軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 忘れ得ぬ五人目

彼がいなくなってから、とても久しぶりに昔の夢を見た。

『荷物持ちにしても、冴えない男ね。あなた、本当にSSSランクなの?』

魔力測定を終えたあと、初めてディックや皆に会ったときのこと。

奇跡の子どもたちだともてはやされて、私たちは魔王討伐隊に選ばれた。

五人の子供に王国の命運を委ねるなんて、と思ったりはしなかった。私はそのときには、私より強い魔法使いなんて世界のどこにもいないと思っていたから。

『私より年上だからって、子供扱いしたら殲滅するわよ』

そのときの私はまだ身長が小さくて、ディックのことを見上げなければいけなかった。でも胸を張って、少しでも自分を大きく見せようとした。

ディックはその時から着ているものが真っ黒で、 烏(からす) みたいだった。

瞳には活発な輝きはなくて、眠たそうに見えた。そんな人が私と同じランクだなんて、と苛々していたように思う。

私は恥ずかしいくらいに子供だった。ディックは、その時にはもう大人だった。

『ランクが同じなら、年上も年下もない。その力を信頼させてもらう』

そんなことを言うディックを見て、コーディが目を見張った。

アイリーンは何か楽しそうにしていて、そのあとディックに手合わせを挑むことになるのだけれど、そのときの勝敗がどうなったのか、私は聞いていない。

ユマはまだ小さくてあどけなかったけれど、司祭らしい落ち着きはすでにその時からあって、慈悲すら感じさせる表情で私たちを見守っていた。

『あなたはいったい何ができるの? 私は破壊魔法が得意なのだけれど。必要なら、山一つを平らにすることだってできるわ』

『自分でも、SSSランクなんてことになった理由は良くわからない。千年に一人出るかどうかだって言われたが、五人いるしな』

ディックの言うことを、最もだと思ってしまった――私はSSSランクと計測されても、当然だと思うばかりで、どうして千年に一人の存在が五人も集まったのか、疑問に思っていなかった。

彼にも何か、SSSランクと認められるだけの力がある。そう思っていたのに、私はどうしてか、ディックに突っかかってばかりいた。

『あなたがSSSランクっていうのは、何かの間違いじゃないの?』

『どうかな。この五人でパーティを組んで足を引っ張らなかったら、SSSランクってことでいいんじゃないか』

『そうだね、何より僕たちがパーティを組んで上手く行くかどうかだ。僕は……コーディ・エルステッド。剣と精霊魔法を使うことができる』

『私はユフィール・マナフローゼです。迷える魂を浄化したり、私たちに敵意を持つ人たちに教えを説いて、戦いを避けることができます』

コーディもユマも、嘘は言っていなかったけれど、それは彼女たちの力を表現しきれていない言い方だった。

『あたしはアイリーン・シュペリア。実はここに角があって、人間と鬼族のハーフなんだけど……王都に武者修行に来てたから、力試ししてみたら、何かすごいことになっちゃって。魔王をやっつけたらご褒美がもらえるって話だから、みんな頑張ろうね!』

アイリーンは自信にあふれていて、それに見合う力の持ち主だった。

『男の子と一緒ってどうかなーと思ってたけど、ディックとコーディなら大丈夫そうだね』

『俺は仕事に支障をきたすようなことは絶対にしない。それは安心してくれ』

『仕事? そっか、これって仕事なんだ……任務とか言われてたもんね』

ディックはその時から、魔王討伐をしたあとにギルドマスターになる片鱗を見せていた。

彼もまだ少年と言える歳なのに、魔王討伐を『仕事』という言い方をする。彼にとっては魔王と戦うことは悲壮な決意によるものでも何でもなくて――私は、少しだけ心の端にあった不安が消えていくように感じた。

