軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二十二、噂と面倒事

帰りの馬車の中は、大層うるさかった。

馬閃は、履底を打ち鳴らし続けていた。理由は言うまでもなく、里樹妃である。その反応を見ると、疑惑がもうほとんど実証されかねん勢いだが、それでは困る。

里樹妃にも、こやつにとっても。

「馬閃さま」

「なんだ?」

不愉快な顔のまま、馬閃が猫猫を見た。

「その様子だと、里樹妃については、問題がないようですね。壬氏さまのお相手として」

「……あっ、う、うん、いや、まだわからないが……」

どもっている。

「少なくとも、今より幸福になれるのではないでしょうか?」

「……」

壬氏のことか、それとも里樹妃のことか。

猫猫がにこりと作り物めいた笑いを見せると、馬閃はぎゅっと唇を噛んだ。

(他人のことはとやかく言うくせに)

自分のことで我を忘れては、周りが迷惑することを考えてほしい。

と、猫猫は自分のことを棚に上げ、釘を刺しておいた。

馬車は先に緑青館にとまった。離宮との距離を比べると、馬閃の実家のほうが近いのだが、馬閃の馬がこちらに置いたままだった。

ついでだから、今日の分の稼ぎも補填してほしいと思いつつ、馬車を降りる。

すると、別の馬車が緑青館にとまっていた。

「……」

「……」

猫猫と馬閃、二人は顔を見合わせる。

冷や汗をかきながら、馬車を降り、そっと薬屋の窓口の隙間から中を覗き込んだ。

そこには、茶をすすりながら、高級な茶菓子に囲まれた覆面の男が座っていた。

(いや、まだ訪問には早いはず)

だから、馬閃も今日やってきたのだろうに。

しかし、この場にそのかたがいるのは紛れもない事実だった。

茶菓子の種類と数からして、やってきて時間がたっていることがわかる。

さすがにこの空気は、馬閃にも通じたらしい。まずい、と顔色が変わっていた。なにがまずいのかわからないが、まずいことはわかっていた。そろりそろりと緑青館の玄関にまわり、そっと中を覗き込む。

眉間に深い皺をきざんだ 高順(ガオシュン) が、 趙迂(チョウウ) にまとわりつかれている。

こっそりのぞいているつもりだったが、この武の者にはそれすら気配を感じるに十分だったのだろう。

目をかっ、と見開くと、立ち上がりずんずん近づいてきた。

そこで動けなくなっている馬閃。

無言で、怒気を孕んだまま近づいてきた高順は、猫猫に一礼すると、自分の息子の頭を右手で掴んだ。

「少し失礼いたします。壬氏さまがお待ちですので、すぐに行っていただけるとありがたいのですが」

「……はい」

そういって、高順は馬閃を引きずって奥へと連れて行った。

子犬の首根っこをつかまえて運ぶ親犬というより、野兎をつかまえた猛禽類に見えるのはなぜだろうか。

とりあえず荷馬車に揺られる子牛を見る目をおくっておいた。

猫猫もまた、薬屋に入る。

じとっとした視線を感じる。覆面の下からでもわかる粘着質な視線だ。

「遅かったな?」

(来るとは聞いてなかったもので)

猫猫はゆっくり頭を下げると、狭い中に入っていった。茶菓子は手を付けられていない。座れないからと、どうするか聞いたら、いらないと言われたので、うろちょろしていた趙迂にやると、わらわら 禿(かむろ) たちが集まってきてすぐさばけた。

「馬閃は?」

「高順さまにつかまっております」

「……そうか」

頬杖をつき、横柄な態度だ。どうにもぶすくれているように見えるのは気のせいか。

猫猫が戸を閉めると、ようやく覆面を脱ぐ。

猫猫は戸棚から塗り薬を取り出す。生薬を数種類配合して、それを数日寝かせてつくるのだが、たぶんもう大丈夫だろう。

「では、失礼します」

猫猫は膝立ちになり、指先で軟膏をすくう。壬氏の頬の傷は、もう治っているがその傷痕はしっかり残っている。右頬に一線、縫ったあとが残らないだけましなのかもしれない。

ねっとりした軟膏を優しく壬氏の頬の傷に塗りつける。息を吹きかけないように呼吸を止める。

長いまつ毛がふせてある。その視線の先には、猫猫の指先があり、頬に滑らせる指の腹を追っているように見えた。

傷口を確かめるために顔を近づけると、生暖かい息がかかった。

(こやつは花の精か?)

