軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第2話 庭にイケメンが倒れていたので

目の前に倒れているのは、明らかに「普通」の人間ではなかった。

小川のほとりの湿った土の上に、その男の人は横たわっていた。

身長はかなり高い。おそらく百八十センチ……いや、百九十センチ近くあるだろうか。

鍛え上げられた身体は、ボロボロに破れた黒い軍服のような衣服の上からでも分かるほど厚みがあり、まるでしなやかな黒豹を連想させた。

黒髪の隙間から覗く金色のメッシュが、泥に塗れて鈍く光っている。

整った顔立ちは彫刻のように美しいけれど、その眉間には深い皺が刻まれ、苦悶の表情を浮かべていた。

「……熱い」

私がそっと彼の頬に手を伸ばすと、触れる前から肌が焼けるような熱気を感じて、思わず指を引っ込めた。

(なにこれ、すごい高熱……!)

ただの風邪や熱中症じゃない。

植物学者としての勘が告げている。これは身体の内側から魔力が暴走して、血液そのものが沸騰しているような状態だ。

人間というより、まるで噴火寸前の火山に触れているみたい。

「う、ぐ……ぁ……」

男の人の口から、掠れたうめき声が漏れる。

唇は乾燥してひび割れ、今にも息絶えそうだ。

ここが「死の荒野」であることを考えれば、彼もまた、何らかの事情で捨てられたり、逃げてきたりした人なのだろうか。

服装の仕立ては良さそうだけれど、今の彼からは高貴さよりも、手負いの獣のような危険な気配が漂っている。

普通なら、関わらない方がいいのかもしれない。

けれど、私は目の前で「枯れかけているもの」を見捨てることなんてできなかった。

それが植物であっても、人間であっても。

「……とりあえず、日陰に運ばなきゃ」

そう決意したものの、私の細腕でこの巨体を運べるはずもない。

私は背後にそびえ立つ、生まれたばかりの世界樹――私の新しい「家」を見上げた。

「ねえ、お願い。彼を運ぶのを手伝ってくれる?」

私が幹に触れて頼むと、ザワザワ……と頭上の枝葉が揺れた。

次の瞬間、地面から太い木の根がスルスルと蛇のように這い出し、優しく男の体を持ち上げた。

まるでゆりかごのように彼を包み込み、世界樹の幹に開いた 空洞(リビングルーム) へと運んでいく。

「ありがとう、助かるわ」

私は小走りでその後を追った。

世界樹の内部は、外の荒涼とした景色とは別世界だった。

生きた木の香りが充満し、樹皮の隙間から差し込む光が、天然のランプのように室内を照らしている。

空調設備なんてないのに、ひんやりと涼しく、空気はどこまでも澄んでいる。

木の根が部屋の隅にベッドのような形状を作り、その上に男の人を横たわらせた。

苔(こけ) がクッションのように柔らかく変質し、彼の身体を受け止める。

「さて、まずは水分補給と……この異常な熱を下げないと」

私は彼を覗き込んだ。

汗で額に張り付いた髪を払う。

彼の魔力は、体内で荒れ狂う炎のようだった。

普通の水を与えても、瞬時に蒸発してしまうだろう。

もっと根本的な、魔力の源そのものを鎮める強力な「鎮静作用」のある水分が必要だ。

(鎮静作用があって、栄養価が高くて、魔力の暴走を抑える植物……)