この冴えない人が大丈夫だと言うのだから、私が危ない目になんて遭うわけない。

自分でも、素直じゃない子供だったと思う。私はディックが少し話しているのを聞いただけで、この人が真摯な人だと直感で分かっていたのに。

『じゃあ、早速出発するか。歩きでもいいが……しばらくは馬車が良さそうだな。硬い場所に長く座るから、備えをしておいた方がいい』

『馬車……そんなのんびりしたことを言っていていいの?』

『使えるものは使った方が楽だろう。馬車が通ってるってことは、 均(なら) された道が目的地に繋がってるってことだ。詳しくもない地図で荒野を歩いていくのは面倒だからな』

『あたしはどこまでもまっすぐ進んでいけちゃうけどね、山でも何でも吹き飛ばして』

『ははは……それは痛快だけど、僕たちは五人で一つのパーティだ。ミラルカとユマの体力を温存しながら進めるのが一番いい。そういうことだね、ディック』

コーディは初めから、ディックの考えをよく理解していた。ディックは思っていることを全部言わないことが多くて、それが私にはもどかしく思えることもあったけれど、一緒に旅をするうちに彼の考えていることがわかるようになった。

それはきっと、仲間たちは皆同じ。

ディックは無愛想だけれど、仲間のこと、そして旅の途中で出会う人々のことを、私たちの中で誰より深く考えていた。

魔王を倒せばいいとばかり思っていた私たちに、必ずしもそうではないことを教えてくれた。魔王を討ち取れば六魔公や魔王国の民が必ずアルベインに復讐するだろうということも、彼に言われて初めて考えたことだった。

