軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピローグ 狂乱の刻(後編)

日が落ちた頃、アレスはアースガルド家の調査報告という名目で、自身の執務室に7名の配下を呼び寄せた。

配下を集める理由は何でも構わなかったが、口実だけは事前に作っていたのだ。指示があるまでは報告書を提出するなと、彼らに言い含めたのはアレス自身だった。

「レスターよ、第一図書館で怪しい動きをしている者はいたか?」

王宮には複数の図書館があり、本の種類別に蔵書されている。

第一図書館に収められるものは国内の文化、風習などの歴史に関するものと、各地の掟や法律などの法学書だ。そしてレスターが所属する法務部は、王城の第一図書館に併設されている。

判例や先例を調べるために、法務官は図書館を利用することが多く、司書の機能も法務部に一部移譲されているため、彼が行動しても不自然にはならなかった。

「同僚にも探りを入れましたが、目立った動きはございませんでした」

「そうか」

レスターは呼び出されるまでの間に調査を済ませていたが、特別な動きをしていた人間はどこにもいない。

館内に限れば至って平穏で、普段通りの動きしか確認されていなかったのだ。

「この段階で、どこにも動きが無いということは……やはり今か」

推測が 中(あた) らずとも遠からずと判断し、アレスは口の端を釣り上げる。

だが指示の意図が分からないレスターは、その笑みにどんな意味が含まれているのかも分からず、考え込んだアレスに戸惑っていた。

「殿下、どうなされましたか?」

「いや、大儀である」

適当に返答したアレスは彼らを率いて、図書館に向かう。

真っ暗闇になった城内を、多少遠回りでも目立たない道順で歩んでいった。

「斧の用意はいいな」

「館内に隠してはございますが、何にお使いになるのですか?」

「すぐに分かる」

渡り廊下を通って目的地に辿り着くと、入り口に3人の歩哨だけを残して、彼らは無人の室内を進んだ。

見張りを事前に遠ざけていたため、行く手を阻む者はいない。

そのまま図書館の最奥部まで到達したアレスは、古ぼけた書架の間に挟まれた、鋼鉄の扉の前で足を止めた。

「ここか」

鋼鉄の扉は3つの錠前で閉じられた上に、鎖まで掛けられていた。

また、王城の床は基本的に石材だが、この場所は入口を中心として半円状に床材が変わっており、鏡面になるほど磨かれた大理石が敷かれている。

開口部の前面には年代物の赤い絨毯が続き、館内の雰囲気からは浮いている場所だ。

「侵入された形跡は無さそうだな」

アレスは鎖や錠前、鍵穴を軽く調べたが、特に異変は見当たらなかった。

手にしたランプで床を照らしても、周囲の埃は均一に積もっている。

「ならば、始めるとしよう」

「始めるとは……まさか」

レスターが持ち込んだ斧を、アレスは無言のまま配下たちの腕に押し付けた。

武器を配り終えると、その視線は再び、厳重に閉ざされた扉に向く。

「そのまさかだ、上階に続く道を開け」

「殿下。これより先には、我々の権限では進めません」

状況から薄々察していたが、レスターはアレスの命令に動揺した。そこは機密文書のみが保管された、立ち入り禁止区域だからだ。

内部には代々の王族が犯した失策や、外交の裏側、その他の密約文書が主に収められている。

失伝すると不利益があるため処分はできないが、明るみにもできない文書の数々――それらが管理された書架が、扉の先に存在していた。

「正規の手続きを踏まずに、王太子でもない私が入ることは 能(あた) わぬか」

「恐れながら、左様でございます」

ここは次代の王が、周辺国家との間に起きた事件を学ぶための場所だ。

世間に知られている事実とは異なる、真の歴史を知るための、開かずの間でもある。

そしてアレスは王太子に指名されていないため、入室は当然許されない。

王位継承の儀式でもない限りは、この扉は閉ざされたままだ。

「だが、知ったことではないな」

それらの決まり事は先刻承知の上だ。

全てを理解した上で、彼はここに来た。

「何のために斧を用意させたと思っている。鎖と錠前を、扉ごと叩き壊せ」

「殿下、お止めください」

機密が封ぜられた書庫の扉を無許可で打ち破るなどと、正気の沙汰ではない。

