軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

51.夜明けの空と口づけ

東の空が白み始め、一番星がその輝きを失いつつある頃。

帝都の上空を、一筋の影が音もなく滑空していた。

ファフニールである。

彼女は振り返ることなく、朝焼けの中を去ろうとしていた。

「お待ちなさい、大師匠。挨拶もなしとは水臭い」

その行く手を遮るように、一人の老人がふわりと浮き上がった。

ガンダールヴルだ。

「……ふん」

ファフニールは足を止め、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

ガンダールヴルは苦笑し、師匠の顔を覗き込んだ。湿っぽいのが嫌いだから、挨拶をせずにさろうとしたのだろう。

「去るのですか。せっかく、素晴らしい『種』を見つけたというのに」

「…………」

ファフニールは答えず、地上を見下ろした。

そこには、結界が解け、寄り添う二人の姿があるはずだ。

「……ガンダールヴルよ。詫びねばならんな」

ぽつりと、ファフニールが呟いた。

「かつて、お前が自身の探求を止め、後進の育成に回ると言った時……余は失望し、お前を見限った。『才能の無駄遣いだ』とな」

「ええ。よく覚えていますよ」

現に、ガンダールヴルルはこの数十年、六大陸魔導教会、教会本部に出禁を食らっていたのだ。会いたくても、会えない日々がずっと続いていたのである。

それは当然と言えた。師匠の期待を裏切って、彼女の意思に反する道に進んだのだから。

「だが……余の間違いだった」

彼女は目を細めた。

「お前が撒いた種は……あんなにも見事な『才能の花』を咲かせておったわ」

それはソフィアのことでもあり、そして何より――彼女の「圧」に対し、技術ではなく「言葉(想い)」で対抗した、あの青年のことだった。

魔法使いとしての強さだけでなく、人を愛し、守り抜くという強さ。

それを育てたのは、間違いなくガンダールヴルの教育だ。

(初めてみた……大師匠が、己の言葉を撤回するところを。ほんと、ソフィア嬢……それに、ギルバート君。君たちはすごい子らだ)

ファフニールは懐から、一枚の「翡翠色の鱗」を取り出し、放った。

キラキラと回転しながら、それはガンダールヴルの手元へ収まる。

「あの小僧にくれてやれ。余の『鱗』だ。杖の素材にするなり、盾にするなり好きにせよ」

「……ご自分で渡されては?」

ガンダールヴルが問うと、ファフニールはバッと顔を背けた。

「うるさい」

「おや? もしや……気まずいのですかな? あんなに格好をつけて去った手前、戻りづらいと」

「…………」

図星らしい。

世界最強の古竜が、耳まで赤くして黙り込んでいる。

ガンダールヴルは「ふふふ」と肩を揺らした。

「会いたくなったら、いつでもいらしてください。あの子らも、歓迎するでしょう」

「……ふん。そうする。またな、バカ弟子」

「!」

またな、と彼女は言った。出禁を食らっている、というのに。それはつまり……。

出禁を解除する、そういうことだろう。

ガンダールヴルの目に涙が浮かぶ。今までと違って、これから……気軽に、師匠に会うことができる。

(ほんと……ありがとう、二人とも……)

「ええ。また会いましょう、先生」

ファフニールは翼をはためかせ、昇り始めた太陽の中へと溶けていった。

ガンダールヴルは、その背が見えなくなるまで、深く頭を下げていた。

一方、地上。

ファフニールの結界が解け、二人が戻ってきた場所は――DBホテルの屋上だった。

どうやら、結界の基点はこの場所だったらしい。

「……鍵、掛かってるな」

ギルバートが屋上のドアノブを回すが、ガチャガチャと虚しい音が響くだけだ。

早朝の屋上。当然、鍵は閉まっている。

人が来るまで、ここから降りることはできない。

「参ったな……。体が冷えてしまう」

ギルバートは自分の上着を脱ぎ、ソフィアの肩に掛けた。

嵐のような時間が過ぎ去り、静寂が訪れる。

二人きりの空間。

冷静になった途端、猛烈な気恥ずかしさが押し寄せてきた。

「…………」

「…………」

ソフィアは俯き、自分の爪先を見つめている。

ギルバートも、どこを見ていいのか分からない。

だが、ふとソフィアが口を尖らせ、上目遣いで彼を睨んだ。

「……ギルバートさん。今の、ノーカウントです」

「は? な、何がだ?」

「あんなの、告白じゃありません! ただの必死な絶叫です! 『人生をくれ』って……重すぎます!」

ソフィアは、むぅ、と頬を膨らませた。

「私、女の子なんですよ? もっとこう……あるでしょう!?」

「う……」

ギルバートは言葉に詰まった。

確かに、あそこまでなりふり構わず叫んだのは、人生で初めてだった。ロマンチックの欠片もない、魂の叫び。

言われてみれば、顔から火が出るほど恥ずかしい。

「……悪かった。余裕がなくてな」

ギルバートは頭を掻き、観念したように息を吐いた。

そして、改めてソフィアに向き直る。

「……ソフィア」

「……はい」

ちょうど、地平線から朝日が顔を出した。

世界が黄金色に染まり、夜の闇を払っていく。

その光の中で、ギルバートは優しくソフィアの肩を抱き寄せた。

「……君が好きだ。愛している」

今度は、落ち着いた、けれど熱の篭もった声で。

「俺と……付き合ってくれ」

真っ直ぐな言葉。

ソフィアの瞳に、朝日と、溢れる涙がキラキラと反射する。

彼女は、世界で一番幸せそうに微笑んだ。

「……はいっ!」

言葉はいらなかった。

二人の顔が近づく。

朝日の逆光の中、二つの影が一つに重なる。

触れ合う唇。

それは、長く苦しい夜が明け、新しい物語が始まる合図だった。

温かな光に包まれながら、二人は永遠のような一瞬を、確かに刻みつけたのだった。

【第二章 完】