子供だった私たちに、ディックは色々なことを教えてくれた。私がもっと素直だったら、彼のことを兄のように思っていたかもしれない。

――でも、私はずっと、ディックの隣に並びたかった。

私はいつも彼の背中を見ているだけで、どんどん引き離されていって、必死で追いかけて、それでも追いつけないまま。

魔王討伐を終えたあと、私はディックが遠くに行ってしまうと思っていた。

彼がギルドマスターになると言って、本当にそうしてくれたあと、一度は安心できてもいつも不安だった。

ディックが見ているものは私とは違う。彼が本当にしたいことは、ずっと私には言ってくれないまま。

それはディックが私のことを子供だと思っているから。

魔法大学に入ったのは、少しでもディックに対等な立場で見てもらいたかったから。

アイリーンとお酒を飲んでいるディックを見て嫉妬したのは、二人のことが大人に見えて、遠くに感じられたから。

ディックが私にお酒を出してくれたとき、涙が出るくらいに嬉しかった。

私はいつも、ディックに振り回されている。彼はそんなつもりはないのに、私はディックのことを見て一喜一憂して、嬉しくなったり、悲しくなったりしていた。

ずっと彼の前では、私はそうなのかもしれない。

今だってディックが遠くに行ってしまう夢を見て、胸が潰れそうで、もう彼のことを考えるのはやめようとそう思うのに。

薄れそうになった遠い記憶を辿って、何度も夢の中で繰り返している。

朝の薄明かりの中で、私は目を開ける。

すぐに起き上がらずに、私は横を向いて、窓の外の空を見た。

今日も、大学に行かなくてはいけない。休んだりしてマナリナに心配をかけると、彼女は王女なのにお見舞いに来てしまう。

魔法大学では私のゼミを希望する新入生が多かったけれど、今の心境で新しい生徒を受け持ちたいとは思わなかった。

我がままを言っている。私を慕って入学した生徒もいるのに、その期待に応えられていない。

昔の私なら、きっとそんなふうには思わなかった。一般の生徒に教えられることはなくて、私にとって有益な時間にならない。一人で本を読んでいたほうがいい。

今の私は違う。マナリナのために基礎教本を作って、野外での魔法実演をして――そんな日々に、張り合いを感じている。

そこに、ディックがいてくれたなら。

彼が差し入れを持ってきてくれると、マナリナはとても喜んでいた。もちろん、私も。

彼の作るものは何でも魔法のように美味しかった。『水瓶亭』に行けばヴェルレーヌさんがレシピ通りに作ってくれて、味は変わらないのに、それでも違うと思ってしまう。

そんな私の気持ちを知っていて、ヴェルレーヌさんはいつも何も言わなかった。

ディックとスフィアが行ってしまったあと、私たちは彼を信じて待つ同士で、けれどお互いに分かっていた。ずっと待っているばかりでいられなくなっていることは。

そのとき、ドアをノックする音がした。返事をすると、従者のフランが部屋に入ってくる。

「ミラルカお嬢様、おはようございます……朝食は、いかがなさいますか?」

「……少しだけでいいわ。ごめんなさい、最近は食欲がないのよ」

「……ディック様からは、未だご連絡はないご様子。何か、ギルドの仕事で問題が起きているのでしょうか」

フランには、ディックが『異空の神』と戦っていることは話していない。カルウェンとの戦いに巻き込んでしまったけれど、フランにはそういった世界のことは知らずに過ごして欲しいと思っていた。

ベッドから抜け出して、身支度をする。気に入っている青いドレスが少し小さくなってしまって、胸のところを大きくして同じ型のものを新調している――この服を本当に見てほしい人には、まだ見せられていない。

「ミラルカ様、それでは私は下におりますので、何かありましたらお声がけください」

「ええ……ありがとう」

フランが一礼して退室したあと、私はバルコニーに出て、鳥籠の中のフェアリーバードを見た。

「……酷い人でしょう。私たちを置いて行くなら、早く帰ってくるって……前のことを反省しているなら、そうしてくれるはずなのに。スフィアが一緒だから、大丈夫だとは思うけれど」

