覚悟が必要だっただろう。

「それで、みんなで都にですか?」

「いえ、私の家族以外で生き残った大人は別のところへ行きました。あと、都に入る前には衣服を頑張って煮沸しましたし、病も完全に治っていましたので」

流行病を持ち込んでいないと強調したいらしい。

疱瘡の処置については、また克用に詳しく聞くべきだ。

(おやじにも確認しておこう)

他にも医官にはたくさん優秀な人がいる。年配の医官なら過去の疱瘡の流行について知っているかもしれない。

なんだかんだで話しているうちに仕事は終わる。

「じゃあ作った薬を持っていきますのでついてきてください」

「はい」

よく使う薬は医務室に置く。

「ちょっといかつい人たちが多いですが、何を言われても動揺せずについてきてくださいね」

武官たちの修練場が近いため、いかつい男たちが多い。まだあか抜けないとはいえ、可愛らしい後輩に手を出されてはたまらない。

若い男たちが通り過ぎると、猫猫たちを値踏みするように見る。猫猫は普段通り、妤は少し硬くなりながら歩く。

「ほれほれ、大したことない。あっちへ行け」

医務室につくと老医官が擦り傷の武官を追い出していた。好々爺に見えるが荒事になれた熟練医官である。

「軽く薬を付けるだけで安心するのでは?」

筋肉を育てるでおなじみの 李(リ) 医官が言った。

「ちゃんと傷口は綺麗にしておいた。何よりあやつは前に同僚の腕を折ってへらへら笑っていた奴だぞ」

「そうですか、根性無しですね」

李医官の筋肉は段々頭の中にまで浸食している気がした。

「薬補充します」

猫猫は医務室に入って薬箱を取り出す。

「補充します」

妤も猫猫の真似をする。

老医官も李医官も比較的女子どもには丁寧なため、妤がいても安心できる。逆を言えば、猫猫を配属させる際、その点を考慮していたのだと痛感した。

「補充する際、残った薬の日付を確認しておいてください。日付の古いほうを上に、古すぎるものは捨てます」

毎度補充しているのでそうそう捨てる物はない。後宮の医務室と違って実にしっかりした職場だ。

(おやじとやぶ医者元気かなあ)

おやじがいるので、今の後宮の医務室は安泰だろう。心配するとしたら、やぶ医者の首くらいだ。

ちょうど怪我人もいないところで、猫猫は早速話題を切り出す。

「医官さまたちは、疱瘡にかかったことはありますか?」

妤が少し驚いた顔をしたが、そのまま薬の補充を行う。

「疱瘡? 誰しもかかるものではないのか?」

「いいえ、たぶんそっちの疱瘡とは違うかと」

おそらく李医官の言うのは疱瘡ではなく水疱瘡のことを言っているのだろう。水疱瘡なら、子どものうちに大体かかる。猫猫もよく区分がわからないが、ただより死に近いのは疱瘡だ。

「私はあるよ」

老医官は、ほれと袖をまくって見せた。肌のしみと共に赤い模様が入っている。妤よりもずっと密度が高い。

堂々と見せられるのはすでに疱瘡にかかったのは過去のことであり、痕が残ってもそこからうつらないと理解した人間しかいないためだろう。

「君は怖くないかい?」

「いえ。うつらないことを知っていますので」

「説明する手間が省けてよかった」

老医官は新人の妤の態度にほっとする。ここでひるむような官女はとうに 姚(ヤオ) が追い出していた。

「痕を見る限り、ひどかったんですか?」

「そうだね。背中は半分くらいだ。私の世代じゃあ珍しくもないよ。当時、流行っていたからね。けど、最初の嫁さんには難色を示されたなあ」

「二番目の嫁さんは?」

「いい女だよ。家でひ孫守りをしている」

老医官はにいっと笑って袖を戻す。

「最初、水疱瘡かと思っていたら、症状が重くてね。医者の家系じゃなかったら死んでいただろうねえ」

「水疱瘡と疱瘡の違いがよくわかりません」

李医官の質問に猫猫も頷く。

「致死率は違うけど、見た目はよく似ているからね。ただ、病を引き起こす毒が似て非なるものじゃないかって仮説は聞いたことがあるよ」

李医官は一休みの茶菓子を机の引き出しから取り出して食べる。猫猫たちにも食べるかと、差し出してきたのでありがたくいただく。

「病を引き起こす毒かあ」

「猫猫、試そうとは思うなよ」

「……わかっていますよ」

猫猫は睨む李医官から目をそらす。

流れ的に休憩に入ってしまった。猫猫は妤に残りの薬の補充を任せて茶を用意する。

「疱瘡の痕は色々言われるけど、医者になる面でいくつか有利な点はあるんだよ。身を以て体験しているので病の恐ろしさがわかることと、その病にはかかりにくくなることだよ」

「はい」

返事をしたのは猫猫ではなく妤だった。妤にとって、老医官の存在はある意味救いになろう。

(妤の前で話を切り出してよかった)

少なくとも疱瘡のことを甘く見る人たちではないことはわかっていた。猫猫でも痕を揶揄するような人物の前で話題にはしない。

「とはいえ、位が上がると弊害はあるよ。同じ能力がある医官が二人いるとする。高貴な身の上の人の処置するのは、傷痕が少ない方だ」

「……」

現在、医官たちを統べるのは 劉(リュウ) 医官だ。劉医官は素晴らしい医官だが、年齢を考えると老医官が上に立ってもおかしくない。

猫猫たちは少し気まずくなってしまう。

「まあ、劉ちゃんは賢いし、私より優秀だから問題ないんだけどね。私が主上の主治医とか恐れ多いからね」

「主上の主治医。胃がいくつあっても足りませんね」

(主上の主治医)

猫猫は壬氏の意味深な言葉を思い出す。

(何か聞きだせないものか)

とはいえ、相手が劉医官だ。猫猫が口を出すのは反対に邪魔になるのではないか。猫猫は唸りつつ、注いだ茶をすすった。