軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第202話 ギルドマスターの不在 下

――王都アルヴィナス 9番通り 赤の双子亭ギルド本館

早朝、空が白み始めた頃の時間。

シェリオンとロッテ、『赤の双子亭』のギルドマスター姉妹は、ギルドマスターとしての執務に使っている机に伝言の手紙を置き、荷物の入ったバックパックを持って外に出た。

「シェリー、ロッテ、ほんとにいいの?」

門に背を預けて待っていたのは、同じように旅支度をしたアイリーンだった。しかし彼女はいつもの通り軽装で、最低限の路銀と水筒を持っているだけだ。

「……このまま王都にいるより、探しに行った方が落ち着くから」

「私はお姉さまと一心同体ですから。最近は平和そのものですし、ギルド員のみなさんにお任せして大丈夫だと思います」

「二人とも『赤の双子亭』だけじゃなくて、王都じゅうの冒険者のアイドルみたいなものなのに。やる気を無くしちゃう男の人、いっぱいいるんじゃない?」

「そんなこと、気にしない。私は、ディック以外の男の人には興味がないから」

「お、お姉さま、そんなにきっぱり……もうっ、あの人は一体何をしているんですか? 皆さん大事な仕事があるなんて言って、詳しい事情を教えてくれないで……」

ロッテはアイリーンをきっ、と睨む。しかしアイリーンが苦笑すると、申し訳なさそうに勢いをなくした。

「ご、ごめんなさい……冒険者の仕事に、横から口を出すようなのはいけませんよね」

「ううん、ディックも嬉しいと思う。そのうち帰ってくるとは思うんだけどね、あたしもそろそろ実家に顔出しとこうかなって」

「アイリーン……故郷に戻るの?」

シェリーが問いかけると、アイリーンは空に視線を送った。

「このまま王都にいると、どうしても考えちゃうから。あたしがそうやってうだうだしてるの、ディックは喜ばないと思うんだ。だから、一回仕切り直そうかなって」

「……そう。私たちも、途中まで一緒に行く」

「ありがとう。ミラルカやユマは、王都がふるさとだから。コーディは騎士団長の仕事を果たしながらディックを待つって言ってるしね……一人旅も考えたけど、シェリーとロッテが一緒に来てくれるなら嬉しいよ」

「そ、それは……私たちのほうもです。アイリーンさんは私たち近接戦闘系の職業の冒険者にとっては、雲の上の人ですから」

「えー、そうだったの? ちょっと照れちゃうね、そういうこと改めて言われると」

アイリーンは朗らかに笑っているが、シェリーもロッテも痛いほどに分かっていた。

この一年間、アイリーンは王都でいつものように『銀の水瓶亭』のフリー冒険者として活動していた。

SSSランクを超えた武闘家である彼女に達成できない依頼はない。それでもディックがいれば、どのような仕事であっても、アイリーンは依頼主からの感謝をされる以外の、特別な充足を得られていただろう。

王都に彼がいる、それだけでシェリーとロッテは支えられ、日々に張り合いを持つことができた。

しかしいつか彼が戻ってくると信じるだけでは、もう自分を誤魔化すことはできなくなっていた。

「……ねえ、シェリー。ディックのこと、いつから好きになったの?」

アイリーンの質問は、シェリーの想いにずっと前から気づいていたと言っているのと同じだった。

いつも明るく陽気な、魔王討伐隊のムードメーカー。そんな彼女が持つ女性としての繊細な部分を、シェリーも知っているつもりでいた。

「初めて、仕事でぶつかったときから。生意気だった私を、ディックは全然怒らなかった。私が戦士だっていうことは関係なく、一人の女の子として接してくれた」

「……あの人は、ずるいんです。私はお姉さまに近づく男の人はみんな敵だって思って、彼にも噛み付いてしまったのに……全然、気にしてないんです。それどころか、私のこと、まるで妹みたいに接して……」

アイリーンもディックの姉貴分のようなつもりでいたが、気がつくといつも、彼の掌の上で転がされていたように思う。

自分より強い男性で、それも鬼族でなければ恋をしないだろうと思っていたのに、アイリーンはディックに対しては種族の差を意識しなかった。ディックもまた、アイリーンが半分鬼の血を引いていても、そのことに関係なく接した。