ディックと皆との間に生まれた娘。スフィアに会えていないことも、寂しいと思わずにはいられなかった。

けれどスフィアが羨ましくもある。迷いなく魔神具に乗り込んで、向こうの世界にまでついていってしまったのだから。

――叶うのなら、私も行きたかった。

ディックが見る全てを、私も一緒に見たかった。彼の力になりたかった。

私は、ディックのことを愛しているから。

彼のいない世界には意味がない。彼を連れて帰るために、アストルテの杖をもう一度使ってでも、神の座への扉を開く。

これまでそうしなかったのは、ディックが戻ってくると約束してくれたから。

でも、もう待てない。ディックがいない日々をこれ以上泣いて過ごしたら、私はきっと弱くなってしまうから。

「……会いたい……あなたに会いたい。ディック……」

一度言葉にしてしまったら、止めることはできなかった。

ぼろぼろと涙が溢れて、止まらない。ドレスの袖で押さえても、後から後からこぼれてしまう。

フェアリーバードが小さく囀って、私の方を見ている。私が鳥籠に手を伸ばすと、フェアリーバードは頭を擦り寄せてくる。

「……ありがとう。そうね……こんなふうなのは、私らしくないわね」

泣いてしまうとすっきりして、けれどディックに対する気持ちは、複雑なままで胸にわだかまっている。

こんなに待たせられるなんて思わなかった。無事で帰ってきたら、ゆっくり休ませてあげるけれど、その後は――。

「っ……!」

バルコニーに、風が吹き込んでくる。屋敷の庭に黒い影ができて、上空からゆっくりと降りてきたのは、久しぶりにその姿を見るバニングだった。

私は一階に駆け下りて、庭先に出る。バニングは小さくグルル、と喉を鳴らして、私を見下ろしている。

「……お、お嬢様。その竜は……」

恐る恐る屋敷の中から様子を見ているフランを安心させるために、笑いかける。

「彼はバニングと言って、ディックが飼っている火竜よ。普通の火竜とは違う姿をしているけれどね……どうしたの? こんな朝早くに」

「グルッ」

幼竜はこの一年でかなり大きくなってしまったけれど、また母竜が卵が産んで、もうすぐ新しい命が生まれようとしている。

バニングはもう六頭の子供を持つお父さんなのに、私に対しては甘えるような声を出す。それは彼が、ディックと一緒に私を乗せていたときのことを思い出すからだろうか。

「……グルル……」

バニングが、東の空を見る。そして、もう一度私を見る――向こうの空に、何があるのだろうか。

「フラン、少しバニングに乗せてもらってくるわね」

「かしこまりました、お嬢様。気をつけて行ってらっしゃいませ」

いつもならディックに引き上げてもらっていたけれど、魔法を使えば何とか一人でもバニングの背中に乗れる。

バニングが翼をはためかせて浮上する。早朝の空はどこまでも晴れ渡っていて、東の方向に広がっている平原が見渡せる。

――初めは、朝焼けの中で、何かを見間違えたのかもしれないと思った。

草原の中に一本、大きな樹が見える。その近くに、人型をした大きなものが見える。

私は、あれを見たことがある。そう――一年ほど前に。

「ディック……ッ!」

私は彼の名前を呼んだ。声の限りに呼んで、そしてバニングは空を駆ける。

少しでも早く、確かめたかった。

近づくほどに、私は懐かしいその気配を感じて、何も考えられなくなっていった。

◆◇◆

――懐かしい空気だと、まず最初にそう感じた。

魔神具の搭乗席が開いて、俺は外に出る。スフィアがすぐ近くに実体化する――『神の座』に入ったときよりも少し成長したように見えるのは、親の贔屓目だろうか。

「お父さん、成功したのかな……?」

『神の座』――それは、異空の神に支配された、もう一つの世界だった。

この世界の外側と言われていた場所もまた、並列する世界の一つだったのだ。

この世界と同じように大陸があり、魔族に類縁する多数の種族が住んでいて、彼らにとって異空の神は信奉の対象となっていた。それは新たな命を生み出すために必要な魂を、別の世界からもたらす存在であったからだ。

異空の神がどのようにして生み出されたかは分からない。実体のない相手を倒すのは骨が折れたが、何度も別のものに乗り移って襲いかかってくる異空の神を返り討ちにしているうちに、徐々にその気配は感じられなくなり、最後には消えてしまった。