ほのかに花の香りがすると思ったら、飲んでいた茶が薔薇茶だった。うん、いくらなんでもそうだろうな、と少し安心する。

塗っている薬は、昔、おやじが火傷のあとが残った妓女に処方したものだ。つけてすぐ傷痕が消えるものではないが、つけるとその部分の新陳代謝が良くなり、新しい皮膚ができる。

壬氏の頬には新しい皮膚が再生されているが、そこは赤みがあって目立つ。少しでもいいから目立たなくしていきたい。

(自分で塗ればいいのに)

毎度、壬氏はこの薬を猫猫に塗らせる。部屋では、水蓮あたりに塗らせているのだろうか。

猫猫だったら、こそばゆくて自分でやったほうが絶対いいのに。

そういうのは 上流階級(ハイソ) だからだろうか。

「どこへ行っていた?」

「……阿多さまの元へ」

どうせ、馬閃が吐かされるだろうと、猫猫は素直に言った。

「……では」

「ええ、いらっしゃいました」

では、のあとに何が続くか想像がついた。だから、固有名詞を入れなくとも、壬氏は理解したようだ。

「いろいろと大変なようですね」

ねぎらいつつも、無関係と猫猫は強調する。

「ああ。あちらが色々考えているようでな」

あちらとは、里樹妃の実家のことを言っているのだろうか。

話を聞くに、子の一族と似て非なる構造をしているのが、里樹妃の一族のようだ。『卯』と一文字もらっている。

たしか、干支の一文字を貰った一族は、この国が興った際の忠臣たちの子孫だと聞く。つまり、高順たち馬の一族と同じ位古い一族ということだ。

子の一族がなくなった今、自分を大きく見せようとするのはわかる。もう一人、自分の娘を入内させて寵を得ようとする、それもわかる。皇帝の好みではない上級妃を、壬氏の元へと下賜する話がいくのもわからなくもない。

ただ、気になるのが。

(どうして、娘の命を狙うのか?)

いや、それは里樹妃が言い出したことだ。間違いである可能性も高い。

でも、実際、妃は襲われた。

別の手の者か。

それとも。

あともう一つ。

なぜ、里樹妃はあれほど父親に疎まれているのかということ。

先帝の元に嫁がされた件については、もうご愁傷様としか言えない。 幼女趣味(ロリコン) の先帝の趣味を知っていたら、若い娘を入れるのはわかるが、当時、先帝は病に倒れていた。

そんなところに入れたところで、御手付きになる可能性などほとんどない。

まだ、政治の道具としてなら使い道があっただろうに。

「おい、何を考え込んでいる」

壬氏が怪訝に猫猫を見る。

(いかん、いかん)

この件は猫猫には関係ない。

首をつっこむのは野暮というもの。

だが。

「……一つ、質問なのですが」

「なんだ?」

今更、思うことがあった。

「阿多さまについて、あの御方はずいぶん合理的な性格のようですね」

皇帝を弟のように思いながらも指南役として徹した様子や、壬氏と里樹妃の件についてすぐさま話をすすめるなど。

猫猫にとっては、やりやすい相手だが、人によっては理解しがたい部分もあろう。

そんな人が、なぜ数多いた当時の後宮の中で、里樹妃を庇う真似をしていたのかということである。他にも、同じような理由で後宮に連れてこられた娘もおろうに、それらすべてを庇う真似は、東宮妃というだけではわきまえていないことになる。