「妹っていうのは、一番複雑だよね。ミラルカもそういうふうにしか見てもらえないって悩んでたことがあったから。あたしなんて、女として見られる以前っていうか……」

「……そんなことない。ディックはアイリーンのことを頼りにしてた。一緒のギルドで仕事をしてくれてることにも、感謝してた」

「アイリーンさんのこと、ディックさんは女性として意識していたと思います。冒険者として信頼を置くだけじゃなくて……その、何ていうか、見ていればわかりますっ」

シェリーとロッテの言葉に、アイリーンはしばらくぱちぱちと瞬きをする。

「……えっ……そ、そんな感じしてた? ディック、あたしがお風呂上がりとかでも全然気にしてなかったし、髪だって乾かしてくれてて、あたしのことずぼらだって思ってたんじゃないかなって……」

「……私でも意識されてると思うことがあるくらいだから、ディックは我慢強いだけ」

「そ、そうなんですか? 私はお姉さまが意識されているのではと思っていましたが、私のことは全く眼中にないかと……」

「あはは、双子なのに何言ってるの。シェリーが意識されてるなら、ロッテもそうに決まって……ああっ、言わない方がよかった?」

ロッテはみるみるうちに耳まで真っ赤になり、シェリーに見られていると気づくと、慌てて近くの木陰に隠れてしまった。

「……こんなこと話してたら、ディックが私たちのこと嫌いになったりしない?」

「そうでもないと思うけど。でもディックって優しいから、本命が誰だか決まっててもはっきり言ってくれなさそうなんだよね」

「本命……それは、ディックさんのような方でも決めなくてはいけないんですか? マナリナ殿下がおっしゃっていましたけど、国王様になることを求められて、辞退されたって聞きましたけど」

ロッテの言っている意図を、しばらくアイリーンとシェリーは飲み込めずに顔を見合わせる――そして。

「「……っ……!」」

二人が同時に頬を赤らめ、何かを言いたそうにする。口は動いているものの、声になっていない。

「わ、私からこんなことを言うなんて、らしくないと分かっているんですけど……でも、お姉様が寂しい思いをするくらいなら、ディックさんには王様のような心で、皆さんを……ああっ、とても口に出せませんっ……」

「え、えっと……ディックも急に言われると困ると思うし、みんなとも相談しないと」

「……ディックが帰ってきてくれるのが、待ち遠しい……もう待てない。探しに行く」

――そう言って、シェリーが先に歩き始めようとしたとき。

三人が、東の空を見る。

そこには何もない。白い雲が流れ、遠くを舞う鳥が見えるだけ。

それでも三人は、走り出していた。

理屈のない予感に駆られて、早朝の王都を三人は風のように走り抜けていく――旅立ちに必要なはずの荷物を、ギルドに残して。

◆◇◆

時は少しさかのぼり、王都アルヴィナス西部の教会区。

教会の誰よりも早く起きて、礼拝堂で一人祈りを捧げているユマは、来客の気配を察してゆっくりと振り返った。

「ユマちゃん、おはよう。ごめんね、お邪魔しちゃった?」

「いえ、リムセリットさんがいらっしゃるのは分かっていましたから。お祈りをしながら、お待ちしていました」

リムセリットは微笑むと、ユマの隣に並び、女神像に祈りを捧げる。

「……私ね、神様なんてこの世にはいないって思ってた」

アルベイン神教の教徒が耳にすれば穏やかでいられないようなことを、リムセリットは口にする。それでもユマは静かに、友人の話に耳を傾けていた。

「浮遊島が落ちたときの記憶はなくて、私は自分が『遺された民』だっていうことだけ分かっていて、ずっと一人で生きてきた。この王都でギルドを作ったりしたけど、それでもやっぱり、一人だっていう意識は消えなかったの。私がずっと同じ場所にいたら、みんなは親になって、子供ができて、孫ができて、そして老いて死んでいく。それを一人分でも見届けるだけで、辛かったんだ」

誰もがリムセリットを置いていく。幾度も繰り返される別れの果てに、リムセリットは自分の命を終わらせることを望んだ。

「ディー君に会ったとき、この子だって思った。ディー君もひとりで、人間に絶望してるみたいで……でも、私とはやっぱり違ってたの。ディー君は人の中で生きていくのが一番良かった。お師匠様失格だよね、それを裏切られたと思うなんて」

「……リムセリットさんは、いつでもディックさんを追いかけられたはずです。でも、そうしなかった」

「だって、私みたいな大人が子供のディー君を必死で追いかけてきたら怖いでしょ。なんて……私は、ディー君が離れていったって、いつでも捕まえられるって思ってたの。自分より強くなっちゃうかもしれないって、私が一番良く分かってたのにね」