神を失った『世界の外側』が滅びるということもなく、俺たちは『神の座』を旅する中で得た知己の助力を得て、元の世界に戻る時空間転移を試みた。

しかし問題となったのは『神の座』と元の世界では、時空間転移をした際に大きく時間のずれが起きるかもしれないということだった。

アルベイン王国暦の何年に戻って来られるか、それが分からない。もし何十年もずれてしまったら――そう思うと、心配でならなかったが。

「この感じは……間違いない。そう『ずれて』はいないはずだ」

「うん……近くの霊脈を通じて確かめてみたけど、お父さん、どれくらい経ってると思う?」

「そうだな……向こうじゃ半年は経ってたから、同じくらいか?」

「正解は、一年くらい。お母さんたちやみんなのこと、いっぱい待たせちゃったね」

一年――この一年の間に、皆はどうしていただろう。

王都で変わりない日々を過ごしていたのか。それとも、どこか別の場所に行ったりはしていないか。

時間が経ちすぎたということはないのかもしれない。しかし、何も変わっていないというには長い時間のようにも思う。

「……早く、みんなに会いに行かなきゃ。お父さん、落ち着いてる場合じゃないでしょ」

「あ、ああ……しかしな、俺にも心の準備というものが……」

皆に会いたい、その気持ちは疑いようもないが、いつもの悪い癖が出てしまっている。

そんな俺の頬をつまんで、スフィアは仕方ないというように微笑む。

「お父さんが目立ちたくないのって、ほんとはただ照れ屋さんだからだよね」

「……スフィア、父親をからかうのはほどほどにな」

「ふふっ……お父さんとずっと一緒にいたら、リムお母さんの気持ちが分かってきちゃった。お父さんって可愛いよね」

「かっ……どこでそういうことを覚えてくるんだ。俺みたいなのは、可愛いとは対極にある存在で……」

「――お父さんっ、見て……!」

スフィアが急に大きな声を出して、西の空を見上げる。

このあたりは平地よりは高度があり、早朝の空気は少し冷たい。

青く透き通るような空。昇り始めた太陽の陽射しを浴びている、小さな影が見える。

――俺の相棒、閃火竜バニング。火竜としては希少なその巨躯の上に、誰かが乗っている。

俺は動けない。まだ、動き出せない。

そんな俺を促すようにスフィアが背中に触れる。

「……行ってくる」

「うん。私も、すぐに行くから」

俺は歩き出す。緑の草原を進む足は、徐々に早まり――ついには、走り出していた。

バニングが羽ばたきながら高度を下げる。地に太く力強い脚が着くと、ズシン、と振動が伝わり、草原にうねりのような波が生まれる。

「……ディック……ッ!」

バニングの背に乗っていたのは、金色の髪の魔法使い。

ミラルカはそこから飛び降りて――俺は、彼女を受け止める。まるで姫を抱きとめる騎士か何かのように。

「っ……ディック……本当にディックなの……?」

「ああ、俺だ。一年くらいも経ってるみたいだが……」

ミラルカは俺の頬に手を伸ばす。そして、喉を震わせて、大粒の涙をこぼした。

「……そんなにけろっとして……何でもなかったみたいな顔をして……」

「大変な仕事ではあったけどな。やると決めたことは、必ず遂行するのが俺の主義だ」

『神の座』での冒険の話を、皆にすることもあるだろうが――俺の中では、それが今までで最も印象に残るものじゃない。

「向こうに行ってるうちに、分かったことがある」

「……何? 勿体ぶらずに聞かせなさい」

そう言って口を尖らせるミラルカを見ていると、今までにない想いが湧く。

いや――もっと前から、そうだったのだろう。俺は単純で、男としては甲斐性が全くないと自覚しているが、それは変わらなくてはならない部分だ。

「……俺もスフィアも、皆と一緒に冒険するのが好きだってことだ」

「そんなこと……今さら気づくようなことなの?」

言葉は少し尖っているが、ミラルカは笑っている。俺も笑う――本当に当たり前のことをこうして確かめられる、それが幸福だと感じられてならない。

師匠に出会い、魔王討伐隊に入って、ギルドを作った。

それでも自分は一人なのだという諦めが、どこかにあった。どれだけの傲慢で、どれだけの身勝手なのか、今ならよく分かる。

本当は誰よりも、人の中で生きていきたかった。

化け物と言われた子供の自分を、人の間にいていいと許したかった。

「……行く前に、約束したことなんだが。俺は、間に合ったと思っていいのか?」

問いかけると、ミラルカもそのことを覚えていてくれた。

責任を取ってもらうと、ミラルカは言っていた。その内容を、すぐにでも確かめたい。

「もし明日戻ってきていたら、みんな離れ離れになっていたところよ」

「……そうか。今から王都に戻っても、間に合うかな」

「その必要はないわ。だって、みんなも気づいているもの。あなたが今、この世界にいてくれることを」

ミラルカの言う通り、王都の方角から、懐かしい面々がこちらに向かってやってくる――飛行戦艦まで動き始めている。