それから考えられることは一つだ。

「元々、里樹妃と阿多さまはお知り合いだったのですか?」

「察しがいいな」

壬氏は少しばつが悪そうな顔をした。

「阿多殿と里樹妃の母上は、友人だった」

「ほうほう」

「そして、今上も友人だった」

「……」

今上、皇帝も友人となると、「ふふん?」と疑問がわいてくる。

下衆で野暮な考えというものは、人間の根底に根付いているもので、同性間の友人は気にならないが、異性間だと話が違ってくる。

ましてや、相手は国の頂点におわす御方。

猫猫の表情を読み取ったのか、壬氏は聞きづらいことを口にしてくれる。

「当時、阿多殿に次の子は望めなかった」

そして、当時の帝は病に臥しており、東宮だった今上に他に妃はいなかった。

「女帝は、なにやら卯の一族に話を持ちかけていたと聞く。たびたび、女帝の手引きにて、当時の今上の宮に妃の母は呼ばれた」

当時、 卯柳(ウリュウ) という夫がいたものの、所詮、親戚筋からもらった婿だった。余所に妾を作り、子を作り、卯の本家としては、他に考えることもあったという。

猫猫は、耳をおさえたくなったが残念なことに、それに感づいた壬氏におさえられていた。壬氏の声は、猫猫だけに聞こえるように、耳元でささやかれる。香と軟膏の匂いがまじり、独特の香りが鼻をくすぐる。

「それは、私のようなものが聞いていい話でしょうか?」

「噂だ。実証はない」

だが、その噂というものは、信じる者にとっては真実に他ならない。ましてや、その近辺にいるものとあれば、なおのこと性質が悪い。

「里樹妃は知っているのですか?」

「教えるのは酷だろう」

先ほどの疑問の答えがわかった。

なぜ、里樹妃が父からないがしろにされるのか。

ふつふつと腹が立ってきた。

(面倒くさい野郎)

なんて小さな男だろう。

自分は余所で子を作っておきながら、妻は駄目だというのか。

噂が真実かどうかなんて、猫猫にはわからない。

阿多が里樹妃を皇帝にすすめていたのは、噂が嘘だということか、それとも噂を知らないだけだろうか。

皇帝が里樹妃との夜伽を好まないのは、噂が真実だということか。

ならば、壬氏との婚約はどうなると考えるが、お偉い方の婚姻関係に近親婚はつきものだ。別姓ならば、叔父姪だろうが異母兄妹だろうが問題はない。

ただ、何も知らずなすがままにされる里樹妃だけが哀れだった。

「何を考えている?」

「近いです、壬氏さま」

壬氏の唇はまだ猫猫の耳元にあった。

薔薇茶の匂いがまだ香っている。

「何を考えている?」

「……里樹妃により良い 将来(さき) を」

幸せにするとは言わない。

そんなの猫猫の領分をこえている。

「壬氏さま、里樹妃を大切にしてあげてください」

「……今、目の前にある頭を鷲掴みにして、壁に打ち付けたくなる衝動に駆られている」

壬氏の声に深い怒気が混じっていた。それでもって猫猫の髪は、抜けんばかりに壬氏の手に掴まれている。

「折檻であれば、切り傷のほうがよろしいかと。致命傷は避けてもらいたいですが」

切り傷なら、今試している薬がある。打撲よりそっちのほうがいい。

「その切り返しは新しいな」

「壬氏さまこそ、返しが早くなりましたね」

いつもなら、ひと段落、肩を落としているところだ。少し手ごわくなっただろうか。

「埒があかぬと学習した」

そう言って、壬氏は猫猫の髪を掴んだまま、壁際に追いやった。そのまま、本当に打ち付けられるのか、と目を瞑る。

しかし、頭が壁にぶつけられることはなかった。

髪を下にぐいっと引っ張られ、顔を仰向けにされる。

そして、唇になにかが触れた。

柔らかい薔薇茶の呼気が猫猫の中に入ってきた。ほんの刹那の出来事で、目を開けると、上に向けられた姿勢は元に戻され、壬氏は背中を向けていた。

「……」

猫猫は無言でその背中を見る。

壬氏は振り返ることなく覆面を被り、薬屋の戸を開ける。

「おい、帰るぞ」

「壬氏さま」

「な、なんだ?」

覆面をしているので、どんな顔をしているのかわからない。

「軟膏を忘れないようにお願いします」

猫猫は薬を布で包み、壬氏に渡す。壬氏は奪うように受け取ると、薬屋を出た。

外には、お説教を食らったのか疲れた顔をした馬閃と、怒った側なのにさらに疲れた顔をした高順がいた。

三人が帰ったのを見届けると、猫猫は戸を閉めて、ふうっと息を吐いた。

唇を指先で拭うように、滑らせる。

「面倒くさい」

先ほどの言葉を訂正しよう。

かなり手ごわくなった。