軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

78.どきどきの同棲

皇城での対策会議から数時間後。

フクロウ亭の奥にあるソフィアの居住スペースに、大きな荷物を抱えたギルバートが姿を現した。

彼は大きなトランクを床に置くと、真っ直ぐな眼差しでソフィアを見つめた。

「フィー。今日からよろしく頼む」

「よ、よろしく……お願いします」

真面目な顔で告げられた言葉に、ソフィアは顔を真っ赤にして幻の尻尾をパタパタと激しく振った。

皇太子からの二十四時間体制での護衛という勅命。それはつまり、ソフィアの生活空間にギルバートがずっと入り浸るということである。

作業台に向かおうとするものの、すぐ後ろのソファに大好きな恋人が座っていると思うと、心臓が早鐘を打ってどうにかなりそうだった。

手元の彫刻刀を動かそうとしても、指先が震えて狙った場所に刃が当たらない。

カンッ、と硬い霊脈石の表面で刃が空回りし、甲高い音が響いた。

(無理無理無理っ。ギルさんと一つ屋根の下なんて、刺激が強すぎますっ)

限界を迎えたソフィアは、勢いよく作業椅子から立ち上がった。

そのままバタバタと足音を立てて居住区を飛び出し、店舗へ移動。魔導電話で、兄のジュリアンにすがりつく。

「お兄ちゃんっ。助けてっ」

『どうしたんだい、フィア。そんなに慌てて』

ジュリアンは優しく尋ねる。

「ギルさんがっ。ずっといるのっ。私のお部屋にお泊まりするのっ」

『ああ。私も皇太子殿下から話は聞いているよ』

「お兄ちゃんからも、駄目だって言ってっ。いくら護衛でも、女の子の部屋にずっと男の人がいるなんてっ」

普段は重度のシスコンであるジュリアンだ。愛する妹の部屋に男が入り浸るなど、絶対に猛反対してくれるはずだとソフィアは期待していた。

しかし、ジュリアンの反応は意外なほど冷静であった。

『駄目とは言えないな』

「ええっ」

『フィア。君は今回、魔族の暗殺者に命を狙われたんだ。命には代えられないだろう』

ジュリアンはソフィアの肩に手を置き、静かに諭す。

『それに、ギルバートほど実力があり、かつ信用できる男は他にいないからね。彼なら、自分の命に代えても君を守り抜くはずだ。兄としても、これほど心強い護衛はない』

「それは、そうだけど……でも」

『安心しなさい。もし彼が君に不純な指一本でも触れようものなら、即座に 銀鳳(ぎんおう) 商会の全権力を行使して、彼を物理的かつ社会的に抹殺する手筈は整えてあるからね』