なぜ、リムセリットが思い出話のようなことをするのか。その理由を言葉にしなくても、ユマは感じ取っていた。

リムセリットの魂の波動が教えてくれる。昨日も彼女はディックを探す旅に出ようとして、それを思いとどまったのだと。

「……おかしいよね、二千年以上も生きてるのにね。たった一年で寂しくて、涙が止まらなくなって、また死にたいって思っちゃうなんて。ディー君に、笑われちゃうよね」

リムセリットの頬に涙が幾筋も伝う。顔を覆い、肩を震わせて泣く彼女を、ユマはそっと抱きしめた。

「私も……泣きたいなって思うことはあります。でもそうしないのは、ディックさんがいつも約束を守ってくれたからです」

「……そうだよね……ディー君、絶対帰ってくるよね。私も信じたいのに……ディー君がいた部屋を見ると、全部壊したくなるの。もう、見ていられないの……」

「それなら……探しに行ってしまいますか? ディックさんのこと」

「え……?」

リムセリットは顔を上げて、自分より小柄な少女の顔を見る。

ユマは涙を流してはいなかったが、その瞳は痛々しいほどに赤らんでいた。

「本当は、嘘をついてしまいました。泣きたいんじゃなくて、泣いていたんです……アルベインの神に祈りながら。こんな私は、きっとアルベインの神官としては失格です」

「……ユマちゃん」

「ディックさんと、スフィアさんに、少しでも早く会いたい。一ヶ月前から、一日中そう思うようになってしまいました」

ユマの弱い部分――本音を、リムセリットは初めて聞かされた。

いつも子どもたちや信徒、そして他の尼僧や神官たちにも慕われ、安らぎをもたらす慈悲の司祭。

その彼女が、今は一人の年相応の少女に戻って、ささやかな我がままを言っていた。

「もう、気持ちが押さえられないんです。方法を探して、世界中に呼びかけます……あのとき、ディックさんに皆さんの力を託すためにそうしたように」

「……じゃあ、私も協力する。二人でも大丈夫だと思うけど、みんなにも声はかける?」

「皆さん、お仕事がありますから……でも、気持ちは同じはずです」

「うん、それじゃ思い立ったら行動ね。行こ、ユマちゃん」

「はいっ……!」

リムセリットに手を引かれ、ユマは礼拝堂を抜け出す。

こうなることを予期して、彼女は自室に書き置きを残していた。少しだけ王都を空けると。

――しかし。

礼拝堂の扉を開け、朝の日差しに目が慣れ、青い空が見えたときに。

振り返ったリムセリットは、何も言わない。ユマはただ頷きを返す。

リムセリットは笛を吹き、黒竜を呼ぶ。その上にユマを抱えて飛び乗り、空を横切っていく。

待ちわびた相手が、今この世界にいる。ユマは魂の波動を感じながら、それでもその瞳で確かめたいと願った。

◆◇◆

王都アルヴィナス12番通り、『銀の水瓶亭』。

ヴェルレーヌは一人、店内の掃除をしていた。

ディックがいなくなったあと、数日休んだだけで、彼女は欠かさず店を開けていた。

昼の部の営業前に料理人のハレとラムサスがやってくるが、朝はギルドハウスに住み込んでいる彼女だけだ。

――そこに、ドアベルを鳴らして入ってくる人物がいた。

「おはよう、ヴェルレーヌさん」

「……このような朝からどうした? コーデリア殿」

女性としての名で呼ばれても、コーディは微笑むのみで、いつもディックが座っていた席の隣に座った。

ヴェルレーヌはカウンターに入り、何も言わずに飲み物の準備をする。朝ではあったが、ヴェルレーヌが出したものは、よく冷えたエールだった。

ヴェルレーヌはそれを自分の分も注ぐ。そして二人笑い合い、カウンター越しにグラスを合わせた。

しばらく何も言葉を交わさず、酒を味わう。ディックが仕入れから醸造まで関わり、 酒蔵(さかぐら) に依頼して作っているエールは、市場で流通しているものとは格別の味わいがあった。

