軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

100.緋色のお誘い

翌日、ソフィアは意を決して、ギルバートが務める帝国軍の司令部へと足を運んでいた。

重厚な扉を抜け、冷たく磨き上げられた大理石の床を踏みしめる。

案内された面会室には、微かに古い紙と磨かれた革の匂いが漂い、軍の中枢らしい厳格な空気が満ちていた。

緊張で手を握り合わせながら待っていると、軍服姿の彼が姿を現す。

その大きな手には、相変わらずソフィアが手塩にかけて作り上げた竜杖がしっかりと握られていた。

自分の作品を大切に持ち歩いてくれるのは、職人としてこの上なく嬉しいことである。

しかし、同時にあの『女(杖)』とずっと一緒にいるのだと思うと、またしても胸の奥がもにゃもにゃと粟立ってしまった。

「どうした、フィー。こんな所まで」

「ええと、その……ちょうど近くを通りかかったものですから」

ソフィアは幻の尻尾をパタパタと誤魔化すように振りながら、ひどく見え透いた嘘をついた。

「やぁ、ソフィアさん。いらっしゃい」

そこへ、書類の束を抱えた金髪の青年が軽やかな足取りで近づいてきた。

ギルバートの士官学校時代からの親友であり、同僚でもあるクラウスである。

「クラウスさん、こんにちは」

ソフィアが丁寧に頭を下げると、クラウスはきらん、と伊達眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。

彼は非常に優秀で気の利く男であり、ソフィアの様子からすぐに何かを察したようだった。

「こっちの仕事は俺がやっておくから、彼女とゆっくり話してきなよ」

「しかし、今はまだ就業時間中で」

「馬鹿、もう昼休みに入ってるぜ。ほら、さっさと行った行った」

真面目すぎるギルバートの背中を、クラウスが呆れたようにバンバンと叩いて押し出す。

ソフィアは優秀すぎる彼の同僚に向けて、心の中で両手を合わせて深く拝んだ。

「ありがとうございます、クラウスさん」

二人が向かったのは、軍の敷地内にある広大な食堂であった。

扉を開けると、空腹を刺激する熱気がふわりと顔を撫でる。

スパイスがたっぷりと効いた肉料理の濃厚な香りと、窯から出されたばかりの香ばしいパンの匂いが鼻をくすぐった。

昼食時ということもあり、広い室内は多くの軍人たちで賑わっていた。

しかし、二人が歩くたびに周囲の視線が不自然に集まり、金属製の食器が触れ合う音すらも少しずつ小さくなっていく。

「おい、あの緋色の髪の娘」

「ああ、あれが噂のギルバート大佐の」

ひそひそとした声が、さざ波のように広がっていく。

帝国の破壊神に愛らしい婚約者がいるという噂は、すでに軍の内部でも広く知れ渡っているらしかった。

「で。本当はどうしたんだ」

窓際の席に向かい合い、ギルバートが不思議そうに首を傾げた。

ソフィアは手元にある小さな紙切れを、テーブルの下でこっそりと握りしめる。

出がけに、恋愛マスターであるヨランダから押し付けられた『必勝のデート勧誘メモ』である。

そこには、達筆な字でただ一言、こう書かれていた。

『誘う。以上』

(ヨランダさん。これでは何も分からないではありませんか)