第一王子であろうとも、重責に問われる可能性が高い暴挙だ。

「陛下がお知りになれば、如何なる処罰があるかも分かりません」

「何も言うな。これは国のためだ」

レスターの諫言は真っ当だが、アレスは忠告を聞き入れるつもりなど毛頭なかった。

この作戦は既定路線であり、変更の余地など残してはいないからだ。

「全責任は私が取る。構わん、やれ」

その言葉には取り付く島もない。

これ以上の反論は受け付けないという意思表示も込めて、アレスは強く命じた。

「こうまでする真意を、お話しいただくわけには参りませんか?」

「今は語る時期ではない。私に忠義を尽くすと言うなら、今はただ信じよ」

これは宝物庫破りや、墓荒らしに近い命令だ。集められた面々は顔を見合わせたが、アレスが頑として折れなかったため、抵抗はそれほど長く続かなかった。

交代で扉を破壊することが決まり、最初の2人が意を決して斧を振りかぶる。

「で、では」

「ご無礼を!」

重厚な扉から甲高い破砕音が響き、王家の機密を守る最後の砦が崩れ始めた。

アレスは後方で一人、その作業を見ながら思案を続ける。

「これで良い。この選択に間違いは無いはずだ」

王国暦500年6月以降、アレスは一つの疑問を抱えていた。

それはアクリュースが、 どの時点で(・・・・・) 禁術の発動方法を知ったのかだ。

第一王子のアレスですら、時を超える秘術の詳細など知らない。

精密な陣の描き方を始めとした時渡りの起動方法を、いつ、どこでアクリュースが入手したのかは、解決すべき疑問だった。

「仔細を記した禁書の保管場所は、ここに違いあるまい」

例えば 人身御供(ひとみごくう) を用いた雨乞いの記録などは、第一図書館の書架を探せば見つかる。

しかし再発を防ぐために、具体的な手順を記した書物は残されていない。

生贄を伴う儀式は禁術と呼ばれるようになり、現在では禁止されているのだ。中でも王族が主導したものは、求心力の低下を防ぐために秘蔵されている。

そのため禁術に指定された、時渡りの在りかについては、第一図書館の最奥部である可能性が非常に高かった。

「だがここには、外部に流出すれば損害の大きい情報が集まっている。第一王女のアクリュースであろうとも、門前払いだろう」

ましてや死亡を偽装している人間が、自由に入れるはずもなかった。

そしてここは警備が厳しい王宮でも、とりわけ厳格な場所だ。体制に口を出せる立場にいなければ、ここまで手勢を侵入させることすら難しい。

「それに鍵は父上と司書長、法務長官が分散保管している。手勢に命じて同時に盗むことも、現実的ではない」

一つでも盗難が発覚した時点で厳戒態勢が敷かれ、錠前も交換される決まりだ。

正攻法では中に入れず、王宮の警備を搔い潜っての潜入も難度が高い。術の詳細を記した書物を奪い去ることは、一見して不可能だった。

だからこそ、時期についても目星はつく。

逆説的に考えれば、侵入可能な期間が限られているからだ。

「私の暗殺に成功した直後。それ以外には無い」

アレスの暗殺後は国王が心労に倒れ、宰相が事態の収拾に当たっていた。

その時期は体制が非常に不安定であり、混乱に乗じて配下を忍び込ませるのは、平時と比べれば容易いことだ。

つまり時渡りの術を記した禁書は、目前の立ち入り禁止区域にある。

同時に、アクリュースが禁書を入手する時期も、今日から2週間以内と計算できる。

結末から逆算したこれらの経緯は、どれも確度が高いものだ。

そして最後にもう一つ、アレスには確信していることがある。

「現時点のアクリュースは儀式の詳細を知らず、術を発動できない。もしくは存在そのものを知らないのだろう」

西侯と北侯の激突で大量の死傷者が出ているのだから、遅くとも半年前には試行できたはずだ。

わざわざ2年近くも待ち、決戦が間近になってから、アースガルド領で試す理由など無い。

また、王の最有力候補であるアレスとて、書庫の中身は最低限しか把握していないのだ。

原始的で眉唾物とされる禁術の中に、本物の魔法が隠されていると伝え聞いた人間。その数は五指に収まるが、アクリュースは確実に除外される。

前提条件の全てを彼の立場から精査すると、図書館が狙われた理由まで明白となった。

「保管された機密文書が目当てであり、禁術を目的にしていたわけではない。これが答えだ」