「……この店の内装も、出している酒も。料理まで全部、ご主人様が作り上げたものだ。私はそれを、引き継げているだろうか」

「見事だと思うよ。常連さんは、飲んだくれの彼がいないと寂しいと言っているけれど……」

「ご主人様自身は、存在感を消しているつもりでいたのだろうが。いつの間にか名物になっていることに、自覚はなかったようだな」

カウンターの端にいる飲んだくれは、時折訪れる何か訳ありの客に、いつも粋な対応をしている。

常連客の中にも見ている者はいて、ディックの振る舞いを風雅だと感じ、通っている客もいたのだ。

それを知ったのは、ディックがこのカウンターに座ることがなくなってから、常連客がディックのことを尋ねてきたからだった。

「皆、次はいつ来るのかと最初の数ヶ月は言っていたが。そのうち何か察したように、聞いてくる客はいなくなった」

「……彼らも寂しかったんだと思うよ。僕たちが、そうであるように」

「全く……これほど時間がかかるとは聞いていないぞ。私の護符も持ち出さずに、どういうつもりなのか問い詰めなくては……」

ヴェルレーヌはカウンターの中で後ろを向き、コーディに背を向ける。

コーディは彼女が泣いているのだと察するが、何も言わずにエールを飲み干し、そして言った。

「んっ……はぁ……いい景気づけだ」

「……コーデリア殿……何か、考えているな。ここに来たのはなぜか、聞いてもいいだろうか」

「魔王討伐隊の行方不明者を、捜索に出る。今のアルベイン王国には、諸外国の脅威はない……騎士団長の僕でも、休暇の申請くらいはしていいはずだ」

一日も休まず有事に備える。それが騎士の務めだと言いそうなコーディが、大胆なことを口にしている。

しかしヴェルレーヌは、同時に思い出してもいた。

ディックや仲間たちが『仮面の救い手』として活動しているとき、コーディは自分のことも呼んでほしいと言っていたことに。

「やはりコーデリア殿……いや。コーディ殿は、ご主人様の親友なのだな」

「彼に教えられたことは否定しないよ。したいように生きることが、一番素晴らしいことなんだって。騎士団長もしたいことではあったけれど、平和になると誰かに譲りたくなるものだね」

大胆なことを言うコーディに、ヴェルレーヌは笑う――それは彼女にとっても久しぶりの、心からの笑顔だった。

ディックが戻ることを信じて待つべきだと思い続けてきた。別の世界で戦っている彼を、この世界で探しても見つかることはないと考えた。

しかし待ち続けるのは、本来自分の性に合わない。ヴェルレーヌはすでに一度、五年ディックに会うことを待ったのだ。

「……前回よりも短いが、今回の方が長く感じる。それは私が、ここに来てもなお、ご主人様にお預けをされていたからなのだろうな」

「彼も、ヴェルレーヌさんや皆のことを思ってくれていたんだろうけど……そうやって彼の気持ちもわかるなんて言っていたら、いつか後悔する時が来るから」

コーディの心境に変化があったことを、前回店に訪れた数日前までヴェルレーヌは気づいていなかった。

彼女はいつも冷静で、ディックの指示に忠実に従う剣士だというだけではない。

――剣士として誰にも負けないという情熱が、彼女にはある。ディックと剣の修練をしていても決して手を抜かず、一本を取るために全力を尽くしたその熱は、自分と近い実力を持つ相手であり、得難い存在であるディックへの礼節と、想いの現れでもあった。

「コーディ殿が本気を出したら、ご主人様もそうそう逃げられまい。ミラルカ殿、アイリーン殿もそうだが」

「ヴェルレーヌさんも。もう一歩のところまで押していたのに、押し切れなかったのは……」

「……女として、不甲斐ないが。女として見られる姿でご主人様を前にすると、いつも胸が壊れそうだった。五年ぶりに再会した時も……まるで乙女のような自分が、恥ずかしくてならなかった。そんな私を見ても、ご主人様は呆れたりはしなかった。魔王が何を言っているのかと、お説教をくれることはあったがな」

懐かしく思い出すように目を閉じてから、ヴェルレーヌは気を取り直すように首を振る。

「ご主人様とのことを過去にして思い返すなど、あってはならないことだ。現在から未来を見るためにも、私たちは……」

――そう、ヴェルレーヌが言いかけたときだった。

二人は目を合わせ、そして何も言わずに外へと駆け出す。

彼女たちは、その感覚を疑うことをしなかった。

ヴェルレーヌは翼を持つ精霊の力で飛び、コーディは十二番通りの建物の屋根にまで駆け上がって、王都の東を目指した。