私はポケットを探り、いくつかの種を取り出した。

王家を追い出される時にこっそり持ってきた、キッチンの野菜くずから採取した種たちだ。

「これね」

選んだのは、トマトの種。

ただのトマトではない。

私が魔力を込めて品種改良すれば、どんな環境でも育つ特別なトマトになるはずだ。

私は部屋の隅にある「家庭菜園スペース」(と勝手に名付けた場所)に種を植えた。

「おいしくなーれ、元気になーれ。熱を冷まして、潤して」

手のひらをかざし、イメージを送る。

私の魔力は、植物の成長サイクルを極限まで加速させる。

本来なら数ヶ月かかる過程が、数秒に圧縮される。

ポンッ。

小気味良い音を立てて芽が出て、茎が伸び、黄色い花が咲き、そして真っ赤な実がたわわに実った。

それは、普通のトマトよりも一回り大きく、宝石のルビーのように透き通った赤色をしていた。

表面には微かに金色の粒子が浮かび上がっている。

【氷涼のトマト(アイス・トマト)】

食べた瞬間に体感温度を下げ、火属性の魔力異常を中和する効果を持つ。

市場に出せば「食べるエリクサー」として金貨数百枚は下らない代物だが、今の私にとっては「よく冷えた夏野菜」だ。

「よし、上出来」

私は熟れた実をもぎ取ると、手近な木の器(これも魔法で作った)の上で絞った。

果肉が崩れ、とろりとした濃厚なジュースになる。

甘酸っぱい、爽やかな香りが部屋いっぱいに広がった。

私は器を持って、男の人の枕元に戻った。

「失礼しますね。ちょっとお行儀悪いけど」

意識のない彼の上体を少し起こし、自分の肩に預ける。

ずしりと重い。

筋肉の塊のような身体だ。近くで見ると、首筋に黒いタトゥーのような紋様が浮かび上がっているのが見えた。

それが脈打つたびに、彼が苦しげに顔を歪める。

「大丈夫、すぐ楽になるから」

私は器を彼の唇に当て、ゆっくりとトマトジュースを流し込んだ。

最初は喉が動かなかったが、一滴入り込むと、本能が求めたのか、ごくりと喉が鳴った。

「そう、いい子ね」

私は赤子をあやすように背中をさすりながら、残りのジュースも飲ませていく。

冷たい液体が彼の体内を巡るにつれ、肌の赤みが引き、荒い呼吸が少しずつ穏やかになっていくのが分かった。

首筋の不気味な紋様も、薄く消えていく。

飲み終わる頃には、彼は安らかな寝息を立て始めていた。

「ふぅ……なんとかなったかな」

私は彼を苔のベッドに寝かせ直し、額の汗を拭ってあげた。

こうして見ると、本当に綺麗な顔をしている。

王都の舞踏会でも、これほど整った顔立ちの男性は見たことがない。

「貴方は一体、誰なのかしら」

まあ、起きたら聞けばいいか。

私は空になった器を置き、自分も少し休憩することにした。

なにせ、今日は人生で一番濃密な一日だったのだから。

婚約破棄、追放、世界樹の植樹、そして謎のイケメンの看病。

さすがに疲れた。

私は男の人から少し離れた場所に、ハンモック状の根を作り出し、そこに身を預けた。

世界樹の葉擦れの音が、子守唄のように優しく響く。

泥のように深い眠りが、私を迎え入れた。

ロレンツォ・ドラグニルの意識は、永劫に続くかのような灼熱の闇の中にあった。

帝国の皇族であり、「竜公爵」の二つ名を持つ彼には、忌まわしき血の呪いがある。

竜祖の血を色濃く受け継ぎすぎた代償。

強大すぎる魔力は、常に彼の肉体を内側から焼き尽くそうとしていた。

「 竜熱(ドラゴ・フィーバー) 」。

医者からは二十歳まで生きられないと宣告されていたが、強靭な精神力と魔力制御でなんとか抑え込んできた。

しかし、今回の遠征中に起きた発作は、過去最悪のものだった。

(……ここで、終わりか)

意識が薄れていく中で、彼は死を覚悟した。

場所は「死の荒野」。

帝国領への帰還途中、転移魔法の座標がズレてこの不毛の地に放り出されたのだ。

部下たちとははぐれた。

水もない、草木もないこの地獄で、竜の火に焼かれて死ぬ。

それもまた、破壊を司る竜の末裔に相応しい最期かもしれない。

そう思っていた。

けれど、不意に。

焼き爛れた喉の奥に、信じられないほど「冷たくて甘いもの」が流れ込んできた。

それは水ではない。もっと濃厚で、生命力そのものを凝縮したような液体。

口に含んだ瞬間、全身の細胞が歓喜の声を上げた。

体内を暴れまわる竜の炎が、その一滴によって瞬時に鎮火されていく。

(なんだ……これは……?)

(エリクサー? いや、それ以上の……神の美酒か?)

痛みで張り詰めていた神経が、急速に緩んでいく。

誰かの優しい手が、背中をさすってくれているのを感じた。

温かい。

母の腕の中のような、懐かしい安らぎ。

「そう、いい子ね」

鈴を転がすような、柔らかい声が聞こえた気がした。

誰だ?

誰が、化け物である俺を、そんな風に呼ぶんだ?

問いかけようとしたが、意識は心地よい闇へと溶けていった。

次に目を覚ました時、ロレンツォは自分が死後の世界にいるのだと思った。

「……天井?」

目を開けると、そこにあったのは岩肌でも空でもなく、美しく組まれた木材の天井だった。

隙間から優しい光が差し込んでいる。

体を起こしてみる。

驚くほど体が軽い。

あの、骨の髄まで焼かれるような恒常的な痛みが、嘘のように消え失せている。

「俺は、生きているのか?」

自分の掌を見つめ、握りしめる。力がみなぎっていた。

魔力回路も正常だ。いや、以前よりもスムーズに循環している。

ロレンツォは警戒心を呼び戻し、腰に手を伸ばした。

愛剣は……ある。枕元に置かれていた。

剣を帯び、音もなく立ち上がる。

ここはどこだ。誰が俺を助けた?

出口らしき空洞から、外の光が見える。

彼は慎重に足を運び、外の世界へと踏み出した。

そこで、彼は言葉を失った。

「な……」

眼前に広がっていたのは、「死の荒野」ではなかった。

そこは、神話に描かれる楽園そのものだった。

見上げるほど巨大な――いや、城よりも高い巨木が天を覆っている。

その根元には色とりどりの花が咲き乱れ、芳醇な果実が実る木々が整然と並んでいる。

澄んだ小川がせせらぎ、空気は甘く、瘴気の気配など微塵もない。

(幻覚か? 俺はまだ熱にうなされているのか?)