表沙汰にできない王家の弱みを握れば、反乱が失敗した際には保険となる。

膠着状態に陥った場合にも、停戦交渉を有利に進める外交材料にできる。

「そちらは、いずれ切り札となるだろう。一方で禁術の方はどうだ」

クレインに術が掛かった際の発言を統合するに、王家が秘した術への信頼度は高い。

だが発動するかどうかは分からない、お守りという認識なのだ。

であれば術の確保を主目的として、手勢を送り込んだとは考えられなかった。

王宮への侵入、裏工作という絶大なリスクと――保険の 呪(まじな) い。

この二つを天秤に掛けるだけの価値が無いからだ。

「安全策を入手するために、破滅の危険を冒す女ではない。ここで博打を打つくらいならば、検問を張られる前に逃げた方がよほど安全だ」

クレインは致命傷となり得る「術の再発動」にばかり目が行っていたが、アレスからすると前後関係や 主客(しゅかく) は全くの真逆だ。

彼女の狙いはあくまで秘匿された王家の弱みであり、それらを奪取した際に、偶然に時渡りの情報が混じっていたのだろう。

以上が、彼の下した結論だった。

「今となっては、どうでもいいことだがな」

「殿下、今ならまだ」

「引き返せるわけがあるまい。続けろ」

鋼鉄の扉がひしゃげて 軋(きし) んでいくと共に、レスターたちは青い顔になっていった。

そして再度の諫言を聞き流したアレスは、書庫の扉を睨みつける。

「持ち去られていないのならば、必ずここにあるはずだ」

1年半も考え抜いた、彼の最大の作戦。大罪を犯すと知りつつ、それでも実行されたこの作戦の真意とは。

それはこの場で、自らが書庫を破り――時渡りの術を確保して――敵に渡さないことにある。

「禁書さえ入手すれば、もう恐れるものは無い」

一つ目の錠前を破壊して、残りにも破損個所が増えている。鎖はまだ手付かずだが、30分もあれば確保できるところまで到達していた。

このままいけば敗北条件が消えるどころか、勝利確定の状態に手が届く。

そう信じて作業を見守っていたアレスだが、二つ目の錠前が壊れる前に、図書館の入口を見張らせていたうちの一人が駆け込んできた。

「殿下、何者かがこちらへ向かってきます」

「何?」

見張り役として入口に立った騎士は、異音を聞きつけた見回りかとも思った。しかし近づいてくるのは文官服を着た集団で、身のこなしが異様に鋭い。

軽く、音も無く近づいてくる足取りからして、相当の使い手と判断した。だから彼は 誰何(すいか) もせずに引き返し、主君に危急を伝えている。

「王宮内で仕掛けてくるか。では図書館の扉を固く閉じ、椅子で蓋をしろ」

「既に取り掛かっておりますが、侵入口は他にもございます。ここでは防戦できません」

隣接した法務部を経由する道や、上階から伝って入る方法もある。

この場所は守りに向いた作りをしていないが、しかしアレスからすれば、多少の時間を稼げれば十分だった。

「ならば2分だけ稼げ。避難用の脱出路を開く」

「御意」

王宮の各所には、緊急時の脱出通路がいくつも張り巡らされており、それは第一図書館にも用意されている。

書架の中に隠されていた、避難通路を開くための仕掛けを片手で操作しながら、アレスは深い溜息を吐いた。

「宮中に暗殺者を潜ませていた上に、この早さで決断できるほどの手練れか。まったく、敵ばかり有能で嫌になるな」

図書館からの人払いを徹底した結果、図らずも暗殺された際と似た条件は作られていた。

王宮内で行動に移せば敵もリスクを背負うが、数人の間者と雇い主を捨て駒にして、第一王子を始末できるなら安いものだ。

誘い出しただけでは飽き足らず、隙を見せた瞬間に殺す用意もあったのだろう。

そうとは理解したが、それだけだ。綿密なシミュレーションを重ねてきたアレスに、焦りや動揺はなかった。

「これも想定済みではあった。予想していた可能性の一つでしかない」

結局のところ、アレスが生きてここまで到達した時点で、既に彼の――彼らの――決定的な敗北は消えている。

どれほど悪くとも、ここからでは互角以上にしかならなかった。

何故なら彼の手には、たった一つ。即座に効果を発揮する対抗手段が残されているからだ。

「そうだ。常識的な思考や策、正常な精神状態で奴らの上を行けるものか」

アレスとしても、これは最後の手と捉えていた。