ジュリアンはにっこりと、しかし目の奥に底知れない暗黒の炎を宿しながら笑った。

その本気の脅しに、ソフィアは背筋をゾクッと震わせた。

「ふえー……」

最後の味方にも見放され、ソフィアは顔を伏せて弱々しい声を漏らす。

これでもう、皇太子の勅命を覆す手立ては完全に失われてしまった。

夜の帳が帝都を包み込んだ頃。

フクロウ亭は店仕舞いを終え、静寂に包まれていた。

ソフィアの居住区では、同棲初日ならではの初々しい空気が充満している。

お風呂から上がったソフィアは、石鹸とローズの甘い香りを漂わせながら、薄手の部屋着姿でリビングへと姿を現した。

「あ、あの。お風呂、空きました」

「あ、ああ。すまない、すぐに入る」

ギルバートは目のやり場に困ったように視線を泳がせ、慌てて立ち上がる。

いつもは軍服やかっちりとした私服姿しか見ていないため、ソフィアの無防備な部屋着姿は彼の理性に対して極めて強力な一撃を与えていた。

ソフィアの方も、あまりの恥ずかしさにまともに彼の顔を見ることができない。

照れ隠しのために、ソフィアは強引に仕事の話を振ることにした。

「そ、そういえばっ。結界の杭の進捗なんですけどっ」

「ん? ああ」

仕事の話題が出ると、ギルバートの表情も自然と真面目な軍人の顔へと引き締まった。

二人はテーブルを挟んで向かい合い、結界装置の設計図と地図を広げる。

「予定通りなら、明日の夕方には『杭』の術式刻印がすべて完了します。次はこれを、隣国ゲータ・ニィガの奈落の森に設置しに行かないといけません」

「奈落の森か。魔族の襲撃があった今、移動ルートの安全確保が最優先事項だな」

ギルバートは地図上の国境付近を指先でなぞる。

「帝都からゲータ・ニィガへ向かう主要な街道は、すでに軍の手配で検問を強化させてある。だが、連中が空間転移を使ってくる以上、道中のどこで奇襲を受けるかわからない」

「どうすればいいですか?」

「俺が側を離れないのは当然として、移動手段は馬車ではなく、ファフニール殿の背を借りるのが最善だろう。上空からの高速移動なら、転移で待ち伏せされるリスクを大幅に減らせる」

ギルバートは的確な護衛の作戦やスケジュールを次々と提示していく。

その頼もしい姿を見ていると、ソフィアの胸の内にあった恥ずかしさは次第に薄れ、純粋な尊敬の念が膨らんでいった。

夜はさらに更けていく。

打ち合わせを終え、ギルバートが手早く入浴を済ませて戻ってきても、ソフィアは再び作業台に向かい、細かな魔力回路の調整を続けていた。

カリカリという彫刻刀の音が部屋に響く中、ふわりと温かい匂いが漂ってくる。

ギルバートがフクロウ亭の厨房を借りて、温かいポタージュスープを作ってきてくれたのだ。

「フィー。少し休憩しよう」

「あ、ありがとうございます」

コトリ、と木製のマグカップが作業台の端に置かれる。

「あまり根を詰めるなよ。君に倒れられたら、俺が護衛をしている意味がなくなってしまうからな」

優しく声をかけられ、ソフィアは幻の尻尾を小さく揺らした。

マグカップを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、彼女の指先がギルバートの大きな手にそっと触れ合う。

「あっ」

「す、すまない」

弾かれたように手を引っ込めたギルバートを見て、ソフィアはハッと息を呑んだ。

彼の端正な横顔をよく見ると、耳の先が真っ赤に染まっていたのだ。

今まで、照れくさくて見れていなかった、彼の 魔力(こころ) が、強ばっているのがわかった。

(ギルさんも、実はすごく緊張してるんだ……)

冷静で頼りになる彼も、自分と同じようにこの状況にドギマギしている。

その事実に気づいた瞬間、ソフィアの胸を占めていた過剰なドキドキは、ふんわりとした温かい『安心感』と『愛おしさ』へと変わっていった。

やがて、日付が変わる頃。

ソフィアは作業を終え、寝室のベッドへと潜り込んだ。

「フィー、おやすみ。何かあればすぐに呼んでくれ」

「はい。おやすみなさい、ギルさん」

ギルバートは寝室の扉をしっかりと閉め、自身は扉のすぐ外側にあるリビングのソファに毛布を敷いて横になった。

ジュリアンの脅しに関係なく、騎士としての節度を絶対に守るのが彼という男であった。

ソフィアは柔らかい布団に包まれながら、寝室の扉を見つめる。

壁のすぐ向こう側に、ギルバートの確かな気配と温もりを感じることができた。

(ギルさんが、すぐそこにいる。私を守ってくれている)

魔族に狙われているという恐怖は、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。

代わりに絶対的な安心感が全身を満たし、ソフィアは目を閉じて静かに深い眠りへと落ちていく。

一方、扉の外にいるギルバートは目を閉じていなかった。

暗闇の中で神経を研ぎ澄ませ、微かな音や魔力の流れの変化に警戒を続けている。

(俺がフィーを、何があっても守り抜く)

軍人としての強い決意を胸に刻み込む。

だがそれと同時に、愛する少女と同じ屋根の下で、こうして穏やかな夜を過ごしているという事実がたまらなく嬉しかった。

誰にも見られない暗闇の中で、氷炎の魔導士は少しだけ口元を綻ばせるのだった。