ソフィアは心の中で悲鳴を上げ、ガックリと項垂れそうになるのを必死に堪えた。

どう切り出していいか分からず、とりあえず目の前の食事に逃げることにする。

「と、とても美味しいランチですね……」

「そうだな。軍の食堂にしては悪くない」

ギルバートが頷く横で、彼の立てかけた竜杖が窓からの光を反射して艶やかに光っていた。

ソフィアは不満げに頬をぷくっと膨らませ、ジト目でその杖を睨みつける。

「……また、その女と一緒にいるのですね」

「女って。お前なぁ……」

ギルバートが頭を抱えて、深い深いため息をついた。

「ギルさんはずるいです。私のいないところで、こんなにも私の心を乱して……」

「乱す」

「ええ。ギルさんは、杖と私、どっちが大事なのですか……」

ソフィアがさらに頬を膨らませて尋ねると、ギルバートは目を丸くした。

そして、何を当たり前のことを聞いているんだと言わんばかりの、呆れと真剣さが入り混じった顔で即答する。

「お前に決まっているだろう」

あまりにも真っ直ぐで迷いのない言葉に、ソフィアの顔が一瞬にして沸騰したように赤く染まる。

幻の犬耳がへにゃりと垂れ下がり、だらしない笑みが口元からこぼれ落ちそうになった。

「えへへ……そうですか、私ですか……」

ソフィアが幸せそうに身悶えしていると、テーブルに立てかけられていた竜杖が、突如としてガタガタと激しく震え出した。

主人の愛を奪われたことに、杖が明確な嫉妬の意志を示しているのだ。

「なんだよ、お前まで。どいつもこいつも、本当に変な奴だ」

ギルバートが呆れ果てて竜杖の頭を撫でて宥めていると、ふとソフィアの職人としての耳が、ある異音を捉えた。

「あの、その」

ソフィアが立ち上がり、食堂の入り口付近へと視線を向ける。

兵士たちが並んでいる魔導式の食券器から、ギリギリと嫌な摩擦音が聞こえていた。

内部の魔力回路がショートしかけている、特有の焦げ臭い匂いも微かに漂ってくる。

異常を察知してしまった以上、職人としての性分でどうしても放っておくことができなかった。

「行くか」

ギルバートは文句一つ言わず、立ち上がって彼女の背中を追った。

ソフィアの職人としての突発的な行動には、すでにすっかり慣れきっているのだ。

「どいてくれ。それ、中がショートして壊れかけているらしい」

ギルバートが列に並んでいた兵士たちに声をかけ、道を空けさせる。

大佐の威圧感に兵士たちが慌てて飛び退く中、一人の新兵が事情を飲み込めずに硬貨を入れようとしていた。

「え。まさか、そんな」

「とにかく止めろ」

ギルバートが鋭く制止し、新兵の手を止める。

そして、振り返って婚約者の名を短く呼んだ。

「フィー」

「はい」

ソフィアは弾かれたように駆け寄り、食券器の側面にあるメンテナンス用のパネルを素早く開けた。

彼女の予想通り、内部の劣化した魔石から魔力が漏れ出し、回路の一部が熱を持って焼け焦げる寸前であった。

ソフィアは手持ちの工具を取り出し、迷うことなく繊細な手つきで回路を繋ぎ直し、魔力の流れを正常な状態へと修復していく。

「これで、よしっ」

わずか一分ほどの作業で、食券器は再びスムーズな機械音を立てて稼働し始めた。

しかし、修理のために列を止めていたせいで、食堂の入り口にはかなりの人だかりができてしまっている。

ソフィアが周囲を見渡すと、部屋の隅の埃を被った場所に、旧型の食券器が放置されているのに気がついた。

彼女は小走りでそちらへ向かうと、同じようにパネルを開けて瞬く間に魔力回路を最適化してしまう。

「こちらの機械も、動くように直しておきましたわ」

ソフィアの言葉に、兵士たちが歓声を上げて二つの列へと分かれていく。

二台が稼働したことで、滞っていた行列はあっという間に消化されていった。

「やっぱり、フィーは凄いな」

ギルバートが腕を組み、心底誇らしげな笑顔で彼女を見下ろした。

その温かい言葉に、ソフィアは胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。

「ギルさんも、ありがとうございます。いつだって、こうして私を信じて支えてくれるギルさん……」

ソフィアは頬をほんのりと赤らめ、もじもじと指先を絡ませた。

今しかない。

彼に謝罪と感謝を伝え、あのヨランダのメモ通りに事を進める絶好の機会であった。

「そんなギルさんに。わ、私……その……お、お礼がしたくてっ」

「お礼」

ギルバートが不思議そうにオウム返しにする。

ソフィアは頭の中で必死に言葉を組み立てようとしたが、極度の緊張で思考が完全にショートしてしまった。

そして、勢い任せにとんでもないことを口走ってしまう。

「はいっ。その……お礼は、わ、私ですっ」

しんと、喧騒に包まれていた食堂の一角に奇妙な静寂が落ちた。

(しまったぁああああっ)

ソフィアは顔から火が出るほど赤面し、その場に膝から崩れ落ちそうになる。

言葉の選択を致命的に間違えてしまった。

これではまるで、己の身を捧げるような、はしたない女の誘い文句ではないか。

完全に終わったとソフィアが涙目でガックリと項垂れていると、ギルバートがポンと手を打った。

「なるほど。つまり、だ」

ギルバートは真剣な顔で頷き、ソフィアを真っ直ぐに見つめ返す。

「普段のお礼に、俺とデートしたいということか」

「そ、それですっ」

ソフィアは弾かれたように顔を上げ、目を輝かせてちぎれるほど何度も頷いた。

帝国の破壊神の恋愛偏差値は低いが、時折見せるこの神がかった翻訳能力には心底救われる思いであった。

「いいぞ。俺も、お前とゆっくり出かけたかったからな」

「ありがとうございます、ギルさんっ」

ソフィアは嬉しさのあまり、幻の尻尾をちぎれんばかりにパタパタと振り回して満面の笑みを浮かべた。

不器用な乙女の決死の誘いは、どうにか無事に成功を収めたらしい。

二人の甘酸っぱい空気に当てられ、周囲の兵士たちが生温かい視線を送る中、ソフィアの胸は今度こそ幸せな高鳴りで満たされるのであった。