だが、現実的に使う未来も見えていた。

敵が強大で 強(したた) かだと知るがゆえに、己の才覚で対処できる相手ではないことも自覚していたからだ。

「まともな私で勝てないならば、今一度、いざ狂おう。弟たちが殺された、あの日のように」

己の能力と分を超えた、常識外れの一手を打つ必要がある。

どこかでは必ず、その決断を求められると確信していた。

「誰からも脅威と見られなかった第一王子に、今さら名誉や尊厳なども不要だ。友が背負ってきたものと比べれば、王太子の肩書にいかほどの重みがあろうか」

自問をする遥か前から、答えは定まっている。

アレスは迷いなく歩き始め、最後の手段を実行に移した。

「お前は領地を守るために、この手段を採った頃だろう。ならば私は攻勢のために、この手段を採る」

彼の 手元(・・) には切り札がある。王太子になる道が閉ざされるかもしれない、禁断の鬼札だ。

それでも、それを使うことに躊躇は無かった。

「見よ、アクリュース。王都のどこかにいるならば、貴様からも見えるはずだ。この反撃の狼煙が」

退路を確保したアレスは、未だ破られていない扉の傍らに立った。

そして彼は、手にしたランプの灯で、扉の付近にある書架に火を放つ。

「で、殿下! 何をなされます!」

「手に入らないのなら、処分してしまえ……ということだ」

このまま逃げたところで、目前に迫った刺客が情報を奪取していくだろう。

敵の手に渡るくらいならば、図書館ごと、王城ごと 焚書(ふんしょ) を決行する。

それがアレスの打ち立てた反攻策だった。

「王家の機密も秘蔵の禁書も。何一つたりとて貴様らに渡しては、やらぬ」

彼は眼前の書架に火が燃え移ったのを確認してから、別の棚にも次々と火を放っていき、仕上げにランプを叩きつけた。

飛び散る油に引火して、急速に広がった火の手が、暗い館内を 煌々(こうこう) と照らし上げていく。

「これで貴様が術の存在を知る時は、未来永劫に訪れない」

王家の弱みが敵方に渡らなければ、敵が想定した決着方法を潰すことができる。

この場で術が失われれば、アクリュースが新たに術を発動させることも二度と無くなる。

「どんな気分だ? 数年かけて積み上げた緻密な謀略が、今から半日と経たず 灰燼(かいじん) に 帰(き) すぞ」

彼らが抱えた、たった一つの不安要素。王女が術を再発動させ、無力だった頃のクレインを謀殺しにかかるという懸念。

それは現時刻を以って、時空を遡る神の御業ごと、この世から消滅する。

「く、くく、うふっ、うははははは!! ふははははははは!!」

王宮の施設に火を放ち、500年をかけて蓄えた機密の大半を、アレスの独断で処分するのだ。

国王がこの事実を知れば、実の息子の始末を含めた、重罰を検討しなくてはならない。

己の未来を閉ざす暴挙を実行したにもかかわらず、それでもアレスは高らかに笑っていた。

「ははっ、燃えろ、燃えてしまえ! 炎に巻かれ、全て灰と消えよ!」

乾いた古書はよく燃える。消火が遅れれば図書館の全焼に留まらず、最悪の場合は王城が消滅するほどの大火災となるだろう。

これから起きる惨状を想像して、側近たちは顔面蒼白になっていた。

「で、殿下」

「な、なんという、ことを……」

唯一アレスだけが、火炎の前に両手を翳し喝采を叫んでいる。

彼は顔を紅潮させ、目を 爛爛(らんらん) と輝かせ、生涯最高の瞬間に昂っていた。

「くく、ふふっ。笑いが抑えられんな、これは」

今以上、これ以上に愉快なことが、これまでの人生に何度あっただろうか。

深く考えるまでもなく、この火遊びこそが、彼の生涯で最も楽しい出来事だった。

「いつまた悪用する者が現れるとも限らん。このような力など、人の世に存在すべきではないわ」

敵の目論見を粉々に打ち砕き、全勢力を出し抜いた愉悦を胸にして、アレスはマントを翻す。

作戦を完遂した彼は、既に次の行動を見据えていた。

「何を呆けている、レスター。外に馬の用意はできているのだろう」

「できては、おりますが……」

「ならば脱出するぞ。手筈通りにな」

広がる炎を背にして、高らかに笑いながら脱出路へ向かうアレスの姿は、その場の誰が見ても狂乱したとしか思えないものだ。

しかし怨敵に一撃を入れたアレスは、不敵ながらも晴れやかな顔をしていた。