呆然とする彼の視界に、一人の少女の姿が映った。

畑のような場所で、麦わら帽子を被り、土にまみれて作業をしている少女。

若草色の髪を無造作に束ね、質素なワンピースの裾をまくり上げている。

華奢な背中だ。

だが、彼女の周囲には、精霊たちが可視化できるほどの濃度で舞っていた。

彼女がじょうろで水を撒くと、作物が目に見える速度でグンと伸びる。

その光景は、明らかに常軌を逸していた。

(魔法使い……? いや、あんな規模の植物魔法など聞いたことがない。エルフの古老でさえ不可能だ)

ロレンツォが息を呑んで見つめていると、少女がふと顔を上げ、こちらに気づいた。

「あ! 目が覚めましたか?」

彼女はパッと花が咲いたような笑顔を浮かべ、小走りで近づいてきた。

琥珀色の瞳には、一点の曇りもない。

警戒心も、邪気も、恐怖も。

俺を見ても「竜公爵」だと恐れる様子がまったくない。

「具合はどうですか? まだ熱っぽいとか、ふらつくとか」

「……いや。驚くほど快調だ。体が軽い」

ロレンツォは努めて冷静に答えた。

声に出してみて、自分の喉が渇いていないことに気づく。

「よかった! 特製トマトジュースが効いたみたいですね。あれ、即効性だけが取り柄なんです」

「トマト……ジュース?」

あれが?

あの、死の淵から蘇らせた神薬が、トマトだと?

ロレンツォは困惑した。この少女の常識はどうなっているんだ。

「ここはどこだ。そして、貴女は何者だ」

「ここは私の家です。昨日から住み始めました。私はフローリア。ただの……そうですね、植物が好きな一般人です」

昨日から住み始めた?

この巨木を、一日で作ったと言うのか?

ロレンツォの警戒レベルが跳ね上がるのと同時に、奇妙な興味が湧き上がった。

この少女は、俺の正体を知らないのか?

帝国の誰もが畏怖する「竜の化け物」を前にして、なぜこんなに無防備なんだ?

フローリアと名乗った少女は、ロレンツォの身体をジロジロと観察し始めた。

熱っぽい視線……ではない。

まるで、競り市で家畜を見定めるような、妙に実用的な視線だ。

「あの……失礼ですが、お名前を聞いても?」

「……レンだ」

とっさに偽名が出た。

本名を名乗れば、面倒なことになるかもしれない。

あるいは、この心地よい無関心さが壊れるのが惜しかったのかもしれない。

「レンさんですね。レンさん、見たところ冒険者のようですが……今、お仕事は?」

「仕事? ……今は、ない」

部下とはぐれた遭難者なのだから、無職と言えなくもない。

すると、フローリアはポンと手を打った。

「やっぱり! その立派な筋肉、すごく重い物も持てそうだし、体力もありそうですよね」

「筋肉……?」

ロレンツォは眉をひそめた。魔法剣士としての鍛錬の結果だが、そんな評価を受けたのは初めてだ。

「単刀直入に言いますね。レンさん、行く当てがないなら、うちで働きませんか?」

「は?」

帝国の最高権力者の一人に向かって、この娘は何を言っているんだ。

フローリアはニコニコしながら、とんでもない提案を口にした。

「庭師……いえ、農作業のアシスタントを探していたんです。ここ、広すぎて私一人じゃ手が回らなくって。住み込みで、三食昼寝付き。お給料は……現物支給の野菜でどうでしょう?」

「野菜……」

「はい! 私の作った野菜は栄養満点ですよ。レンさんのその体の不調も、毎日うちのご飯を食べれば完治すると思います」

ロレンツォは呆気にとられた。

だが、その言葉は彼の胸に深く突き刺さった。

「完治する」

医者も匙を投げた竜熱を、治せると言ったのか。

実際、彼女の「トマト」は奇跡を起こした。

ここにいれば、この苦しみから解放されるかもしれない。

それに、この不思議な少女と、この楽園の正体を見極める必要もある。

ロレンツォの中で、計算が弾き出された。

帝国に戻る前の療養期間。

身分を隠し、この少女の元に潜伏するのは、悪くない選択肢だ。

それに何より。

先ほど彼女に向けられた笑顔が、妙に胸に残っていた。

「……悪くない条件だ」

ロレンツォは、王族としての尊大さを隠し、ぶっきらぼうな冒険者を演じて答えた。

「俺はレン。今日からここの庭師だ」

「わぁ、嬉しい! 契約成立ですね! よろしくお願いします、レンさん!」

フローリアは嬉しそうにロレンツォの手を取り、ブンブンと握手をした。

その手は小さく、土で少し汚れていたが、温かかった。

(……変な女だ)

ロレンツォは内心で苦笑しながら、握り返した。

こうして、世界最強の竜公爵による、初めての「庭師バイト」生活が始まったのである。

本人が一番、何をやっているんだと思いつつも。

一方、私は心の中でガッツポーズをしていた。

(やったー! 重機代わりの労働力をゲット! しかもあんなに強そうなら、害獣除けにもなるわ!)

こうして、お互いに盛大な勘違いを抱えたまま、二人の同居生活が幕を開けたのだった。