軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

93.奇跡を呼ぶ職人

OTK商会での買い物を終え、ソフィアとエスメラルダは再びヴォルグ家の豪奢な馬車に揺られていた。

窓の外には、帝都の活気ある街並みが夕暮れの柔らかな光に染まりつつある。

馬車の車輪が石畳を叩くリズミカルな音が、車内に心地よく響いていた。

車内には、先ほどの魔導レジスターを修理した一件の余韻が残っている。

エスメラルダはソフィアの華奢な手を両手で優しく包み込んだまま、ふと不思議そうな顔をして小首を傾げた。

「ソフィアちゃん。貴女、あれほど見事な腕前があるのなら、ご自分で魔道具屋を開いた方がよほど儲かるのではないかしら。最新式の複雑な魔道具をあのように一瞬で直してしまうのですもの、商会を立ち上げれば帝都の富を独占できるはずですわ」

公爵家の女主人らしい、現実的で規模の大きな提案であった。

しかし、ソフィアはエスメラルダの言葉に、迷うことなくゆっくりと首を横に振る。

「もったいないお言葉ですが、私はあくまで魔法杖職人ですから。魔道具の修理は、ほんのお手伝いのようなものですわ」

「あくまで杖にこだわる、特別な理由があるのね」

「はい。……魔法杖は、私ととてもよく似ているのです」

ソフィアは自身の膝の上で、空いている方の手をそっと握りしめた。

生まれつき魔力を持たず、辺境の村で無能と蔑まれてきた自分自身を、ただの木の枝や鉱石に重ね合わせているのだ。

「杖は、それ単体では魔法を使うことも、自ら動くこともできません。一人では何もできない、ただの不器用な素材の塊です。でも、持ち主の魔力と合わさることで、誰かのために生きて、素晴らしい奇跡を起こすことができます」

ソフィアの澄んだ瞳に、職人としての確かな矜持と深い愛情が宿る。

「私は、そんな愛おしい杖たちのために、自分の技術を使いたいのです。誰かの助けになりたいと願う杖に、最高の持ち主と出会うための道を作ってあげたいですから」

「まあ、まあ。なんと愛おしいお考えなのっ」

エスメラルダはひどく感動した様子で、ソフィアの肩をきつく抱きしめた。

そして、愛おしい娘を慈しむように、その柔らかな緋色の髪を何度も優しく撫で回すのだった。

「よし、よし、よし。本当に、心まで美しい子ですわね」

「ふふっ。お義母様にそう言っていただけて、嬉しいです」

ソフィアは照れくさそうに笑いながら、エスメラルダの温もりに身を委ねていた。

しかし、ふとある現実に思い至り、サッと血の気を引かせて顔を青ざめさせる。

「あ、あの。エスメラルダ様。私、遅まきながら気づいてしまったのですが」

「どうしましたの。どこかお加減でも悪くて」

「わ、私。ギルさんと結婚して貴族の妻となったら、家庭に入らなければならないのでしょうか」

大貴族の妻といえば、夜会を取り仕切り、領地の運営を支え、使用人たちを束ねるのが仕事である。

平民のように自らの足で工房に立ち、泥や油にまみれて働くなど、もってのほかだというイメージがソフィアの中にはあった。

「貴族の女となるということは、もう職人として働けないということでしょうか。せっかくお義母様に認めていただけたのに、私、工房を閉めなければならないのですね」

せっかく見つけた自分の居場所を失ってしまうかもしれない。

ソフィアがしょんぼりと肩を落として俯くと、エスメラルダはくすくすと上品に笑い声を上げた。

「何を勘違いしているのかと思えば。そのような古いしきたりの家もありますけれど、ヴォルグ家は違いますわ。ソフィアちゃんが働いても、何の問題もありませんのよ」

「えっ。そう、なのですか」

「ええ。それに、そもそもギル坊は次期当主ではありませんからね」

エスメラルダは扇子を広げ、優雅に口元を隠して微笑んだ。

「あの子には優秀な兄がおりますから。長男がヴォルグを継いで領地の経営をしておりますし、次男は他国で学問を修めております。ですから、末っ子のギル坊が当主になることはありませんの。だからこそ、軍に身を置いて自由に生きているのです。貴女も、今のまま自由に工房を続けて構いませんわ」