「……抜け駆けになってしまうけれど。一番先に来てしまったのだから、仕方ないわね」

ミラルカが俺の首に手を回す。そして彼女は、触れ合う前に自ら目を閉じて、唇を重ねてきた。

温かな鼓動が伝わってくる。相手の鼓動で、自分が生きていることを確かめる。

今はもう少しだけ、このままでいたい。

自分が生まれてきたことが、こうして歩いてきた時間が、間違いではなかったと思えるから。

◆◇◆

バニングは気を利かせるように、空の方を向いている。その近くにいるディックとミラルカを、到着した面々は遠くから見守っていた。

「……はぁ~。やっぱりミラルカだよね……あの子、出会ったときからディックのことしか見てなかったから」

「そんなふうに言われてしまったら、ミラルカさんが怒ってしまいます……そ、それに、出会ったときからというなら、私も……ですので……」

アイリーンは恥じらうユマの頭を、帽子の上からぽふぽふと撫でる。そんな二人を見て、コーディは目元を布で拭いたあと、凛とした表情に戻る。

「何よりも、ディックが無事で良かった。あとは彼がどれだけ王都に滞在してくれるか……だね」

「平和になったら、国外に出てしまうかもしれないということか。そうなったとしたら、ついていくしかないのではないか?」

コーディの心配をよそに、ヴェルレーヌはきっぱりと言う。

「魔王国を出た私にとっては、ご主人様がいる場所だけが帰る場所なのでな」

「で、でも……ミラルカちゃんとディー君が、その……私たち、お邪魔にならない?」

「……ディックとミラルカ次第だけど……私は、ディック以外は考えられない」

「お姉様……わ、私は、お姉様のお考えを尊重したいですが、ディックさんはその、男の人として枯れているというか、達観しすぎているというか……」

「むう……それは否定できぬと言いたいところだが。ご主人様はただ、世俗とは隔絶した忍耐力を持っているだけで、至極健康な男子ではないかと思うのだ」

ディックと共に暮らした期間が長いヴェルレーヌの発言に、皆は真剣そのもので耳を傾ける。

「……ディー君、私のせいで、女の人が怖くなっちゃってるんじゃないかなって……もう、それは大丈夫そう?」

その一言で皆が気がつく――リムセリットはディックとミラルカの睦まじくしている姿を見てもなお、見えていないかのように振る舞っている。

「え、えっと……ディックにはリムセさんに穏やかでいてもらうためにも、それとあたしが寂しくないように、器の大きい人になってもらいたいよね」

「ああ、神よ……罪深い私たちをお許しください。私たちは一人の男性をめぐって、これから争わなくてはいけないかもしれないのです……」

「ユマ殿が本気を出しては、私たちは争うどころでは……ここは和睦を結ぼうではないか。私たちの戦いは、これから始まったばかりというところで……駄目だろうか?」

ヴェルレーヌも勢いで押し切ることはできずに、途中で同意を得ようとする。

この場にいる皆が顔を合わせる――リムセリットがディックと出会った頃、いかに可愛い少年だったかと独り言のように呟いているが、それは皆揃って見てみぬふりをした。

「じゃあ……とりあえず、この場はしばらく見守ってあげて、あんまり長かったら突撃するってことで。それでいい?」

「うん、異議はないよ。それにしても、皆がいてくれて良かったな……一人で来てしまったら、きっと何も言わずに立ち去っていたよ」

「コーディさんは、ディックさんの親友ですからね。私も、お友達の幸せを祈るのは大切なことだと思うのですが……」

「……全部、ディックが悪い。そういうことにしておく」

「その通りです、お姉様。ディックさんがいけないんです」

皆が意気投合する中で、静かになっているリムセリットにヴェルレーヌが近づく――すると。

「……良かった……良かったね、ディー君……」

「……ご主人様は、遠くに行くわけではないのだぞ。そんなふうに思われてしまっては、私も困る」

「ヴェルちゃん……私、いいのかな? このままディー君の近くにいても……」

「悪いわけがない。ご主人様が静かに暮らしたいとしても、そういう星に生まれたのだと諦めてもらおう……さて」

ディックがミラルカを下ろして、二人でこちらに歩いてくる。スフィアが走ってくる――ディックとミラルカ、二人の手を引いて。

それを迎えるように、アイリーンはユマを抱き上げて走り出す。コーディが、シェリーが、そして全員が、草原を駆けていく。

黒髪の青年が、皆にもみくちゃにされる。誰もが笑顔で、明るい笑い声が上がる。

陽の光に照らされた草原に、彼と彼女たちの声がいつまでも響いていた。

アルベイン王国最強の冒険者。千年に一度の、伝説の子どもたち。

そのうちの一人は『忘却のディック』と呼ばれていた。

しかし彼を良く知る人々は、忘れようもなく真実を胸に刻んでいる。

魔王討伐したあと、目立ちたくないのでギルドマスターになった。

そんな彼こそが、紛れもなく世界を救った英雄だということを。