作品タイトル不明
29. 機会と信義
目元に散る日差しが眩しかった。
「眩しい……」
普段とは全く違う強烈な日差しに眉をひそめ、ユフィがそう呟くと、柔らかくふわふわとした何かが彼女に近づいてきた。
思わずそれを抱きしめると、温かな鼓動が感じられた。自然と眠気を誘うような、心地よい温もり。
少し遅れて、カーテンを引くような布のこすれる音が聞こえたかと思うと、誰かが尋ねてきた。
「もう大丈夫かい?」
「……うん」
「そうか。疲れているだろうから、もう少し休むといい」
優しい声をした誰かが、彼女の顔にかかった髪を払ってくれた。その手つきがとても心地よく、何度もその手に触れられていたかった。
目を閉じたまま、頬に触れていた手を掴むと、大きくて無骨な誰かの手が、彼女の小さな手を優しく包み込んだ。薬草と消毒液の匂いに混ざる、懐かしい香り。
彼の瞳が見たい。ルビーとアメジストを混ぜて溶かしたような、透明な瞳。
閉じていた目をゆっくりと開けると、真っ先にユフィの枕元で丸く身を縮めているシフの姿が目に入った。
シフのお腹に頭を預けていたため、規則正しい心音が響いていたのだ。
ぼんやりと視線を巡らせ、自分が掴んでいる手を見つめた。白い包帯が巻かれた左手。相変わらず傷だらけではあったが、前よりも傷が薄くなっていた。
近いうちに元の姿を取り戻せるだろうか。いくら魔女の生命力を分け与えたとはいえ、やはり時間がかかるのだろうか。
ユフィがゆっくりと顔を上げると、包帯の隙間から、彼女がそれほどまでに焦がれていた赤紫色の瞳が見えた。
伴侶の契約によって被曝の強度が下がった彼の顔には、以前よりも包帯が少なくなっており、それによって彼女が記憶している昔の面影が、少しだけ鮮明に覗いていた。
「……ハル」
「ん?」
「まだ起きてはいけないはずです」
「心配してくれるのか。嬉しいな」
「喜ばせようと思って言ったのではありません」
ユフィのへりくだった物言いにも、ハルはただ優しい笑みを浮かべたまま、彼女の髪を撫で上げるばかりだった。その手の温もりを感じながら、ユフィが尋ねた。
「体の調子はどうですか?」
「君のおかげで、痛むところなど一つもなく、すっかり良くなった」
「嘘つき」
「本当だ。君はいつも私を救ってくれるのだな」
ユフィが笑みの浮かぶその顔に手を伸ばすと、ハルは自分の頬を彼女の手に寄せた。普段よりも高い体温。脈拍も一定で、決して口先だけの言葉ではないようだった。しかし。
ハルの頬を愛おしそうに撫でていたユフィは、そのまま彼の襟元を掴み、自分の方へと強く引き寄せた。体勢を崩したハルは、そのままユフィのベッドへと倒れ込んだ。
交代するかのようにベッドから起き上がったユフィが、ハルの肩をきつく押しつけながら言葉を続けた。
「それでも、まだ起きてはいけません。一体ここまでどうやって来られたのですか?」
「君が会いたがっていると、魔女様が中に入れてくださったのだ」
「師匠が……?」
師匠は一体、何を考えているのだろう。ユフィが眉をひそめると、ハルは困惑したような顔で尋ねた。
「すまない。入ってはならない場所だったか? シフも一緒にいたから、大丈夫だと思ったのだが……」
「……そういう問題ではありません。あなた、昨日死にかけたのを覚えていないのですか?」
いくら師匠が許したからといって、これでは。自分を大切にしようとしないその姿を見ていると、怒りが込み上げてきた。
「移動は許しません。安静にしていてください」
「しかし……」
「ハル」
少し強圧的なユフィの言葉に、ハルは困ったような表情を浮かべた。彼がまさに言葉を続けようとした、その瞬間だった。
「あんたたち、何やってるんだい?」
開け放たれた扉の向こうから聞こえてくる師匠の声に、ユフィは彼女へと視線を向けた。ドアに寄りかかって立つ師匠が、ユフィをじっと見つめていた。
「師匠。病人を無闇に動かしては駄目でしょう」
「動けると判断したから、動いていいと言ったのさ。彼は今、あんたの契約に加えて、私の魔法までかかっているんだろう?」
「いくら何でも、それとこれとは……」
「過保護だよ」
「……」
師匠のきっぱりとした言葉に反論の言葉が見つからず、ユフィは唇を小さく震わせた。
確かに過保護なのかもしれない。しかし、彼はつい昨日、生死の境に立っていた人なのだ。これくらいの心配は当然ではないか。
それに加えて……。
(まだ何一つ解決していないというのに)
ハルもシフも、まだ安全ではない。万全でもない。だからこそ、より慎重にならなければならないのに。
ユフィの焦燥を感じ取ったのか、起き上がったハルが彼女の手を包み込んだ。
「ユフィ。心配をかけてすまない。私が不甲斐ないばかりに、君を不安にさせてしまうな」
「そんなことありません。私はただ……」
反射的に言葉を続けようとしたユフィだったが、やがて言葉を濁して首を振った。
こんな他愛のない口論をしている暇があるなら、不安の種を解決してくる方が有意義だ。無言でベッドから立ち上がり、進もうとするユフィを、ハルが呼び止めた。
「ユフィ。待ってくれ」
「何かお話でも?」
「私に、機会をくれないか」
「何の機会のことをおっしゃっているのですか?」
「家の話だ。一度でいい、私に正す機会をくれ」
この後、ユフィが何をしようとしているのかを見抜いているかのような彼の言葉に、ユフィの視線が師匠へと向いた。すると、師匠は笑って答えた。
「私は何も言っちゃいないよ」
「では、どうして……」
「調教師の顔なら、私だって覚えているからな」
瀕死の状態でありながらも、調教師の顔を見ていたというのか。納得がいかないというユフィの視線を受けても、ハルは彼女の手を離さなかった。
「ユフィ。頼む。家の問題で、君の手を汚したくはないのだ」
「私の手……ですか?」
「そうだ。すべては、縁を正しく断ち切らないままここへ来た、私の過ちだ」
刹那、彼の顔に深い苦悩が陰った。
「それによって生じる被害もまた、すべて私が甘んじて受けるべきこと。すでに多くの迷惑をかけてしまったが……君と魔女様に、これ以上の累を及ぼしたくはない」
ハルの懇願に、ユフィの視線が細められた。そういえば、ハルはどうしてここまで落ちぶれることになったのだろうか。
彼は侯爵家の当主であり、戦争の英雄だ。いくら被曝が深刻だからといって、冷遇されて捨てられるような存在ではないはずなのに。
(あの家で)
一体何があったのだろう。気にはなったが、彼の傷口を無理に抉りたくはなかった。彼はユフィのハル、ただそれだけだ。それ以外に重要なことなど何もない。
「……無事に私の元へ戻ってくると、約束していただけますか?」
ユフィの静かな問いかけに、彼女を見つめていたハルの瞳が大きく見開かれた。繋いでいたユフィの手を持ち上げたハルは、触れるようにその手に口づけを落としながら言った。
「私が還る場所は君の傍だけだ。必ず戻ってくると誓おう」