「なるほど。そうだったのですね。安心いたしましたっ」

ソフィアは心底ほっとしたように、豊満な胸を撫で下ろした。

これからも愛する杖づくりを続けられると分かり、ぱぁっと表情が明るく花開く。

「少し、おしゃべりをしすぎましたわね。お屋敷に戻る前に、どこかでお茶にしませんこと」

「はいっ。よろしければ、私がよく行く美味しい喫茶店があるのですが」

馬車が向かった先は、帝都の貴族街の入り口にある高級喫茶『白銀の猫』であった。

白を基調とした洗練された外観と、静かで落ち着いた内装が人気の店である。

カラン、と上品なベルの音を響かせて店内に入ると、芳醇な紅茶の香りが鼻をくすぐった。

二人が店内の奥にあるゆったりとした席に案内されたときだった。

ソフィアは、店内の隅で店主と何やら頭を下げて話し込んでいる、見覚えのある青年の姿に気がついた。

「あ。お久しぶりです」

「ん。あああっ。ソフィア様ではありませんかっ」

ソフィアが控えめに声をかけると、青年は弾かれたように振り返り、深々と頭を下げた。

彼は以前、王宮の厨房で働いていたお菓子職人のディッシュである。

ソフィアが彼の作った焼き菓子の味を絶賛し、それがきっかけで彼は王宮を辞めて独立を決意したのだった。

「確か、ご自身の店を出して独立されたはずでは。なぜこのような場所へ」

「はい、帝都の片隅で小さな店をやっております。ですが、まだ知名度が低くてあまり儲かっておらず。こうしてあちこちの喫茶店に、自分のケーキを置いてもらえないかと卸売りの営業に回っているところなのです」

ディッシュは少しだけ恥ずかしそうに、持っていた大きな保冷鞄を見せた。

一流の腕を持ちながらも、商売の厳しさに直面し、地道な努力を続けているようだった。

「なるほど。ご苦労されているのですね」

ソフィアが同情するように頷いていると、隣に座るエスメラルダがいぶかしげな視線を向けた。

「ソフィアちゃん。その男性は、どなたかしら」

「あ、はい。以前お世話になった、とても腕の良いお菓子職人さんですわ」

ソフィアの紹介に対し、エスメラルダは「ふぅん」と興味なさそうに鼻を鳴らした。

どこの馬の骨とも知れない平民の男など、帝国の女傑にとっては道端の石ころと同義である。

扇子で顔を隠し、早く席に座ってお茶を飲みましょうと促すような冷淡な態度を見せた。

「は、はじめまして。私、『緋色の妖精』という小さな菓子店を営んでおります、ディッシュと申します」

ディッシュは相手が只者ではない大貴族だと察し、緊張で声を震わせながら名乗った。

その言葉を聞いた瞬間、エスメラルダの動きがぴたりと止まる。

「……緋色の妖精。まあ、なんて素敵な名前なのかしら」

冷ややかだった女傑の態度が、一瞬にして豹変した。

閉じていた扇子を勢いよく開き、ディッシュを食い入るように見つめる。

「はいっ。私に自信を与えてくださった、ソフィア様の美しい髪色から取らせていただきました。私の恩人の名前なのです」

エスメラルダの瞳の奥で、星が弾けるような効果音が鳴った気がした。

彼女の周囲に、再び先ほどのふんわりとした桃色のオーラが猛烈な勢いで噴出し始める。

「なるほど。それは素晴らしい由来ですわね。ねえディッシュとやら、わたくしたちにもそのケーキを注文してもよろしくて」

「は、はいっ。もちろんでございますっ」

ディッシュが慌てて保冷鞄から取り出したのは、美しい緋色の果実がふんだんに使われたタルトだった。

エスメラルダはフォークを手に取り、上品に一口だけ口に運ぶ。

果実の爽やかな酸味と、上品な甘さのクリームが口の中で見事に調和していた。

王宮で腕を磨いただけあって、その味は帝都の一流店にも引けを取らない確かなものである。

「うむ。よろしい。味も申し分ありませんわ」

エスメラルダは満足そうに頷き、ナプキンで口元を拭った。

そして、帝国の未来を決めるような厳かな声で、とんでもないことを宣言する。

「ディッシュとやら。わたくしが貴方に、出資してあげますわ。資金はいくらでも用意しますから、『緋色の妖精』を帝国で一番の店に大きくしなさい」

「ええええっ」

ソフィアとディッシュの声が、見事に重なった。

あまりにも唐突すぎる巨額の投資宣言に、周囲の客たちも何事かと視線を向けている。

「な、なんでですかっ。お義母様、いくらなんでも唐突すぎますわっ」

「決まっているでしょう」

ソフィアが慌てて止めるが、エスメラルダはまったく悪びれる様子もなく胸を張った。

「可愛いソフィアちゃんの、可愛い可愛いあだ名がついたお店を。帝都中の、いいえ、世界中のたくさんの人々に知ってほしいからですわっ」

「お、お義母様っ」

またしても、エスメラルダの義母バカが大爆発してしまった。

ソフィアという存在が絡むと、この恐ろしい女傑は思考回路がすべて甘やかしに全振りされてしまうらしい。

「ソ、ソフィア様、ありがとうございますっ。まさか大貴族様とのコネクションを作ってくださるなんてっ。一生ついていきますっ」

ディッシュは感動のあまり大粒の涙を流し、ソフィアに向かって何度も深く頭を下げた。

「えええ。私、本当に何もしていないのですけれどっ」

ソフィアは完全に困惑し、助けを求めるように視線を彷徨わせた。

しかし、自分の些細な行動が巡り巡って、頑張っている職人の未来を大きく開いたのは事実である。

(何もしていないけれど。でも、彼が喜んでくれて嬉しいですわ)

ソフィアは諦めたように息を吐き、最後には上品な微笑みを浮かべた。

美味しいケーキと、温かな人々の繋がりに囲まれながら。

彼女の無自覚な愛され力は、今日も帝都のどこかで誰かの人生に奇跡を起こしているのだった。